汚職大国ウクライナ「ガスの王女」ユーリヤ・ティモシェンコ元首相
ウクライナの政治家ユーリヤ・ティモシェンコは、1960年11月27日に、ウクライナ・ソビエト社会主義共和国、ドニプロペトロウシク州ドニプロペトロウシク市に生まれる。
1979年にソ連共産党の中級党官僚の息子オレクサンドル・ティモシェンコと結婚し、ティモシェンコ姓に変更。1984年ドニプロペトロウシク国立大学を卒業、学位は経済学博士。エンジニア・エコノミスト、会社経営を経て1996年に政治家に転身した。
1996年にはロシアからウクライナへの天然ガスを輸入する卸売業者になり「ガスの王女」と呼ばれた。しかし、不正に入手したガスの再販や脱税の疑いがあり、ロシアでは指名手配されていた。
ウクライナ共和国の第10代首相(2005年1月24日 - 2005年9月8日)第13代首相(2007年12月18日 - 2010年3月3日)を務める。

ユーリヤ・ティモシェンコ元首相
File:Yulia Tymoshenko 2015.jpg - Wikimedia Commons
2010年12月20日、首相時代の2009年に日本などから温室効果ガスの排出取引で得た金を流用していたとして、最高検察庁に起訴された。職権乱用罪で服役した。2014年2月服役中のティモシェンコ元首相は東部ハリコフの病院から釈放された。
2019年大統領選挙にも出馬したがウォロディミル・ゼレンスキーと現職大統領のペトロ・ポロシェンコに負け落選している。2022年ロシアのウクライナ侵攻が起きるが国内に留まっているという。
ユーリヤ・ティモシェンコは、今もキエフ近郊のコンチャ・ザスパにある豪邸にお住まいなのだろうか。
ロシアのモデルとして活動していた女優ミラ・ジョヴォヴィッチ
アメリカ合衆国の女優、モデルのミラ・ジョヴォヴィッチは、1975年12月17日ウクライナ・ソビエト社会主義共和国の首都キエフに生まれる。父親はコソヴォ出身のセルビア人医師ボギチ・ヨヴォヴィチ、母親はウクライナのドニプロペトロウシク生まれのロシアの女優ガリーナ・ヨヴォヴィチ。ジョヴォヴィッチ一家はキエフからロンドン、モスクワへと移り、ミラが5歳の時にアメリカ合衆国ロサンゼルスに移住した。そして、両親は離婚。カリフォルニア州サクラメントで育ったという。

ミラ・ジョヴォヴィッチ
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11歳から芸能活動を開始大手のエリートモデルエージェンシーに所属ロシアのモデルとして活躍した。1988年に映画『トゥー・ムーン』でヒロインの妹役でスクリーンデビューした。ミラ・ジョヴォヴィッチには、2009年に結婚したエヴァー・アンダーソンとの間に3人の娘がいる。2022年2月25日(金)にインスタグラムにメッセージを投稿。生まれ故郷のウクライナで起きた出来事に心を痛め、現在各国が連携しロシアへの制裁、ウクライナへの支援を表明している。ウクライナをサポートする団体や組織を「ウクライナを助けて」というハッシュタグを付け紹介している。
「東欧で最も美しい女性」と呼ばれるウクライナ美人アニ・ロラク
ウクライナを代表する女性歌手アニ・ロラクは、1978年9月27日にルーマニア、モルドバと国境を接するウクライナ西部の州、チェルニウツィー州キズマン市に生まれた。父親はジャーナリスト母親はラジオアナウンサーだった。両親は彼女が幼い頃に離婚した。4歳の頃から歌手を目指しコンクールに出場、1992年13歳で歌唱コンクールで優勝。1995年3月に芸名アニロラクとして歌手活動を開始した。1999年にウクライナの名誉ある芸術家の称号を獲得。

クリミアの併合とドンバス戦争以降もロシアで演奏を続けていることから抗議運動が起こった。それでも、アニ・ロラクはロシアでのコンサートで成功を収め、2014年にウクライナのすべての歌手の中で最も高い収入スターになった。ロシア侵攻後のロラクはSNSに戦争を望んでいない「Stopwar」と書かれた写真を投稿した。
美人として名高いスヴェトラーナ・ザハーロワとプーチン
プリマバレリーナの中でも美人として名高いスヴェトラーナ・ザハーロワは、1979年6月10日、ソビエト連邦のウクライナ・ソビエト社会主義共和国(現ウクライナ)北西の州ヴォルィーニ州ルーツィク地区にあるルーツクに生まれる。
1989年にキエフのキエフ国立バレエ学校に入学、6年学んだのち、1995年にサンクトペテルブルクのワガノワ・バレエ・アカデミーの8年生(卒業クラス)に編入。卒業した1996年にマリインスキー・バレエ入団]。2003年にモスクワのボリショイ・バレエ団に移籍した
2006年にロシア国家賞を受賞。2008年にはロシア人民芸術家の称号を授与されている。また、スヴェトラーナ・ザハーロワは、全ロシア政党「統一ロシア」の党員であり、2007年から2011年までロシア下院議員をつとめている。
2010年には、不倫関係にあったロシア人ヴァイオリニストのヴァディム・レーピンとの結婚と妊娠を発表した。
2014年3月11日、ザハーロワはロシア大統領プーチンのウクライナとクリミアのロシア政策を支持するロシア連邦の文化的人物による上訴に署名した。
プーチンの支持者の一人と言われているザハーロワは、ロシア侵攻後もボリショイ・バレエ団のプリンシパルである。しかし、ロンドンのロイヤルオペラハウスは、ボリショイバレエの公演をキャンセル。状況的に海外ツアーは不可能な状態だ。
ロシア侵攻後にに日本公演を果たしたエレーナ・フィリピエワ
ウクライナのバレリーナ、エレーナ・フィリピエワは、1970年5月23日、ウクライナの中南部のザポリージャ州のヴァシリヴカライオンにあるにあるドニプローラデン市で生まれた。アスリートだった両親の元で育ち、地元のクラブで体操とフォークダンスを習い、1980年にキエフのバレエ学校に入学。10歳で親元を離れ寮生活を送る。卒業後はウクライナ国立歌劇場キエフ・バレエに入団、1988年にソリストに昇格。多数の海外公演をこなし国際的評価を得た。国外のバレエ団から出演依頼を受けるも断り、キエフに根を下ろし活動を続けた。2020年に、ウクライナ国立歌劇場のバレエディレクターに昇進。2021年に予定されていた日本公演はコロナ禍で延期された。
2022年2月24日のロシアのウクライナ侵攻以降、ウクライナ国立歌劇場は閉鎖された。キエフ・バレエバレエ団メンバーの中にも国外に避難したダンサーがいるが、エレーナ・フィリピエワはウクライナに留まった。2022年7月日本で「キエフ・バレエ・ガラ2022」が、開催された。出演者の変更がありドイツ、オランダで活動するキエフバレエのダンサーを呼び寄せたという。演目も「白鳥の湖」「眠りの森の美女」の予定だったが「ジゼル」「海賊」に変更した。ロシア侵攻の影響により、ロシア人作曲家であるチャイコフスキーの曲が使えないことが、演目変更の理由のようだ。
エレーナ・フィリピエワの故郷の都市はウクライナ侵攻の最初の数週間にロシア軍に占領された。
キエフ・バレエ・ガラ2022