1996年1月7日に岡本太郎が84歳で亡くなった。
20代でピカソの絵に影響を受けて芸術の道を志し、「ピカソを超える」ことを目標に芸術作品を次々と生み出した。
特に大阪万博で手がけた「太陽の塔」、渋谷駅構内のJR線と井の頭線の連絡通路に飾られている壁画「明日の神話」は有名だった。
絵だけにとどまらず、本を出してもベストセラー、テレビに出てもインパクトを残し、幅広い方面でその個性と才能を発揮した。
巨匠の死を知るとジミー大西は泣きながら
「もう自分の絵をみてくれてる人がおらへん。
絵はやめる。
芸人になる」
といい出し、芸人の仕事だけをして、絵はまったく描かなくなり、やがてアトリエには近づかなくなった。
そんなときピカソの故郷、スペインの画商から、1年間、こちらで絵を描いてみないかというオファーが入った。
ジミー大西は、吉本にスペイン行きを命じられたが渋った。
「無理や。
そんな1年も」
「スペイン行きなんて、またとない大チャンスやで」
「僕、スペイン語できひんし」
「通訳はつける。
絵だけ描いていればええんや」
ジミー大西と会社は押し問答。
しかしジミー大西は
「エッチできひんし」
といって断った。
しかし周囲からみると間違いなくジミー大西は絵が好きだった。
吉本の利益などうでもいいが、ジミー大西が絵をやめてしまうことを心配し、真由美を含めいろいろな人が真剣に説得したが、ジミー大西がうなずくことはなかった。
しかし村上ショージとMr.オクレに
「ジミー、スペインのお姉ちゃんはおっぱい大きいで」
「ヌーディストビーチもあるらしいで」
といわれるとニカニカと笑いながら
「僕、スペイン行きます」
といった。
「なんやねん、それ」
「あっちでもがんばれよ」
「お前もがんばれよ」
こうして芸人としてもバカ売れしていたジミー大西は、スペインに渡った。
ダウンタウンの松本人志は、
「もったいないなぁ。
誰も勝たれへんで!
他に辞めなあかん奴いっぱいおんのに」
と惜しんだ。
2人はほぼ同期。
NSCに落ちたジミー大西は高校在学中から吉本で働きだしたので数ヵ月先輩になる。
スペインでは人里はなれた高台にあるアトリエで絵を描き続け、近くにある家で真由美と一緒に住んだ。
1年の滞在予定は3年に延長。
その間に真由美と結婚。
プロポーズの言葉は
「一生僕を食べさせてね」
だった。