【高見山大五郎】相撲人生といまを追いかけてみた!

【高見山大五郎】相撲人生といまを追いかけてみた!

この記事では高見山大五郎が相撲部屋に入門してから引退するまでの相撲人生と渡辺大五郎としてのいまを調査し、まとめてお伝えします。


愛称はジェシー、高砂部屋入門後の初土俵の四股名はジェシー

本名はジェシー・ジェームス・ワイラニ・クハウルアといい、愛称はジェシー。

ジェシーはアメリカ合衆国・ハワイ準州マウイ島出身で、地元ではアメリカンフットボールに打ち込んでいました。

しかし、交通事故で足腰を負傷し、1年間に渡って歩行困難になるほどの重症を負い、やむを得ずフットボールから離れざるを得なくなりました。

その後、ジェシーは運送会社で就業することになったのですが、明治大学相撲部部長の滝沢の紹介で高砂部屋の高砂親方を紹介され、5年間の衣食住の保証を条件に高砂部屋へ入門しました。

ジェシーは日本にやってきたとき、冬の季節だったのであまりの寒さに震え上がってしまいました。

1964年3月場所で初土俵に上がり、その時はジェシーという四股名でした。

初土俵は、新人紹介のようなもので、土俵に上がり、入門したことをお披露目する儀式なんです。

西序ノ口11枚目から東十両筆頭まで取り組み

・1964年

四股名を「ジェシー」から「高見山 大五郎※以後、高見山」と改名し、5月場所の番付は西序ノ口11枚目。

序ノ口から幕下までは取り組み回数は7戦で、4勝以上で勝ち越しとなり、番付が上がっていきます。

高見山は西序ノ口11枚目で、5月場所は6勝1敗で優勝しました。

この結果により、7月場所の番付は東序二段71枚目となり、前場所に続いてこの場所では7戦全勝優勝を飾りました。

高見山は外国人力士として着々と成績を残していたこともあり、世間からは注目を浴びていました。

9月場所の番付は西三段目22枚目、11月場所では西幕下92枚目と勝ち越しを続けました。

・1965年

1月場所では、番付が西幕下66枚目で初の負け越しとなり、3月場所では西幕下84枚目まで下がってしまいました。

この頃の高見山は、外国人力士として注目を浴びていましたが、幕下在位中は次第に注目度が薄くなり、そろそろ引退するのではとのウワサも流れていました。

実際にはウワサとは全く異なり、1965年度の取り組みは6場所中、勝ち越し3、負け越し3と同率でした。

11月場所は東幕下14枚目で負け越しとなったため、1966年の1月場所の番付は東幕下17枚目となりました。

・1966年

1月場所では東幕下17枚目からスタートして、勝ち越し4、負け越し2として、1967年1月場所の番付は西幕下2枚目となりました。

この年度では勝ち越し数が上回ったので、幕下上位の番付となりました。

・1967年

1月場所では西幕下2枚目からスタートし、3月場所の番付は東十両18枚目となりました。

高見山は、初土俵から3年目にして外国出身の外国籍の関取となり、話題の力士となりました。

5月場所、7月場所、9月場所すべて勝ち越しを決め、11月場所の番付は東十両筆頭になり、1967年の取り組みは全場所勝ち越しという成績を残しました。

この成績が1月場所の番付編成に高く評価され、東前頭9枚目に昇格となりました。

高見山は、十両入りのときと同じく、外国出身の外国籍の幕内力士となったわけです。

幕内昇格から引退までの取り組み

・1968年

東前頭9枚目からスタートして、1月場所では9勝6敗という好成績を残し、敢闘賞を授与されました。

相撲界では、敢闘賞、殊勲賞、技能賞という三賞があり、場所内で勝ち越しを決めると、場所終了までの取り組み結果によって受賞対象にノミネートされ、千秋楽には三賞が決定する仕組みになっています。

敢闘賞や殊勲賞は勝ち越ししたから必ず授与されるというのではありません。

取り組みの内容も評価されるので、受賞とならないことも多々あります。

とくに技能賞を受賞するのはとても難しく、歴代横綱の中では第49代横綱 栃ノ海6回、第58代横綱 千代の富士5回受賞されています。

しかし、名横綱と言われた力士でもなかなか受賞の機会がなかったようです。

3月場所は東前頭4枚目の番付で、取り組み4日目に横綱佐田の山と対戦し、突き出しで1勝3敗とし、大金星を獲得しました。

金星は、横綱との取り組みで勝利した場合、本来横綱が受け取るべき懸賞金を勝利した力士が受け取る仕組みなので、取り組み前に土俵で披露される化粧廻しの数によっては高額の懸賞金を受領できることもあります。

結果的に3月場所は5勝10敗で負け越しとなり、5月場所は東前頭6枚目の番付となりました。

続く5月場所は8勝7敗で勝ち越し、7月場所では7勝8敗でした。

9月場所は東前頭3枚目からスタートし、この場所の2日目の取組で横綱柏戸と対戦し、上手投げで勝ち取り、2度目の大金星をあげました。

場所終了の千秋楽では2回目の敢闘賞を授与されました。

11月場所では、西前頭筆頭でスタートしましたが、先場所とは裏腹に4勝11敗と負け越しとなり、1969年1月場所の番付は西前頭6枚目となりました。

・1969年

1月場所から11月場所までは、勝ち越しと負け越しともに同数でした。

9月場所で勝ち越しを決めたため、11月場所では西小結に昇進して勝ち越しを決め、1970年1月場所も西小結に番付となりました。

・1970年

1月場所は西小結でスタートして勝ち越しを決め、3月場所では東小結で負け越して5月場所の番付は西前頭5枚目となりました。

5月場所では先場所の負け越しを翻し、11勝4敗という好成績を残しました。

7月、9月と負け越しが続き、11月場所で勝ち越しを決め、1月場所の番付で再び西小結に返り咲きました。

・1971年

1月、3月場所は負け越しとなったものの、5月場所から11月場所まで4場所連続で勝ち越しを決め、1972年の1月場所の番付は西小結となりました。

・1972年

1月場所、3月場所は負け越し。

5月場所は勝ち越し、7月場所で幕内初優勝と殊勲賞を授与されました。

外国人力士としての初優勝は、当時のニクソンアメリカ大統領から祝電があり、また大統領選挙戦に出馬していた民主党ジョージ・マクガヴァン候補からも祝電がありました。

7月場所で13勝2敗の好成績で優勝という結果から翌9月場所では西関脇に昇進しました。

9月場所は負け越しとなりましたが、11月場所の10日目の取り組みで横綱北の富士と対戦し、押し倒しで勝ち取り、3度目の大金星の獲得と2回目の殊勲賞が授与されました。

1973年1月場所の番付で西関脇に返り咲きました。

・1973年

1月場所は勝ち越ししたものの、勝ち越しと負け越しは同数のまま、1974年1月場所は西前頭4枚目の番付となりました。

1974年1月から1984年5月場所までの取り組みは、勝ち越しと負け越しを続け、1984年の3月場所では西十両3枚目まで番付が下がり、5月には西十両12枚目で負け越しが決まり、引退されました。

その間に獲得した金星や三賞の取り組みは以下のとおりです。

・1974年3月場所 大金星2つと3回目の殊勲賞を授与。
 8日目の取り組みで横綱輪島と対戦して寄り倒しで金星1、11日目の取り組みで横綱琴櫻と対戦し、叩き込みで金星1の合計2つの金星を獲得しました。

・1974年7月場所 11勝4敗の成績で4回目の殊勲賞及び3回目の敢闘賞を授与

・1974年11月場所7日目の取り組みで横綱輪島に下手投げで勝利し、大金星を獲得しました。

・1975年1月場所10日目の取り組みで横綱輪島に寄り倒しで勝利し、大金星を獲得しました。

 同年9月場所7日目の取り組みで横綱輪島に上手投げで勝利し、大金星を獲得しました。

・1976年1月場所にて5回目の殊勲賞を授与し、9月場所にて5日目の取り組みで横綱輪島に押し倒しで勝利し、大金星を獲得しました。

・1977年3月場所にて5日目の取り組みで横綱輪島に押し倒しで勝利し、大金星を獲得しました。

 同年9月場所にて殊勲賞を授与されました。

・1978年5月場所5日目の取り組みで横綱輪島に寄り倒しで勝利し、9月場所では9日目の取り組みで横綱北の海に寄り切りで勝利し、それぞれ金星を獲得しました。

・1981年3月場所と7月場所では敢闘賞を授与されました。

引退後から東関部屋開設、そして日本相撲協会退職から東関部屋閉鎖まで

1984年5月場所を持って現役力士を引退した高見山。

引退後は、日本国籍取得の申請が許可され、年寄株「東関」を取得しました。

結婚後は夫人の姓を名乗って渡辺大五郎に改名し、東関親方として小錦、曙、潮丸、高見盛などの力士を育てました。

1989年に小錦が優勝を経験して大関に昇進、そして曙は東部屋初の横綱になりました。

東関親方は故郷であるハワイマウイ島へ帰国し、新弟子を募集したが、親方の声を聞いて周囲が驚き、結局、新弟子を獲得できませんでした。

東関親方は、現役力士の頃、取り組みの決まり手で張り手やつき押しによって喉を痛めてしまい、手術をすることで回復することはわかっていてもその後の治療が長引くことから、手術をせずにいました。

高見山の四股名で初優勝したとき、確かにCMに出演した高見山の声を聞いたらハスキーな感じでよく聞き取れないことがよくありました。

東関親方は、子どもたちにも人気があり、日本相撲協会主催のクリスマスイベントで国技館に幼稚園の子供達700名を招待し、親方はサンタクロースに扮して子どもたちにプレゼントを手渡していました。

その後、曙の退職、潮丸、高見盛の引退では大銀杏に止め鋏を入れる儀式などもおこなっていました。

一方で東関親方は日本相撲協会を引退し、東関部屋は潮丸が継承し、高見盛は後進の指導にあたっていました。

しかし、潮丸が病気のため、入院することになり、親方代理として高見盛が1年限定の親方として弟子たちの指導に当たるが、後継者が決まらなかったことから東関部屋は閉鎖となりました。

東関部屋に在籍していた力士は、八角部屋に転籍することに。

渡辺大五郎のいま

渡辺大五郎のいまを調べてみました。

東関部屋閉鎖後は、自宅で静かに過ごされているところまではわかりましたが、詳細な情報がみあたりませんでした。

ネット検索では、時折、メディアに登場したりなど元気に過ごされている様子も見かけました。

現在の年齢は78歳なので、元気に過ごされているのではと感じています。

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