2005年9月21日、テレフォンショッキングのゲストは山崎邦正。
トークの最中、観客の男性の1人が突然、
「タモリさん、いいとも年内に終わるって本当なんですか?」
と質問。
タモリは
「いや、聞いてないですよ。
違うんじゃないですか?」
と冷静に返したが、山崎邦正は
「ちょっと待って下さい!
物凄くビックリしてんけど」
とうろたえた。
直後、タモリは山崎邦正に
「お前が連れてきたんだろ!」
「お前が来るから変な奴が一緒に来るんだよ!」
「気になって番組進めらんねぇだろ!」
「コマーシャル明けたらあそこにクマのぬいぐるみが座ってるぞ」
と責めた。
そしてCM明け、当該の客席にはクマのぬいぐるみが置かれていた。
2006年1月3日、三鷹の森ジブリ美術館のみで上映される約12分間の短編映画、「やどさがし」が公開開始。
原作・脚本・監督:宮崎駿
演出アニメーター:近藤勝也
美術監督:平原さやか
製作:スタジオジブリ
キャスト:タモリ、矢野顕子
新しい家を探す女の子(フキ)の旅のストーリーで、タモリはすべての効果音や擬音を声で演じた。
10月30日、テレフォンショッキングで、和田アキ子が
「『わ』の付く居酒屋で焼酎を割るためのお湯を頼んだら300円取られた」
と言い、その店が和民であることを明かしてしまい、この後にワタミの株価が下がった。
2007年、いいともで
「もし地球最後の日がきたらどうするか」
と問われ、タモリは
「全裸でいいともをやる」
と答えたが、若い頃は同じ問いに
「セックスに走る」
と答えていた。
また
「生まれ変わったら何になりたい?」
という質問には
「金髪美女になって、惜しげもなく裸をさらしたい。
「ナイスバディな女になってヌード雑誌であられもないポーズを披露したり、エッチなビデオに出たい」
と願望を述べている。
2008年2月24日、オールナイトニッポン40周年記念番組「俺たちのオールナイトニッポン40時間スペシャル」内で「タモリのオールナイトニッポン」が放送された。
2008年8月2日、赤塚不二夫が肺炎のために72歳で死去。
7日に執り行われた告別式で62歳のタモリは弔辞を読み上げた。
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弔辞
8月の2日にあなたの訃報に接しました。
6年間の長きにわたる闘病生活の中で、ほんのわずかではありますが回復に向かっていたのに本当に残念です。
われわれの世代は赤塚先生の作品に影響された第一世代と言っていいでしょう。
あなたの今までになかった作品やその特異なキャラクター。私たち世代に強烈に受け入れられました。
10代の終わりから、われわれの青春は赤塚不二夫一色でした。
何年か過ぎ、私がお笑いの世界を目指して、九州から上京して、歌舞伎町の裏の小さなバーで、ライブみたいなことをやっていたときに、あなたは突然私の眼前に現れました。
その時のことは今でもはっきりと覚えています。
赤塚不二夫が来た。
あれが赤塚不二夫だ。私を見ている。
この突然の出来事で、重大なことに私はアガることすらできませんでした。
終わって私のところにやってきたあなたは
『君はおもしろい。
お笑いの世界に入れ。
8月の終わりに僕の番組があるからそれに出ろ。
それまでは住むところがないから、私のマンションに居ろ 』
とこう言いました。
自分の人生にも他人の人生にも影響を及ぼすような大きな決断をこの人はこの場でしたのです。
それにも度肝を抜かれました。
それから長いつきあいが始まりました。
しばらくは毎日、新宿の「ひとみ寿司」というところで夕方に集まっては、深夜までどんちゃん騒ぎをし、いろんなネタを作りながら、あなたに教えを受けました。
いろんなことを語ってくれました。
お笑いのこと、映画のこと、絵画のこと、ほかのこともいろいろとあなたに学びました。
あなたが私に言ってくれたことは、いまだに私にとって金言として心の中に残っています。
そして仕事に生かしております。
赤塚先生はほんとうに優しい方です。
シャイな方です。
マージャンをするときも、相手の振り込みで上がると、相手が機嫌を悪くするのを恐れて、ツモでしか上がりませんでした。
あなたがマージャンで勝ったところを見たことがありません。
その裏には強烈な反骨精神もありました。
あなたはすべての人を快く受け入れました。
そのためにだまされたことも数々あります。
金銭的にも大きな打撃を受けたこともあります。
しかしあなたから後悔の言葉や、相手を恨む言葉を聞いたことがありません。
あなたは私の父のようであり、兄のようであり、そして時折見せる、あの底抜けに無邪気な笑顔は、はるか年下の弟のようでもありました。
あなたは生活すべてがギャグでした。
たこちゃん(たこ八郎)の葬儀の時に、大きく笑いながらも、目からはボロボロと涙がこぼれ落ち、出棺の時、たこちゃんの額をピシャリとたたいては「この野郎、逝きやがった」とまた高笑いしながら、大きな涙を流してました。
あなたはギャグによって物事を無化していったのです。
あなたの考えは、すべての出来事、存在をあるがままに前向きに肯定し、受け入れることです。
それによって人間は、重苦しい意味の世界から解放され、軽やかになり、また時間は前後関係を絶ちはなたれて、その時その場が異様に明るく感じられます。
この考えをあなたは見事にひとことで言い表してます。
すなわち、「これでいいのだ」と。
いま、2人で過ごしたいろんな出来事が、場面が思い浮かんでいます。
軽井沢で過ごした何度かの正月。
伊豆での正月。
そして海外へのあの珍道中。
どれもが本当に、こんな楽しいことがあっていいのかと思うばかりのすばらしい時間でした。
最後になったのが、京都五山の送り火です。
あの時のあなたの柔和な笑顔は、お互いの労をねぎらっているようで、一生忘れることができません。
あなたはいまこの会場のどこか片隅で、ちょっと高いところから、あぐらをかいて、ひじをつき、ニコニコと眺めていることでしょう。
そして私に「おまえもお笑いやってるなら、弔辞で笑わしてみろ」と言ってるに違いありません。
あなたにとって死もひとつのギャグなのかもしれません。
私は人生で初めて読む弔辞があなたへのものとは、夢想だにしませんでした。
私はあなたに生前お世話になりながら、ひと言もお礼を言ったことがありません。
それは肉親以上の関係であるあなたとの間に、お礼を言う時に漂う他人行儀な雰囲気がたまらなかったのです。
あなたも同じ考えだということを他人を通じて知りました。しかしいまお礼を言わさしていただきます。
赤塚先生本当にお世話になりました。
ありがとうございました。
私もあなたの数多くの作品のひとつです。
合掌
平成20年8月7日
森田一義
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弔辞は8分にも及んだが、後にタモリが手にして読み上げていたものには何も書かれていない白紙で、すべてアドリブだったことが判明。
「書こうと思ったけど前の日に酒を飲んで帰ったら面倒くさくなった」
まさに赤塚不二夫の「これでいいのだ」精神の継承者だった。
2008年10月、タモリはナインティナインの岡村降史と対談で
「そろそろ道を譲ってください」
「昔は40台半ばくらいでお笑いの方というのは別の道へ舵を切る」
といわれ
「そういう人は本来マジメな人で、お笑いでアホなことをするというギャップに年を追うごとに耐え切れなくなるからこそ方向転換するのであって、自分は違う」
と答えた。
同時期、いいともレギュラーの千原ジュニアは、オープニング後、CMに入ったスタジオでタモリが客席に向かって
「ノッてるか?」
『イエーイ』
「昨日セックスしたか?」
『イエーイ』
とやるのをみて
「このオッサン、変態や」
と思ったという。
2010年2月8日、テレフォンショッキングのゲストにMEGUMIが登場。
いつもは花であふれるステージだが、このときの花は1つだけ。
その唯一の送り主だった木村多江だった。
MEGUMIはこれが4回目のテレフォンショッキングで、以前の出演では、交通事故の遭ったエピソードを披露。
ドラマの撮影でロケに向かう途中、マネージャーの運転する車の後部座席で横になっていたところに後続のバス2台とトラックに追突され、恥骨だけを骨折。
2週間の入院中、医者が回診に来ると恥骨の辺りを触られるのだが、来ないと寂しかったという。
4月5日、テレフォンショッキングのゲストはガチャピンとムック。
コーナー終了後のCM明けに、スタジオの床にムックのものと思われる赤い毛が落ちていた。
2010年12月22日、テレフォンショッキングのゲストは大竹しのぶ。
以前テレビで共演したという戦場カメラマン、渡部陽一を
「どんな人かと思ったけど、いい人ですよね」
とお友達として紹介。
電話口に出た渡部陽一は
「ごぶさたしております。
渡部陽一です。
先日は、お世話になりました。
お元気ですか?」
と律儀に挨拶。
タモリは
「明日、来て、くれるかな?」
と渡部のモノマネで問いかけた。
12月23日、渡部陽一がテレフォンショッキングに登場。
「お友達…
2010年、最も1年間お力を頂いた方です。
それは千原兄弟!
はい、2人なんです。
僕が戦場カメラマンとして、こうしてテレビに出させていただいた一番最初から。
千原せいじさん・ジュニアさん、千原兄弟さんです!」
とお友達として千原兄弟を紹介。
電話を受けたジュニアは
「渡部さん、僕は、いいとも!レギュラーやらせていただいてまして・・・
レギュラーの方ってテレフォンショッキング出れないんですよ。
その辺のしきたり、ご存じなかったですか?
本来、ちょっと難しいんですけど。
そうですね、せいじさんと一緒にじゃあ、っていうことでいいですかね?
タモリさん、すいません」
タモリは
「クリスマスにせいじが来るのか」
と苦笑した。
2012年3月、テレフォンショッキングのゲストは矢田亜希子。
友達紹介で
「友達ではないんですけど大女優の女優さんを…」
と前置きをして大竹しのぶを紹介し、電話がつながると
「はじめまして、矢田亜希子と申します」
と挨拶してしまい、「友達の輪」にヤラセがあることが発覚。
4月、テレフォンショッキングで友達を紹介するシステムは消滅。
テレフォンショッキングのゲストのお友達紹介が廃止。
タモリが明日のゲストを紹介し電話で出演依頼する形に変更。
29年間続いた友達の輪は途絶えてしまった。
2012年7月、いいともで初めてタモリが出ないコーナーが出現。
それまで番組自体を休むことはあったが、いるのに出ないのは初。
鶴瓶はオープニングでタモリの腕をつかんで
「オッサン、バッくれるやろ!」
と抗議。
タモリ不在でコーナーが始めると
「タモリ!どこいったんや」
「タモリ!出てこい」
と叫んだ。
太田光はタモリ不在のコーナーができたことについてプロデューサーに説明を求め、
「タモリさんの思うところあって・・・・」
といわれた。
そして後日、タモリの楽屋を訪れ、
「どうですか、サボってみて。
調子どうですか」
と迫った。
2012年10月3日、いいとものテレフォンショッキングのゲスト、リリー・フランキーが
「彼女のリリコです」
と言いながら車イスにダッチワイフを乗せて登場。
大喜びするタモリと引き気味の客に
「リリコは僕が死んだとき喪主を務めることになっていますので黒い服なんです」
とさらにボケて、
「最近は工場のほうでオッパイの色も選べるんです。
せっかくだからちょっとピンク色の・・・」
と言いかけた所でジングルが鳴ってCMに入った。
2013年10月22日火曜日、「笑っていいとも!」のエンディングに、木曜ゲストの鶴瓶が乱入。
「俺、聞いたんやけど、いいとも終わるってホンマ?」
「来年の3月で、いいとも終わる」
タモリはサラリといい、みんな驚いた。
知っていたのは、フジテレビ上層部、タモリ、鶴瓶、このとき火曜レギュラーとしてステージに立っていた中居正広、当日それを知らされた番組プロデューサーだけ。
極秘の話し合いで決められ、鶴瓶はこの前日にタモリに電話で
「火曜日に発表するから来て」
と告げられた。
本番終了後、タモリは火曜レギュラー陣の楽屋を訪れ
「みなさんに挨拶してから発表すべきが情報漏れを懸念して本番で発表してしまいました。
ゴメン」
と謝罪した。
2014年3月21日、テレフォンショッキングに現職内閣総理大臣の安倍晋三が登場。
翌日の新聞の首相動静欄に
「タモリと会食」
と載せたいタモリの要望で2人は一緒にイチゴを食べ、安倍晋三総理は、タモリを
「無形文化財」
と称えた。
2014年3月31日12時、「笑っていいとも!」の最終回がスタート。
最後のテレフォンショッキングのゲストはビートたけし。
はかま姿のビートたけしは
「表彰状、タモリ殿。
長らく司会を務めてきた表彰状を……ちなみにすべてゴーストライターがかいたもの・・・
社会的人気映画監督で、総理大臣にしたいナンバーワン。
人気と実力を兼ね備えた私を呼んでいただきありがとう」
とタモリへの表彰状を読み上げ、青山葬儀所の割引券とおむつ1年分、多磨霊園永代供養券といった目録をプレゼント。
そして
「友達呼んじゃおう!」
といい電話がつながると、
「佐村河内です」
と自己紹介。
すかさず
「どうも新垣です」
と明石家さんまが電話出演。
最後にタモリが
「明日大丈夫?
朝8時ぐらいに」
と呼びかけると、明石家さんまは
「大丈夫! いいとも~!」
と元気よく応じた。
同日20~23時14分、「笑っていいとも!グランドフィナーレ感謝の超特大号」が放送された。
そして吉永小百合がいいとも初出演。
映画の撮影のため、ロケ先の千葉、南房総から中継での出演だったが
「お疲れ様でした。
すみません。
本当におうかがいしたかった」
と労を労い、スタジオには
「32年間ほんとうにおつかれさまでした。
どうかお休みが取れますようにと願っております」
と書かれた色紙と高級ブランドのバッグ、花束が届いた。
タモリは顔を真っ赤にし、周囲に
「テレてる!」
とからかわれ、吉永小百合に
「今回初めて操船するんです。
いつかタモリさんに(船に)乗せていただきたい」
といわれ
「いいとも!」
とうれしそうに答え、最後に
「私と食事に行ってくれるかな?」
と呼びかけ、吉永小百合は
「いいとも~!」
と応じた。
その後、「タモリ・さんまの日本一の最低男」が始まって、明石家さんまとタモリがトークを繰り広げた。
途中、ダウンタウンとウッチャンナンチャンが乱入。
浜田雅功が
「長い」
と先輩の明石家さんまの頭をどついて口にテープを貼った。
そしてコントのような爆笑トークを続けていると、今度はとんねるずが乱入。
とんねるずとの共演に、松本人志は
「ネットが荒れる~」
と発言。
直後、爆笑問題とナインティナインが登場。
再び松本人志が
「ネットが荒れる~」
すると太田光も
「荒れろ~」
と吠えた。
夢の競演にスタジオはさらに大興奮。
次から次に起こるドタバタ劇に、タモリは
「これプロレス?」
「これ俺の番組だぞ」
と訴えた。
その後、SMAPの5人が「ありがとう」を生歌唱。
月 三村マサカズ(さまぁ~ず)千原ジュニア(千原兄弟)、渡辺直美、指原莉乃(HKT48)、武井壮
火 大竹一樹(さまぁ~ず)、バナナマン、ローラ、澤部佑(ハライチ)
水 タカアンドトシ、柳原可奈子、栗原類
木 笑福亭鶴瓶、山崎弘也、ベッキー、ピース
金 関根勤、劇団ひとり、木下優樹菜
といういいともレギュラーがスピーチ。
タモリが視聴者に謝辞を述べ、ウキウキWatchingの大合唱後に
「あしたも見てくれるかな?」
「いいともー!!」
全員が叫ぶと、大量の紙吹雪が舞台両脇のキャノン砲から発射され、
「ありがとうございました!
感謝します!!」
というタモリの挨拶で31年半の番組にピリオドを打った。
最終回の平均視聴率28.1%、瞬間最高視聴率33.4%。
放送回数8054回は「生放送バラエティー番組 単独司会最多記録」としてギネス記録に認定された。
数ヵ月後、タモリはサントリー・ボスのCMに出演。
宇宙人ジョーンズに
「この惑星のテレビはタモリがいないと寂しい」
といわせた。
世間では平日のお昼にタモリをみられなくなり、喪失感や虚脱感に見舞われる人々が多く現れ、
「タモリロス症候群」、
略して
「タモロス」
といわれ、新語・流行語大賞の候補50語にノミネートされた。