日本中が熱狂した札幌冬季五輪、日本選手の頑張り

日本中が熱狂した札幌冬季五輪、日本選手の頑張り

1972年に札幌で開催された冬季オリンピックは、日本を含むアジア諸国の中で、初めて行われた冬季オリンピックでした。まだまだ冬季オリンピックといえば、欧米各国の選手がメインとなっていた時代、有色人種圏における史上初の冬季オリンピックでもあったのです。


札幌で開催された冬季オリンピック

1972年2月3日、ちょうど50年前に当たる冬の時期に、ギリシャのオリンピアから運ばれてきた聖なる火が、札幌の地に造られた聖火台に点火されました。日本だけではなくアジア地域においても、初めての冬季オリンピック。35ヶ国の国々から集結した1,006名のアスリートを迎え、歴史的な冬のオリンピックが開催されたのです。

日本が熱狂した日の丸飛行隊

日本で開催されるオリンピックで、地元の声援を力に金メダルを獲得するなんて、当時では夢の出来事でした。そんな夢の出来事が札幌1972で起こるとは、誰も予想していなかったことでしょう。スキージャンプ男子ノーマルヒル、いわゆる70m級ジャンプに出場した笠谷幸生は、2本のジャンプともに最上位のポイントで、日本人初となる冬季オリンピック金メダルを獲得したのです。しかし、ドラマはこれだけでは終わりませんでした。

実は、1本目のジャンプが終わった時点では、1位笠谷、2位青地、3位金野、4位藤沢と上位4人に日本が並ぶという考えらえない事態が起こっていたのです。しかし、残念ながら藤沢が2本目のジャンプで距離を伸ばず脱落。でも、青地・今野の両選手はともに見事なジャンプを決め、笠谷・金野・青地の3選手で表彰台を独占したのです。現在のところ、冬季オリンピックにおいて、日本勢がメダルを独占したというのは、この時だけ。この歴史的な快挙に、日本のみならず世界中の人々が日本人ジャンパーの活躍に熱狂したのでした。

この夢のような結果に、彼らは「日の丸飛行隊」と呼ばれ、日本のスキージャンプ人気の基礎を築いたのです。そして、次世代のアスリートたちへも大きな影響を与えることになります。26年後の長野1998の団体ラージヒル、日本が金メダルを獲得する立役者になった原田雅彦もそのひとりなんですよ。

銀盤の妖精、ジャネットリン

フィギュアスケート女子シングルに、アメリカ代表のジャネット・リンが出場しました。そのさわやかな笑顔は、大会の華と話題沸騰。結果は銅メダルにとどまったのですが、ジャネット・リンの人気はまさに金メダル級でしたね。注目の自由演技では、転倒をしても抜群の笑顔と表現力で観客を魅了しました。「氷上の図形師」と揶揄される、優勝したオーストリアのベアトリクス・シューバは、ハデさのない落ち着いた演技が特徴。ジャネット・リンとは対照的な存在でした。

「札幌の恋人」とか「銀盤の妖精」などと呼ばれたジャネット・リンは、まさに金メダリストよりも有名な銅メダリスト。素敵な笑顔を絶やさぬ18歳のアスリートに、日本中の皆さんが夢中になったのです。彼女が一躍スターになったのは、尻もちをついた後も笑顔で演技を続けた姿でしたね。

会場となった真駒内屋内スケート場、満員の観客を沸かせたリンのフリー演技を、当時のサンケイ新聞は、真っ赤なコスチュームで会場に花が咲いたような明るさだったと伝えています。更には、躍動する美の極限をみるかのような演技で、まるで人間の形をしたチョウが踊るようだったと絶賛したのでした。

大健闘のアイスホッケー日本チーム

札幌五輪の参加資格を持つ国は、直近に行われた世界選手権の上位14カ国でした。しかし、財政上の理由で参加できなかった東ドイツ・ルーマニア・フランスを除いた11カ国が参加。世界選手権1位のソビエト連邦が予選ラウンド免除され、残る10カ国が世界選手権の順位に応じた組み合わになり予選が行われたのです。

予選で勝利したチームとソ連が決勝ラウンドで戦うことになり、敗けたチームが7-11位決定戦で順位を決定します。今大会ではアイスホッケー強豪国のカナダは参加していません。プロ選手の出場が不可ということに不満を持つカナダは、1970年以降の国際アイスホッケー連盟の大会には参加していないのです。

予選で日本は、世界第2位のチェコスロバキアと対戦。8-2で破れ7位~11位グループに入ります。しかし、ここから日本の頑張りが、会場を熱狂させることになります。ランキングからみると、日本より下にいるのがユーゴスラビアのみで、他は上位にある国ばかり。初戦は世界7位のスイスと3-3で引き分け、ユーゴスラビアには3-2で勝利。ノルウェーには5-4で惜敗した後、1勝1敗1分の成績の日本は、最終戦で3連勝中の西ドイツと激突になります。世界ランク5位の西ドイツは3勝とも圧勝しています。

誰もが西ドイツ圧勝と予想した試合は、激しい点の取り合いになり、なんと7-6で日本が西ドイツを破ったのです。最終的に9位となった日本ですが、西ドイツ戦はまさに歴史に残る試合になり、観客やテレビを見ていた日本国民のテンションも最高潮に達したのでした。

メダルまでもう一歩だった競技も

大倉山ジャンプ競技場において、笠谷幸生・金野昭次・青地清二の3人が上位を独占した70メートル純ジャンプ。日本が獲得したメダルは、冬季五輪初の金メダルに加え、銀メダル・銅メダルの3つでした。メダルの獲得はこれだけでたが、リュージュ競技において4位と5位、ノルディック複合でも5位に入賞と、大いに健闘したのです。

当時は、まだまだ世界レベルに達していなかったウィンタースポーツ競技。しかし、この札幌冬季五輪をきっかけにして、数々のアスリートが誕生し、以後の世界選手権や冬季オリンピックにおいて、多くのメダリストが生まれています。ジャンプ・ノルディック複合・モーグル・フィギアスケート・スピードスケートなど、今では日本のお家芸ともいえる競技も数多く、アジアの国でも欧米勢と肩を並べるようになったのは、とても喜ばしい限りですね。

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