松本家は、
祖父、昇次郎
父、譲一
母、秋子
長男、隆博
長女、直美
次男、人志
の6人家族。
長男、松本隆博の1番古い記憶は、幼稚園のときに松本家が兵庫県尼崎市の長洲から潮江に引っ越ししたこと。
兵庫県で1番の高級住宅地といえば芦屋。
その中でもダントツの富裕層が集まる六麓荘町は、山頂上付近。
海側から山側に行くほどリッチになっていくという法則は尼崎にも当てはまり、1番北側を走っている阪急電鉄沿線は高級住宅地街。
南にJR、阪神電鉄と下っていくと庶民的町になっていき、最終的に工場地帯となり、尼崎には海はあるがビーチはない。
松本家のあった潮江は、JR尼崎駅付近にあった。
大阪と隣接する尼崎は、兵庫県でありながら電話番号の市外局番は「06」
実際、大阪と雰囲気が似ていて利便性は最高。
震災後、再開発が進むと、「住みたい街ランキング」で上位に食い込み、「穴場だと思う街ランキング」では3年連続1位になったこともある。
しかしそれ以前は
「ガラが悪い」
「怖い」
というイメージ強かった。
神戸市灘区に山口組の総本部がある兵庫県は基本的に暴力団事務所が多いが、尼崎もヤクザが肩で風を切って歩き、抗争による殺人事件も起きていた。
「飲む、打つ、買う」がそろい、酔っ払いやすぐにキレるオッサン、歩きタバコ、ポイ捨てなどマナーの悪い人も多かった。
松本家のあった潮江もアスファルトの道路から少し入ると舗装されていない細い路地が入り組み、お湯を張ったタライに女性が裸で入っていたり、窓から大声で
「田中(角栄、当時の総理大臣)のボケェーッ」
という叫び声が聞こえたり、個性がある人が多く住んでいた。
松本隆博は、繁華街には行くとき、ヤンキーにカツアゲされるのを防ぐため、逃げやすいように靴を履いて、財布は小銭だけを入れてお札は靴下にしまっていた
一方、ヤンキーも団地に自転車を盗みに行って住民に上から包丁を落とされるなど、決してノビノビ生きているわけではなかった。
そういったデンジャラスな雰囲気がある一方、尼崎は気さくで親切な人が多い。
地元愛、尼崎愛が強く、みんな
「アマが好き」
とにかく明るく
「8割の人がボケとツッコミができる」
といわれるほどオモロい人が多い。
松本家は、お笑いに非常にシビアで
「面白くなければダメ」
が家訓。
食事をしているとき、父、譲一が
「ああ、腹減った。
ああ、でも腹も痛くなってきた。
どうしよ」
とボケはじめても家族は無視してご飯を食べ続けた。
「この矛盾、オオサンショウウオの小さいやつクラスの矛盾や」
とボケ続けたが無視。
「腹痛いけどメシ食いたいし。
出したいけど食いたい。
こうなったらしゃあない」
父、譲一はご飯に正露丸をかけて食べ出した。
「あーうまいなあ正露丸ご飯。
たまらんわ。
おかわり!」
それでも家族は無視し続け、人志に至っては次の食事のとき、父親と時間をズラして1人で食べた。
祖父、昇次郎の腕には入れ墨が入っていた。
いつも下駄を、それも先に鋼を入れた特注の下駄を履いていて、孫たちに
「なんでそんなんついてるん?」
と聞かれ
「ああ、これか。
・・・・これはな・・・飾りや」
と答えたが、実はケンカになったとき相手を蹴るためだった。
若い頃、北海道に住んでいた昇次郎は孫に
「寒かったで」
と当時の話をしたことがあった。
「なんでも凍るんや。
しょんべんしても下に落ちたらもう凍ってるんや。
じいちゃん、ドラム缶くりぬいて切ってきた木を燃やすんやけど、燃やすもんがなくなてきてなあ。
家の周りにぎょうさん野犬がおって、子犬とか呼んだらこっち来るんよ。
で、しゃあないがな。
その子犬をこうして(首を持って)・・・・」
「エッ!?」
「エェー!?」
「ウワァーなにすんの、じいちゃん」
ショックを受けた孫たちをみて昇次郎は
「ンッ・・・嘘やがな」
と恐らくウソをついて訂正。
昇次郎は人志の名付け親で、人志は
「人を志すって、まるで人じゃないバケモンみたいやないか」
と非常に気に入っている。
ある日、松本家に親戚がカルピスセットを持ってやってきた。
原液を水で薄めるカルピスは、子供たちにとって最高級飲料。
それが3本セットで、しかも1本は初めてのオレンジのカルピス。
早速、冷蔵庫に水と一緒に入れて冷やし、楽しみにして待っていた。
しばらくすると
「ガッシャンッ」
という音として、松本隆博が台所をみると、割れたオレンジカルピスと床をふく母、秋子、泣き叫ぶ3つ下の弟、人志がいた。
「アーッ待って」
雑巾がオレンジ色に染まっていくのをみて松本隆博は叫んだが、どうしようもなかった。
松本隆博は、毎日、ギリギリまでテレビをみて、8時27分に弟、人志と共に潮小学校に登校。
早めに登校して校庭で遊んでいる子供を
「元気やのう」
「アホちゃう」
と冷めた目でみながら教室に入った。
松本隆博、人志は、兄弟そろってB型で左利き。
シャワーを浴びると条件反射的にオシッコをしてしまうのも同じ。
礼儀、団体スポーツ、団体行動が苦手。
納得できないこと、意味がないことが嫌い。
人見知りで生意気。
そういう自分の性格を
「タチが悪いのではなく純粋でピュア」
と思っているのも同じ。
そしてそれが人には理解されず
「オレ、嫌われている?」
と思うと悲しくなるのも同じだった。
尼崎の小学校では、勉強ができるより、走るのが速いよりも、ケンカが強いより、オモロいことが1番エラい。
みんなお笑いに命をかけていた。
お楽しみ会のとき、お笑いを披露するのが当たり前。
人見知りでありながら人前で面白いことをするのは大好きという矛盾を抱えた兄弟、松本隆博、人志も相方を探して漫才をやった。
漫才でいい相方に恵まれなかった松本隆博は
1人でできる落語をはじめ、家族の前でも披露。
(大学では落研に入った)
それをみて母、秋子も負けじと手品を始めたため、一時期、松本家は寄席のようになった。
松本隆博は
・近所でも評判の「面白い子」だった
・人志が吉本に入ったとき、近所の人は「てっきりお兄さんのほうだと思った」といった
と自分はかなり面白かったと主張している。
実際、素人参加型の公開放送番組「素人名人会」2回出場は、人志の1回を上回っている。
「面白くない人っていないと思うんですよ。
恥ずかしがっているだけ。
それがムカつくんです。
恥ずかしい、恥ずかしいって、なんでそこでフタをするんや!
誰もみてへん思うてやれやって。
そこはまったく人志と同じですね」
(松本隆博)
また松本隆博は、B’zの松本孝弘と漢字違いの同姓同名で同い年だが、ロックではなくフォークミュージックの大ファン。
質屋で売られていた3000円の白いギターを買って、南こうせつや長渕剛を弾き始めた。
ギターは1日中弾いても全然苦にならないほど好きで、ずっと続けた。
松本家のトイレはクミトリ式で、2、3ヵ月に1回、バキュームカーが吸い取っていた。
松本隆博が小2のとき、学校から家に帰ると、玄関先で悲壮感丸出しの顔で弟、人志が立っていた。
「どうしたん」
「・・・カッカ・・」
「なんて?」
「カパ・・・・」
「なんて?」
「カッパ!」
「カッパってあのカッパ?」
「うん、カッパがな、ウンコしてたらおってん」
泣きながらいう弟、人志によると、ウンコをしていると下で気配がして、股の間からのぞくとカッパが見上げていて目が合ったという。
そしてカッパは片手を腰に当て、もう片方の手で顔にかかったウンコを払っていたと真剣に訴えた。
「それはないやろ」
松本隆博はいったが、以後、2人はウンコをする前に、必ず
「ウンコするでぇ。
どいてやあ」
と下に向かって断るようにした。
松本家の両親は共稼ぎ。
土曜日、午前中で学校が終わると子供たちは自分で昼飯をつくった。
人志の好物はチキンラーメン&ライス。
マルシンのハンバーグがあれば、ソース、ケチャップ、醤油などをブレンドしオリジナルソースをつくる。
そしてフォークをティッシュでつつんで捻り、洋食屋を演出。
みるのは、いつも吉本新喜劇だった。
松本家の食費は母、秋子の担当。
秋子は、朝、ミドリのおばさん(学童擁護員)をやった後、積水化学のセキスイパン工場で勤務。
朝、横断歩道で旗をもって立ち、我が子がやって来ると
「人志!
顔洗ったんか?
ホンマか?
目ヤニついてるで」
といってツバをハンカチにつけて拭いた。
浜田雅功も
「あんた散髪行きや。
もうお母ちゃんカッコ悪いわ。
もうガッソ(髪の毛が伸びて山賊のようになっていること)やで、ガッソ」
といわれた。
秋子は交通安全期間中、ミドリのおばさんとして各学校を回り、表彰を受けたこともあった。
あるとき父、譲一が、
「ワシもやる」
といい出し、2人で一緒に同じ横断歩道に立つようになった。
しばらくしてそれが新聞に載ることになり、新聞記者の取材を受け、日曜日なのに近所の子供を集めて横断歩道で撮影も行われた。
新聞に掲載されたタイトルは
「肝っ玉母さん」
一家の家計を支えるお母さんを称える記事だった。
それをみた譲一は
「ワシが悪者扱いや」
と不満気味。
しかし尼崎市から支払われていた時給は譲一の方が少なかった。
譲一は、よく転職し、しょっちゅう大酒を飲んで酔っ払って帰っていたので、松本家の子供は
「家の主役はオカン、オヤジは脇役」
と認識していた。
しかし松本隆博は、
「先天的な部分はオヤジ、後天的な部分はオカン」
と人志の芸風、シュールな発想と感覚は間違いなく父親だという。
松本家の子供は、世渡りの上手さ、食糧確保能力、そして人の顔の色を見る能力には自信があった。
父、譲一は、さっきまで笑っていると思ったら急に怒り出す、瞬間湯沸かし器のような人だった。
それは理由はあるのだろうが、あまりにも唐突で、松本隆博は何をしたかわからないまま、銭湯で湯船に放り込まれ湯をいっぱい飲んだことがあった。
水面の向こうのユラユラとした父親がニヤニヤと笑っているのをみて
「殺される」
と思った。
子供たちは父、譲一が帰ってきてガラガラと玄関を開ける音や、食事のときに箸を置く音などからキゲンを察知。
欲しいものがあっても絶対に買ってくれないことがわかっているので1度も
「買って」
とねだったことはない。
逆に譲一にドツかれる可能性もあり、ハイリスク、ノーリターン。
松本隆博は、寿司屋に連れて行ってもらっても気を遣って安そうなタコばかり食べた。
人志は自転車が欲しかったがいえず、乗っているフリをして「エアー自転車」で町を走り、ちゃんととエアーでスタンドまで立てて店に入った。
人志作詞、槇原敬之作曲&コーラス、そして浜田雅功が歌う「チキンライス」(2004年11月17日リーリス)の
「♪子供の頃たまに家族で外食
いつも頼んでいたのはチキンライス
豪華なもの頼めば二度とつれてきては
もらえないような気がして
親に気を遣っていたあんな気持ち
今の子供に理解できるかな?」
も実体験から書かれた。
松本隆博が小4のとき、松本家は初めてピクニックへ行った。
しかしそれは午前中に決定、午後、出発という突発的なもの。
イラチ(せっかち)な父、譲一はすぐに着替えて玄関で待機。
そのとき母、明子はまだ家着のままおにぎりを握っていた。
すでに玄関を離れ、通りに出てイライラする父、譲一。
3人子供は玄関で
「お願い、ケンカはやめて」
と祈っていた。
「おーい、まだか」
「誰かぁ、アレ知らん?
もう、どこやったの」
「おい、行かへんのか」
「もう、出したら元のとこ戻しや」
ついに譲一は、嫁、子供を無視し、先に駅まで歩いていった。
ゴタゴタを乗り越え、家族は目的地に到着。
おにぎりを食べることになったが、譲一が
「塩コブないんか?」
いうと秋子が
「そんなんヤンヤンいわれてもイッペンにでけへんわ」
と返したため、ケンカが勃発。
モメる両親をみて、松本隆博は思った。
「そもそも計画もなしに急に決まったピクニック。
一家心中するつもりやな」
人志も
「捨てられるな」
と思い、その後、父親に背中を向けないようにした。
家族で海水浴も1度だけ行った。
尼崎から電車で明石まで行き、そこからフェリーに乗って淡路島へ。
甲板の上は強風が吹いていて、松本隆博がかんでいたガムを海に向かって
「ペッ」
と飛ばすと、風で弟の髪の毛にひっついた。
ソッととれば問題なかったものを、人志は
「ワー」
とパニくって髪の毛にからませてしまい、泣き出した。
「チッ」
譲一は舌打ちし、カミソリを取り出した。
「アンタ、あんまり切りなや」
秋子がいう中、髪の毛を切られた人志はまた号泣。
「あー大丈夫や。
全然わからん」
家族全員に半笑いでいわれ、さらに泣いた。
民宿へ到着すると泳ぎが得意な譲一は、さっそく海へいこうとした。
しかし家族全員の水着が入ったカバンが見当たらない。
「海パンは?」
「えっアンタ持ってるんちゃうの?」
「なんでや!
お前ら持ってないんか?」
「・・・・・」
フェリー会社に電話したが見つからず、民宿の人に忘れ物を貸してもらうことになった。
しかし譲一の海パンは、なぜか肌色。
遠目には全裸の変質者のようだった。
秋子は海嫌いな上、泳げない。
「アンタ、絶対フザけんといてよ」
と警告。
「わかった、わかった」
といいながら譲一は、遠くから潜って嫁の足をつかんだ。
「ぎゃあーーー
もう何するのぉーー
殺す気かー」
と海水浴場に叫び声がこだました。
「死ぬまでに1回でいいから腹いっぱいプリンが食べたい」
松本隆博がいうと
「兄ちゃん、食べたいなあ」
と弟、人志も同意。
2人はお小遣いを出し合ってハウスのプリンを2箱買った。
そして協力し液体をつくり、どんぶりに流し込んで冷蔵庫へ。
数時間後、やっと固まったプリンをカレースプーンで食べたが、途中で胸が悪くなり残してしまった。
家庭科でみたらし団子をつくった松本隆博が、
「みたらし団子を作る技術を手に入れたぞ」
というと弟、人志は大喜び。
2人でお小遣いを出し合って材料を買って、みたらし団子づくりに挑戦。
団子が完璧に出来たが、みたらしがうまくできず2人で大泣きした。
松本隆博はカールが大好きだった。
あのフワッ、シュワッとする食感がたまらない。
しかしたまにカリッとするものも混じっていて、
「不良品や。
つくる工場のオッサンが焼きすぎたんや。
やっぱりカールは熟練工に焼いてほしいわ」
とグチった。
弟、人志が遠足にいくときも
「おやつはカールが最高やで。
ぎょうさん食べた気になるやろ」
とアドバイスした。
テレビをみていて
「♪それにつけてもおやつはカール♪」
とカールのCMが流れると弟、人志は
「何につけるねん!」
と怒り気味でツッコんだ。
松本隆博は
「それはとにかくカールにしとけっていう意味ちゃうか」
と諭したが、その後も弟、人志は
「せやから、何につけるんじゃ」
「チッお前、せやから何につけるんじゃ」
と怒り続けていた。
あるとき松本家は毎朝、ビン牛乳を取り始めた。
子供3人に毎朝2本が配達され、
「飲んで、飲んで、休んで、ちゅうことで」
という方式がとられた
母、秋子は仕事に行く前に3人の子供の弁当を作っていたが、多忙のためか、キレイに布で包んであるのに弁当の中は空っぽのときがあった。
あるときはご飯の真ん中にサバの缶詰が缶のまま刺さっていて、松本隆博は
「缶切りは?」
と思いながら、仕方なくご飯を食べていくと、ご飯の下、弁当箱の端のほうに缶切りが埋まっていた。
夜ごはんが夕食が焼きソバだった次の日、弁当箱に焼きソバだけが詰まっていた。
固まってほぐれず箸でブロック状にカットして食べながら、松本隆博は
「四角脳みそ模様」
と名づけた。
ある日、松本隆博は
「卵焼きが甘すぎる」
とクレームを入れると、母、秋子は
「(砂糖を)入れたほうがおいしい」
といった。
「食べるのは俺やん。
その本人が甘いゆうてるねんで」
「あーわかった。
明日から入れへんから」
秋子はそういったが松本隆博は
(ヤツはそういっていつも入れる)
と翌朝、気づかれないように弁当づくりを監視。
秋子が卵を割って箸で混ぜ始めたところで
「オカン!」
と出ていき、現場を押さえた。
「なんやのアンタ」
「みたで。
砂糖入れたよな」
「入れてないよ」
「見てたで。
ホラ、ここに砂糖が落ちてるし」
「・・・・入れたほうがおいしいに決まってるがな。
栄養満点やないの!」
「アレちゃうか」
松本隆博が小学校5年生のとき、家族で食事中、父、譲一が柱に下げてある水枕を指した。
松本家ではよくゴキブリが出て、夜中、ゴソゴソと音がして、電気をつけるとサーっと消える。
一体どこにいくのか謎だったが、どうもそのアジトが水枕の裏ではないかというのだ。
「よし、やろか」
「うん」
家族はアウンの呼吸で立ち上がり、各自、殺虫剤、新聞紙、スリッパなど武器を持った。
「ええか?」
父、譲一が水枕をのけると、水枕の形にゴキブリがかたまっていた。
そして放射線状に飛んだり走ったり、いっせいに逃走。
父、譲一は殺虫剤を家族にかけ、母、秋子は絶叫、姉、直美は泣き、人志はパニック。
松本隆博は気を失った。