1991年4月、吉本の会長、林正之助の葬式で
「なにかを真剣にしている人を笑ってしまう」
というジミー大西は、真剣な顔をした明石家さんまや、、真剣な顔で焼香する芸人たちをみて笑ってしまい、大ひんしゅくを買った。
また別の葬式では、焼香しようとしたが正座で脚がシビれてしまい四つんばいで移動。
徐々にズボンがズレていき、肛門丸出しでご焼香をした。
ある日の収録終わり、高速道路でジミー大西が
「お腹が痛い」
といい出した。
すぐに下道に降りたがトイレがみつからない。
顔に脂汗をうかべながら
「空き地でする」
というジミー大西を、真由美は仕方なく近くにあった自分の家に連れて行った。
「助かったわ。
ありがとう」
スッキリしたジミー大西はお礼をいった。
そして2部屋しかない真由美のアパートを見回し、奥の部屋にズカズカ入っていった。
真由美はあわててベッドルームに干してあった下着を回収し、かけ布団の下にしまった。
「なにしてるの!」
「女の人の部屋に入ったの初めてですわ」
「私も男の人入れたことない!」
「そうだ、ついでにこれ確認してください」
真由美は、以前から気になっていたお金のことをハッキリさせようと、さんまからのいいつけで預かっていた通帳を取り出した。
ベッドに座って
「今の残高はこれです」
と通帳を開いてみせようとするがジミー大西は見向きもしない。
「任せますわ」
「自分のお金ですよ。
確認していかないと」
「真由美さんが確認してくれたらええやん」
「私が使い込みでもしたらどうするの」
「それはしゃあない」
ジミー大西は、お金に無頓着だった。
通帳やキャッシュカードを持ち歩かないどころか、財布さえ持っていない。
ポケットに入れたお金が無くなれば、近くにいる誰かに借りた。
吉本の芸人は会社からもらう仕事と、会社を通さない直の仕事があり、給料明細に出ない収入もあるのだが、そういうのも確認もしない。
「ホント、無頓着ですね。
今まで人を疑ったことはないの?」
「どやろ。
真由美さん、僕のこと疑ってます?」
「なんで私が疑うの?」
「2人きりやり、僕が襲うかもしれませんよ」
ニカニカ笑うジミー大西をみて、真由美は笑った。
「はいはい、襲うならサッサッと襲ってください」
いった瞬間、ハアハアと獣のような息と重たいものがのしかかってきた。
悲鳴を上げながらはねのけるとベッドの下でズボンを下ろしたジミー大西が床に転がっていた。
「なにすんの!」
「襲っていいっていいましたやん」
「冗談に決まってるやろ!
とっとと帰れ!」
真由美にズボンを投げつけられて、ジミー大西は、半裸のまま部屋を飛び出した。
1994年、ジミー大西は、TBS「オールスター感謝祭」の「赤坂五丁目ミニマラソン」に出場。
海パン1丁で頭にバナナをつけて「馬にニンジン」ならぬ「ゴリラにバナナ」という姿で走った。
レース途中、快調に走るジミー大西を、沿道の客がエアーガンで撃った。
ジミー大西は頭にBB弾を受け横倒しになった。
すぐに病院に運ばれ、一晩入院することになった。
「ひどい」
男が笑いながら撃っていたと聞いた真由美はベッドの横で涙を流した。
検査の結果、脳に異常はなく、ジミー大西はすぐに仕事に復帰したが、数日、働いた後、真由美に1日休みをプレゼントされた。
ジミー大西はその日、早朝からさんまの家に遊びに行った。
着くと大竹しのぶが朝食を作っている最中。
ジミー大西は
「コレ、つまらないものだんですけど」
といって紙袋に入れた大量のジャガイモを渡した。
「なになに、どうしたの?
今までこんなことしたことないじゃん。
何か企んでる?
何かボスに頼み事?」
「ちゃいます」
「ホントかなあ」
基本的に大竹しのぶはジミー大西を人として好きだった。
以前、ジミー大西が、突然、引退を打ち明けにきたことがあり、そのときさんまは
(1週間もすれば気が変わるだろう)
と思って
「1週間しっかり考えろ」
といった。
そして1週間後、確認すると、ジミー大西は
「ストリッパーのヒモになります」
と答え、それを横からみていた大竹しのぶは
「あなた本当にバカね」
といった。
やがて2階から起きたばかりのさんまが下りてきた。
大竹しのぶに紙袋をみせられ
「久しぶりに来たと思ったら、何企んどんねん」
といった。
ジミー大西は頭をかいてずっと悩んでいたことを打ち明けた。
「ようわからんのです。
なにをしたらええか」
「アホか。
そんなん、お前、好きなんやったらええがな」
「ほな好きなことしていいんですか?」
「人間はな、好きなことせな、進歩せえへんの」
ここで大竹しのぶが質問。
「でもさ、嫌いなことでも、好きになる努力すれば進歩じゃない?」
「それもありや。
でも好きなことしてるときは努力してるなんて意識ないやろ」
「そうだよね」
「そもそも俺は努力いう言葉、嫌いやねん。
辞書から消したいねん。
俺、ええこというたな。
メシ食おう」
「はい、いただきましょう。
ほら、ジミーちゃんも」
次の日、大阪で仕事が終わったジミー大西は、
「みせたいものがある」
と真由美にいわれ、タクシーで古いビルに連れてこられた。
階段を上がって扉を開けると、コンクリート打ちっぱなしのガランとした部屋に、絵の道具が置いてあった。
「ピカソの気分?」
真由美はいったが、ジミー大西は素直に喜ばなかった。
「アカン、なんか落ち着かん」
「楽屋や喫茶店で周りに気兼ねして描くよりいいかなって」
「別に楽屋でもエエねん」
「なんて?」
「描く気になればどこでも描ける」
「どういうこと?」
「せやから道端でも公園でも描く気になったらどこでも描けるいうてんねん」
「じゃあ、ここは無駄ってこと?」
「わからんやっちゃな
描く気にならへんいうことや」
「なんで?」
「そんなんわかってたらとっくに描いてるわ。
わからんからイラついてんねん。
自分でもようわからん。
絵を描こう描こうとすると気が急いて描けへん。
若に迷惑かけられへんし、どないしたらええのか。
ようわからんようになって、落ち着いて描ける場所あったらいうてもてん」
「私がそれに乗ってしまったというわけ?
アホやな」
「ほんまのアホは僕です。
真由美さんのせいやない」
「私がアホやねん。
アトリエどこがいいかなってあっちこっち探し回って・・・
そんなことよりも肝心のジミーさんの気持ちがわかってなかった・・・
知り合ったばっかりやのにいっぱしのマネージャー面してごめんなさい」
うつむいて肩を震わす真由美をみて、ジミー大西はイスに座って机に向かった。
「よう見つけてくれて、ありがとう」
鉛筆を握るとなにも考えずに線が引けた。
アトリエのことを知ると、みんなに
「番組のオチの絵を描くだけなのにアホやな」
「画家気取りか」
といわれたが、1度描き始めるとジミー大西はすごかった。
仕事、食べること、寝ること以外はひたすらキャンパスに集中。
真由美は、他の仕事はできるだけセーブし、絵もそばについてサポート。
キャンパスには誰か、人の顔が描かれていて
「誰の絵?」
と聞いたが教えてもらえず、そのうち真由美が近づくとジミー大西は絵を隠すようになった。
そして絵は完成し、スタッフに運ばれていった。
「芸能人絵画オークション大会」の本番当日。
仁科点展への出品経験者や美大出身の芸能人の絵が次々と紹介されていった。
その度にスタジオには歓声が起こり、審査員の美術評論家がコメントしていく。
そして視聴者参加型のオークションで、次々の値がついていった。
オチという重要なポジションを背負ったジミー大西と真由美は
「どうかウケますように」
と祈っていた。
「それでは最後の作品、ジミー大西君。
どんな絵かみてみましょう」
島田紳助が覆っていた布を外すと、会場はシンとなった
奇妙な絵だった。
人の顔であることはわかるが、その大半が赤く塗られ、唇は青で頬に4本の緑の線が走っていた。
「ではジミー君、どうぞこちらへ」
紳助に呼ばれジミー大西は小走りで絵の前へ。
「何でしょう、この絵は?」
「これはマネージャの顔です」
「マネージャー?
この口はなんでこんな風に?」
「はい、いつも僕を怒らはるんで青色にしました」
「怒ってる口は青なんや」
「はい」
「なんで?」
「自分でもようわかりません。
すんません」
「すんませんて?」
「もっとドーンとウケると思いました」
「そやな、俺もお前の絵がオチやと思ってたから、なんか中途半端な空気やな」
「すんません。
でも一生懸命描きました」
紳助は腕を組んで絵を見つめ、そして
「まあ、ほなオークションいきましょう。
ジミー大西君の絵、なんぼの値段がつくでしょう」
金額を示す電光掲示板の数字は、あっという間に10万円に上がり、最終的に33万円になった。
「なんと33万円。
すごい値段がつきました」
紳助は興奮してジミー大西をバシバシと叩いた。
「お前、すごいやないか。
ダントツの最高額やぞ」
「33万っていくらですか?」
審査員は
「唇が青というのはジミー大西さんにはそうみえるんですよね?」
と聞き、ジミー大西がうなずくと
「これはまさにキュービズムです」
といった。
「絵は見たまま描かなくてもいいという手法ですね。
異なる角度、異なる視点でとらえて描く。
ピカソが編み出したともいわれています」
「お前、キュビズムって知ってた?」
「はい」
「ホンマか?」
「私、ウソをついておりました」
「そんなんええねん」
爆笑が起こり、ジミー大西はニヤニヤ笑った。
評論家に絶賛された絵は、ジミー大西が真由美の顔を感じたまま描いただけだった。
楽屋でショージたちと一緒に番組をみていたさんまは
「オチとしては弱いな」
と思っていたが、アッという間に30万円の高値がつき呆気にとられた。
その話を聞いた大竹しのぶは
「それって恋の始まりじゃん」
と目を輝かせた。
深夜番組だったのにもかかわらず、ジミー大西の絵は評判になり、吉本には絵を描いて欲しいという電話が殺到。
真由美は上司にそれらの依頼に応えるよう指示された。
そして広告代理店が銀座の一流画廊で展示即売会を企画し、吉本を訪れ、
「ジミーさんの絵を30点ほど飾らせてください」
といってきた。
「僕の絵、30点」
と落ち込むジミー大西に真由美は絵の点数でないことを教えると
「あっ、点数ちゃうんか!」
といつものボケっぷりをみせた。
その後、広告代理店は個展の宣伝を開始し、ジミー大西は絵の製作に入った。
最初はあれほど苦しんだのに1度描いてしまうと後は絵が描くのが楽しくて仕方なかった。
しかし本業のお笑いでミスを連発した。
どこか気が抜け、間も悪く、ギャグを忘れ、セリフを忘れ、トチった。
さんまの番組でも、オチの一言をトバしてしまい、さんまと共演者がつくってくれた流れを潰してしまった。
「絵を描くほうに気がいってんねん。
お前は絵描きや笑いやといろいろ器用にできる男や無いからな。
二兎追う者は?」
「三兎も追う!」
「まあ欲張り・・・違うねん」
結局、さんまは
「笑いか、絵か、どっちにするか決めなアカン」
といった。
「笑いと絵と・・・」
「俺の干支、羊やねん」
さんまがボケると
「その干支ちがいますがな」
村上ショージがツッコんだ。
「何がや!」
「世田谷!」
「でっ、画家と芸人どっちいくねん?」
と聞かれジミー大西は
「どっちがモテますか?」
と答えた。
芸人か、絵か。
ジミー大西は、東京から大阪への新幹線で悩み続けた。
そして真由美にいった。
「個展の話しやけど、断れへんかな」
「えっ?」
「お笑いの仕事ちゃんとせんと」
「絵はやめるってこと?」
「わからんけど、若の役に立ちたいし、若は芸人として叱ってくれたし。
こんな絵なんかのせいで・・・
こんなんなんぼ描いても若は喜んでくれへん。
意味ないわ」
「意味ない?」
真由美はジミー大西の胸倉をつかんだ。
「個展断るのはええわ。
そんなん私が頭下げたらすむ話や
けどそれと絵をやめるのは違う話しやろ。
あんた絵描くとき目キラキラさせてるやん。
絵描くの好きなんやろ?」
「す、す、好きて」
「大事なのはアンタが今なにをしたいかや」
息がかかるほどの至近距離で真由美にいわれ、ジミー大西は
「な、なにがしたいて、キスしたい」
といった。
真剣な話をしているときに、ハアハアと息を荒くしてキスを迫ってくるジミー大西を真由美は思い切りひっぱたいた。
後日、ジミー大西は真由美に一通の手紙を渡された。
封筒いっぱいに大きな字で吉本の会社の住所とジミー大西という宛名が書かれてあった。
手紙をもらうのが初めてのジミー大西が、真由美にいわれて裏をみると、「岡本太郎」と書かれてあった。
「あの岡本太郎?!
ウソや。
だまされへん。
ドッキリやろ!」
小学生のとき、家の近くで大阪万博が開かれ、「太陽の塔」をみて興味がわき、誰がつくったのか学校の先生に聞いて教えてもらった名前だった。
真由美は岡本太郎が紳助のオークション番組をみていたらしいと伝えた。
開封すると
「前略、ジミー大西君。
四角い枠にとらわれるな。
キャンパスからはみ出しなさい」
と書かれてあり、手紙を持つ手が震えた。
「あ、あああああの、僕、絵描いてもかまへんかな」
その後、ジミー大西は絵の制作に没頭。
個展は連日、たくさんの人が訪れ、
「ひと目みて心を奪われる」
と評判になった。
個展では多くの絵が売れたが、お金に欲がないジミー大西は、その後、ドンドン絵を描いて、ドンドンあげていった。
師匠のぼんちおさむ、先輩芸人、お茶子のオバちゃん、番組関係者、たまり場にしている喫茶店などお世話になっている人々に無料で配り、特にさんまの家はジミー大西の絵でいっぱいになった。
まだ花月で進行係をしているとき、出番を間違えて中田ボタンに怒られ、反省するためにトイレットペーパーをチンチンにくくつけて下半身裸で階段に立つという事件を起こしたことがあったが、中田ボタンにも
「トチってすんませんでした」
といって絵を贈り
「何年経ってる思てるねん」
といわれたが
「この絵はええなあ」
とホメられた。
桂三枝は、ジミー大西が岡本太郎に「キャンバスからはみ出せ」と書かれた手紙をもらったことを知ると
「お前、芸能界からはみ出てるやないか」
といった。
1996年1月7日に岡本太郎が84歳で亡くなった。
20代でピカソの絵に影響を受けて芸術の道を志し、「ピカソを超える」ことを目標に芸術作品を次々と生み出した。
特に大阪万博で手がけた「太陽の塔」、渋谷駅構内のJR線と井の頭線の連絡通路に飾られている壁画「明日の神話」は有名だった。
絵だけにとどまらず、本を出してもベストセラー、テレビに出てもインパクトを残し、幅広い方面でその個性と才能を発揮した。
巨匠の死を知るとジミー大西は泣きながら
「もう自分の絵をみてくれてる人がおらへん。
絵はやめる。
芸人になる」
といい出し、芸人の仕事だけをして、絵はまったく描かなくなり、やがてアトリエには近づかなくなった。
そんなときピカソの故郷、スペインの画商から、1年間、こちらで絵を描いてみないかというオファーが入った。
ジミー大西は、吉本にスペイン行きを命じられたが渋った。
「無理や。
そんな1年も」
「スペイン行きなんて、またとない大チャンスやで」
「僕、スペイン語できひんし」
「通訳はつける。
絵だけ描いていればええんや」
ジミー大西と会社は押し問答。
しかしジミー大西は
「エッチできひんし」
といって断った。
しかし周囲からみると間違いなくジミー大西は絵が好きだった。
吉本の利益などうでもいいが、ジミー大西が絵をやめてしまうことを心配し、真由美を含めいろいろな人が真剣に説得したが、ジミー大西がうなずくことはなかった。
しかし村上ショージとMr.オクレに
「ジミー、スペインのお姉ちゃんはおっぱい大きいで」
「ヌーディストビーチもあるらしいで」
といわれるとニカニカと笑いながら
「僕、スペイン行きます」
といった。
「なんやねん、それ」
「あっちでもがんばれよ」
「お前もがんばれよ」
こうして芸人としてもバカ売れしていたジミー大西は、スペインに渡った。
ダウンタウンの松本人志は、
「もったいないなぁ。
誰も勝たれへんで!
他に辞めなあかん奴いっぱいおんのに」
と惜しんだ。
2人はほぼ同期。
NSCに落ちたジミー大西は高校在学中から吉本で働きだしたので数ヵ月先輩になる。
スペインでは人里はなれた高台にあるアトリエで絵を描き続け、近くにある家で真由美と一緒に住んだ。
1年の滞在予定は3年に延長。
その間に真由美と結婚。
プロポーズの言葉は
「一生僕を食べさせてね」
だった。