鹿島アントラーズ
Jリーグが開幕した1993年の1stステージで優勝した鹿島アントラーズ。現在も呼称は変わっていません。
前身は住友金属工業蹴球団。住友金属がそのまま主な株主となっていましたが、合併により新日鐵住金→日本製鉄が大株主と引き継いできました。ですが2019年に筆頭株主がメルカリになり、鹿島アントラーズ・エフ・シーの社長にはメルカリの社長・小泉文明さんが就任しています。
開幕から、一度も降格経験がなく、順位が二桁に落ちたのも2022年現在2012年に11位になった1回だけです。
J1リーグ(優勝8回)、Jリーグカップ(優勝6回)、天皇杯全日本サッカー選手権大会(優勝5回)といずれもJリーグチームの中で最多記録を誇ります。
ジェフユナイテッド市原
ジェフユナイテッド市原の前身はは古河電気工業サッカー部。JR東日本と古河電気工業が50%ずつ出資した株式会社東日本ジェイアール古河サッカークラブが運営していましたが2009年にジェフユナイテッド株式会社の名前に変わりました。
ホームタウンは千葉県市原市だったのですが、2003年に千葉市に変更されています。そして呼称も2005年にジェフユナイテッド千葉に変更されました。
国内タイトルは2005年、2006年にJリーグカップで優勝しています。2009年にJ2に降格。古河時代を含め、降格したのはこれが初でした。ですが以来J2所属となり2022年現在、J1復帰はできていません。
浦和レッドダイヤモンズ
前身は三菱自動車工業サッカー部。浦和レッドダイヤモンズになってからは呼称の変更はありません。
J1リーグ、Jリーグカップ、天皇杯 (JFA 全日本サッカー選手権大会)の三大タイトルを取得しているチームの1つ。Jリーグのチームで初めてAFCチャンピオンズリーグで複数回優勝したチームでもあります。
レッズといえばサポーターがすごいというイメージがありますが、観客動員と営業収入は長年Jリーグ加盟チームの中で最高の成績を収めています。
1999年にJ2に降格するも翌年の2000年に復帰。2006年にはJリーグ年間王者に輝いています。降格を経験したチームで年間王者になったのはレッズが初めてでした。
ヴェルディ川崎
前身は読売サッカークラブ。2000年までは ヴェルディ川崎の呼称でしたが、2001年に川崎から東京都に移転したため、東京ヴェルディ1969に。1969というのは読売サッカークラブが創立された年です。2008年には「東京ヴェルディ」に再び名称変更しました。
1992年のJリーグカップで初代王者に輝きました。三浦知良選手、ラモス瑠偉選手、武田修宏選手など開幕当初の人気選手も多く強豪チームのイメージが強かったでしょう。ですが2005年にJ2降格。2007年に復帰するも再び2008年に降格し、その後はJ3降格圏内に入ってしまったこともありますが、J2に所属しています。
横浜マリノス
前身は日産自動車サッカー部。1999年に横浜フリューゲルスを吸収合併したため、現在は「横浜F・マリノス」という名前になっています。
運営会社である横浜マリノス株式会社(日産フットボールクラブ株式会社)は元々日産自動車が全額出資していましたが、フリューゲルスと経営統合した際に全日空スポーツも合併。現在は「日産70%・ANA30%」となっています。
J1リーグ、Jリーグカップ、天皇杯の三大タイトルを取得していて、J2に降格したことがないチームでもあります。J2に降格した経験がないのは横浜F・マリノスと鹿島アントラーズのみです。アジアカップウィナーズカップでも優勝経験があります。
横浜フリューゲルス
前身は中区スポーツ少年団で、その後、全日本空輸(ANA)が援助を行い横浜トライスターサッカークラブ、全日空横浜サッカークラブとなりました。
1993年にJリーグ開幕直後の天皇杯で優勝。1998年にも優勝しています。その他アジアカップウィナーズカップ、アジアスーパーカップでも優勝経験があります。
Jリーグ開幕に伴い、ANAとともに佐藤工業が共同出資していたのですが1998年に経営不振のため撤退を発表。ANAも一社でクラブを支える力がなかったため、日産自動車と協議の末、横浜マリノスに吸収合併されました。そんな中、最後に天皇杯で優勝したというのはすごいですよね。
オリジナル10で唯一消滅したチームです。ですが横浜フリューゲルスのサポーターの有志が株式会社横浜フリエスポーツクラブを創立。横浜FCが誕生します。JFLからスタートし、2007年にはJ1昇格しています。