佐良直美の生い立ちと音楽の原点
1945年1月10日、東京都生まれ。両親は佐良が物心つく前に離婚し、当初は川田直子という名で育てられたが、実際には祖父母に引き取られ、山口姓となる。芸名「佐良直美」は、姓名判断を受けて決定され、本名も芸名と同じ「佐良直美」とした。そして、離婚した父母の墓問題なども考慮し、両親の名字に対して中立でいるために本名も芸名と同じ「佐良」姓にした。

佐良直美
子供の頃は米軍ラジオFENを好んで聴き、カントリーミュージックやウエスタンジャズなどに親しんだ。15歳から、日本のジャズシンガーの草分けである水島早苗に師事し、ジャズを学ぶ。日本大学芸術学部放送学科に在学中は、米軍キャンプで歌うなど、音楽番組のテレビディレクター志望であることから、実践的な音楽経験を積んでいた。
レコード大賞と紅白歌合戦の記録
1967年、いずみたくに見出され、コロムビアで専属歌手となり、「世界は二人のために」で歌手デビュー。この曲は元々明治製菓アルファチョコレートのCMソングであり、CMでは男性コーラスが使用され、石坂浩二と小川知子が出演していた。このCM曲が佐良直美のデビュー曲となった。
明治製菓「アルファチョコレート」のCMソングでは男性コーラスによる仮歌で「♪愛、君と二人♪」と歌われていた。佐良直美による正式なレコード化に際しては、歌詞が「君」から「あなた」に変更されている。
デビュー曲で第9回日本レコード大賞・新人賞を受賞し、1969年には「いいじゃないの幸せならば」(作詞:岩谷時子、作曲:いずみたく)で第11回日本レコード大賞を受賞。レコード大賞歌唱賞候補には弘田三枝子、青江三奈が名を連ねていたが、司会の高橋圭三によって「いいんじゃないの幸せならば」と発表され、佐良が受賞。本人は当時を振り返り「ラッキーだった」と述べている。
授賞式で感激の涙を流す出演者が多い中、佐良と尾崎紀世彦のみが涙を見せなかった。そんな佐良に対して、初代二子山親方が「苦労知らずだから泣かなかった」と述べた。テレビディレクター志望だった佐良は、曲が完成するまでの作詞家・作曲家・選曲などスタッフの苦労を思うと、自分が泣いてはいけないと語り、プロとして私情を抑え、使命を全うしたと語っている。
佐良は1967年の紅白歌合戦初出場から13回出場し、そのうち3回は「世界は二人のために」を歌唱した。1972年からは紅組の司会を担当し、その後5回務めた。彼女が考案した「ラインダンス」は紅白歌合戦の恒例演出となった。
テレビ出演とパフォーマンスの特徴
佐良直美の人気番組出演で特に印象的だったのは、馬に乗って歌ったパフォーマンスである。子どもの頃から乗馬をしており、1976年12月6日放送の『夜のヒットスタジオ』では、愛馬「ターンスピード君(昭和44年3月8日生まれ・8歳)」に乗って、「ひとり旅」(作詞:吉田旺、作曲:浜圭介、編曲:萩田光雄)を披露した
当時の佐良は美空ひばりから「ぷっくりちゃん」というあだ名で呼ばれ、若々しい姿が印象に残る存在だった。
芸能活動休止の理由と“レズ報道”の影響
1980年5月19日、ハーフタレントのキャッシーがワイドショー『アフタヌーンショー』に出演し、レポーターの梨本勝氏に対して「佐良直美と同性愛関係にある」と告白し、話題となった。この発言は大きな騒動に発展した。佐良は全面的に否定し、後にキャッシーは謝罪の手紙を送付したが、当時の報道やLGBT(エルジービーティー)、レズビアン、ゲイ、バイセクシュアルに関する社会的背景の影響もあり、この“レズ疑惑”は大きな騒動となった。佐良直美はテレビから姿を消すこととなった。

水島早苗
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芸能界から身を引くもう一つのきっかけは、師と仰いだ水島早苗が亡くなったことで、自身の歌い方に自信が持てなくなったことによる。1986年には水島に捧げたジャズアルバムをリリースし、これで燃え尽きたと語る。1987年には声帯ポリープの手術を受け、1年間の歌唱休止を余儀なくされた。その後は祖父が創業した巴工業で9時から17時の勤務を18年間続け、非常勤の取締役としても在籍。同社の筆頭株主でもある。
「キャッシー」が40年越しで告白 「佐良直美」との秘恋 | デイリー新潮
2020年2月24日のデイリー新潮によれば、佐良とキャッシーは知人のタカラジェンヌを通じて知り合い、まもなく実家で同棲を開始。騒動後も関係は継続していたが、翌年キャッシーから別れを告げられ、その後は連絡が途絶えたという。ただし、キャッシーが結婚する際には佐良にも報告したとされている。
動物保護活動と27年ぶりの音楽復帰
1980年代に芸能界から離れた佐良は、巴工業の非常勤役員として働く傍ら、ドイツから犬用医療器具を輸入する事業にも関与した。1990年からは栃木県那須塩原市にて、犬のしつけ施設「アニマルファンスィアーズクラブ(AFC)」を設立・運営。歌手時代には地方公園で捨て犬を拾い、自宅に連れて帰っていた経験があり、それが現在の活動の原点となっている。米国のテリー・ライアンの指導を受け、ドッグトレーナーとして活動。また、自宅を開放して野犬の保護も行っている。

佐良直美
2010年11月24日、27年ぶりとなる新曲「いのちの木陰」(作詞:山川啓介、作曲・編曲:渋谷毅)をビクターエンタテインメントからリリース。英語表記は「The Shade of the Tree」。この曲は、動物への愛情や命の尊さをテーマにしたもので、佐良の希望により実現した。
この楽曲は、約1年後にTBSドラマ『居酒屋もへじ』の主題歌に採用された。レコーディングには、プロデューサーの石井ふく子も立ち会った。佐良にとってこの復帰は、歌の世界でお世話になったことへの恩返しであり、芸能界の引退ではなく休業であると位置づけている。
現在の佐良直美
2023年9月、動物保護活動を支援する宝塚OGによるチャリティーコンサートに出演し、自身の楽曲「いのちの木陰」を歌唱した。佐良直美は、現在も動物福祉への取り組みを続けており、YouTubeでは公式チャンネルを開設し、「いいじゃないの幸せならば」などの代表曲を発信している。
テレビ番組の収録では、佐良を知らない若いメイクスタッフから「佐良さん、歌が上手ですね。歌手になったらどうですか?」と真顔で言われたことがあるという。翌日、そのスタッフは佐良の過去の経歴を知って深く謝罪したというエピソードを自ら語っている。

佐良直美 スペシャル ・ コレクション
お酒については、若い頃はバーボンを好んでいたが、現在は焼酎を嗜むようになったとのこと。
佐良直美は「歌には未練はない」と語る一方で、動物保護活動への情熱は年々深まっている。現在は、飼い主の責任ある飼育と動物の安全確保を目的に、ペットへのマイクロチップ装着を強く推奨している。自身のYouTubeチャンネルなどを通じて、その普及にも積極的に取り組んでいる。
佐良直美は、昭和の歌謡界を代表する存在であると同時に、動物保護活動や企業経営など、さまざまな分野で自らの役割を果たしてきた。その歩みは、単なる芸能活動にとどまらない、多面的な人生の記録として今も語り継がれている。
AI が生成した犬。
シェットランド ・ シープドッグ画像。
【関連リンク】
佐良直美「いいじゃないの幸せならば」YouTube公式チャンネル
https://www.youtube.com/@shiawase-naraba
アニマルファンスィアーズクラブ(AFC)
佐良直美が主宰する家庭犬しつけ教室
https://afc-dog.jp/
優良家庭犬普及協会
佐良直美が代表を務める動物愛護団体
https://www.cgcjp.net/aboutus/代表挨拶