ゴルバチョフのプロフィール
まずはゴルバチョフのプロフィールからご紹介します。
本名:ミハイル・セルゲーエヴィチ・ゴルバチョフ
生年月日:1931年3月2日
出身地:ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国スタヴロポリ地方
肩書:ソビエト連邦初代大統領
愛称:ゴルビー
ロシア語は日本語から発音しづらく、文字にもしにくいですが、カッコイイですね。
もうじき91歳の誕生日を迎えますが、ご存命です!
1931年、独裁者スターリンが鉄のこぶしで階層としての農家を一掃しようとした年にゴルバチョフは農家に産まれました。
スターリンは個人農を禁止し、集団農業を作ろうとしていて、このことに反対した人たちを粛清します。
スターリンの祖父が集団農場を率いていたため、彼の家は粛清を免れ、飢餓、逮捕、流刑の被害には遭わずに済んだのでした。
言葉にするとサラッとしていますが、とても怖い時代に産まれたのですね…。
第二次世界大戦後に高校を優秀な成績で卒業したゴルバチョフは、ソ連共産党の青年団に入り、労働赤旗勲章を授与されています。
その後ゴルバチョフは、ソビエトの名門モスクワ国立大学法学部に入学しました。
1950年に妻のライサと出会い、1953年に結婚します。
1985年にはソ連共産党書記長に就任し、順調に出世を続けました。
こちらは2020年3月のゴルバチョフのツイートです。
今も変わらず元気そうですね。
ゴルバチョフの功績は?
ソ連の指導者となったゴルバチョフは、アメリカのロナルド・レーガン大統領と会談します。
冷戦を続けていた、超大国同士の首脳が会うのは、久しぶりの事でした。
そしてこれが、冷戦終結と核軍縮の発端となり、状況は急速に変化をしていきます。
そしてゴルバチョフはソ連共産党から、独占的な憲法上の地位を奪い、民主的な選挙が行われるようになったのでした。
その後もゴルバチョフは、アメリカの大統領と再三にわたり会い、1990年にはブッシュ大統領(パパの方)とも会っています。
同年民主的な方法で選出された、ソ連初の大統領に就任しました。
1991年にはノーベル平和賞も受賞しています。
西側諸国からは、とても人気があるゴルバチョフですが、実はロシアではあまり人気がありません。
共産党の支配から脱し、自由な国となり、周辺諸国の独立を認めソビエトが崩壊しました。
ゴルバチョフが行った政策は、良いことだらけのように思えますが、民族間の対立という結果をもたらしたからです。
ゴルバチョフの現在は?
1991年に大統領を辞任し、政治家としてライバルのエリツインがロシアソビエト連邦からの脱退を進め、遂にソ連が崩壊します。
エリツインがロシアの大統領に就任し、ゴルバチョフとしては不本意な形での崩壊となってしまい、後悔が残っていたようです。
その後政治の第一線を離れ、ゴルバチョフ財団と国際環境保護団体を設立しました。
そしてロシア連邦の初代大統領、エリツインに反対の立場を取っています。
ゴルバチョフはソビエト連邦として、自由な国を作りたかったのですね。
ウクライナへとロシアの争いも、長い年月の根深さを感じます。、
日本との関わり
1991年にソビエト連邦の首脳として初めて、当時の総理大臣、海部俊樹首相と会談し、北方領土問題などについて話し合いましたが、もうちょっとのところで合意には至っていません。
また同年、保守派が起こしたクーデターで、妻や側近と共に別荘に軟禁されてしまいました。
その時は外部からの連絡を絶たれ、いつ殺されるかわからない状況に置かれましたが、別荘にあった日本製のラジオで、市民や軍部が首謀者に抵抗している事を知り、希望を捨てなかったそうです。
妻のライサ夫人は「(軟禁中に)ソニーが一番役に立った」と語っていました。
2004年にも海部俊樹元首相と、ゴルバチョフは会談をしています。
仲良しさんなのですね。
「トッシー」「ゴルビー」とか呼び合っていそうです。