バリ強! 田村(谷)亮子

バリ強! 田村(谷)亮子

柔道を始めて4ヵ月で男子相手に5人抜き(5連勝) うち2人は病院送り。中3で世界選手権4度優勝のカレン・ブリッグスを28秒で1本勝ち。国際大会初出場初優勝を果たす。


1991年11月10日、大阪でアジア選手権が行われ、田村亮子は、1回戦で湯礼江(中国)と対戦。
研究してきたのか、試合が始まると湯礼江はすぐに膝をついた低い背負い投げ、離れると頭を下げたままもろ手刈りとまともに組まずに攻めた。
焦る田村亮子が足をかけにいったところ、湯礼江は内股を合わせた。
田村亮子の右足首が湯礼江の体の下敷きになり、外側に捻じれて鈍い音が鳴った。
痛みで倒れこんでしまい、やがて畳の上に座って右足首をグルグルと回したが、結局、立ち上がることはできず背負われて退場。
負けた悔しさと右足首の痛みで泣きじゃくった。
まだ敗者復活戦が残っていたが、右足首は腫れ上がっていて、、ドクターは
「骨に異常はないと思うが、このまま安静にさせたほうがいい」
吉田信校長も
「これからの選手ですから・・・」
と棄権を勧めた。
しかし園田義男は
「足を引きずってでも戦え」
園田勇も
「勝ってこい」
と背中を押した。
テーピングで足首を固定してもらった田村亮子は、

敗者復活1回戦、不戦勝
2回戦、袖釣り込み腰で1本勝ち
3位決定戦、判定勝ち

と3位入賞。
その後、園田兄弟に交互におぶられて宿舎に戻った。
福岡に戻ると「右足首の靭帯損傷、全治3週間」の診断を受け、初の入院生活、そして初の柔道長期休暇に入った。

12月の福岡国際には1週間足らずの練習で挑んだ。
決勝戦の相手は江藤史子。
なかなか攻められず警告を受けながら、3分59秒、内股で1本勝ち。
残り時間1秒、ギリギリの勝利で2連覇を達成した。
世界選手権でのカレン・ブリッグス戦、アジア選手権での湯礼江戦、2つの敗戦を園田義男は
「亮子は攻める力はあるがしのぐ力がない。
変則柔道に対する免疫性もない」
と分析。

・寝技の強化
・どんな相手にも対応できる力を身につけること

を当面の課題とし、具体的には

・寝技を地道に強化
・寝技へ引き込もうとする相手への対策(例えば巴投げが来たら、右手を放して抜き相手だけが倒れるようにする)
・立技のテーマは「組手」、不利な組手から技をかけられるようにしていく

ということをやっていった。

1992年5月、バルセロナオリンピック代表の選考も兼ねた全日本体重別選手権が行われた。
高2の田村亮子は、ウォークマンで大好きなチャゲ&飛鳥の曲を聴きながら代々木第2体育館に入った。
その後も200人以上の報道陣が取り囲まれながら、できるだけリラックスし集中力を高め、

1回戦、不戦勝
2回戦、豊島さとみ(警視庁)に覚えたばかりの関節技で1本勝ち
3回戦、広瀬理英(湊川学園)に横四方固で1本勝ち
準決勝、永井淳子(筑波大)に内股で1本勝ち

と寝技の成長をみせつけながら連続1本勝ち。
決勝戦は江崎史子と4度目の対決を予想していたが、昨年の高校チャンピオン、長井淳子(埼玉大学)が江崎史子に試合終了間際の内股で勝ち上がってきた。
ずっと江崎対策を練ってきた田村亮子は拍子抜けしてしまい、試合開始数秒、足払いで「有効」を奪われた。
こうなると攻めるしかなく、7秒後に「有効」を取り返し、その後も攻め続け、判定勝ち。
思わぬ辛勝でオリンピック日本代表を決めた。
自分のペースに持ち込んだときは無類の強さを発揮する一方、思わぬ展開になると空回りしてしまうという弱点を露呈。
まるで綱渡りのような不安定さがあり、見守る者をハラハラさせた。

7月19日、バルセロナに出発。
時差の関係で同日、到着すると、そのまま地中海に面した選手村に入った。
翌日から電車で40ほどのSt.Joanという町に移動し練習を開始。
経験したことのないような暑さの中、田村亮子は園田義男と報道陣を無視するようにガンガン稽古。
練習が一段落すると道場の隅にいき1人になって精神力を高めた。
選手村の食事はバイキング方式で、スペイン料理をはじめ、フランス料理、中華、パスタ、ピザ、白ご飯、みそ汁までそろっていて、自由に食べられた。
選手村の中にはゲームコーナーなど娯楽施設もあり、少し歩けばビーチが広がっていたが、田村亮子はプライベートタイムもほとんど外に出ず、とにかく体調を崩さないように気をつけた。
25日、開会式。
このオリンピックから女子柔道が正式種目となり、柔道競技は男女それぞれ7階級、体重が重いクラスから試合が行われていった。
女子は72kg超級の坂上洋子が銅、72kg級の田辺陽子が銀と好スタート。
その後、66kg級、61kg級はメダルがなく意気消沈するも、56kg級の立野千代里が銅、52kg級で溝口紀子が銀と盛り返した。
しかし金メダルは0個。
残るは田村亮子のみとなった。

8月2日、田村亮子は選手村からバスに乗り、リンドバーグ(ロックバンド)が自分のために作曲してくれた「オーバー・ザ・トップ」を聴きながら試合場に移動した。

1回戦、動きが悪い田村亮子はアマリリス・サボン(キューバ)に「効果」を奪われたが、その後、積極的に攻めて判定勝ち。
2回戦、ロドリゲス(ブラジル)に上四方固で1本勝ち。
3回戦、李愛月(中国)に内股で1本勝ち。

そして準決勝でカレン・ブリッグス(イギリス)と3度目の対決。
これまで1勝1敗のイーブン。
試合はしばらく組手争いが続いた後、カレン・ブリッグスがいきなり巴投げ。
田村亮子は練習してきた右腕抜きはできなかったが、うまく回避。
この投げでカレン・ブリッグスは肩を脱臼。
一旦、畳を下りてドクターに診てもらった後、なんと自分で肩を入れて、再び畳に上がった。
カレン・ブリッグスの不屈の闘志と容赦なく攻める田村亮子の武道精神に会場はヒートアップ。
しかしカレン・ブリッグスは痛みに顔を引きつらせ、その動きは悪くなる一方。
やがて主審が試合を止め、副審と協議した後、カレン・ブリッグスの「反則負け」を宣告。
田村亮子はカレン・ブリッグスに
「これからはあなたの時代」
という言葉を贈られ、涙をみせないように天井をみながら引き上げた。
(カレン・ブリッグスは3位決定戦でも敗れて5位に終わり、オリンピック後、引退)

決勝戦で、田村亮子はセシル・ノワク(フランス)と対戦。
1991年の世界選手権では、直接対決はなかったものの、ノワクは1位、田村亮子は3位という成績。
しかしセシル・ノワクは(寝技ができない)立技の選手で、その立技なら田村亮子のほうが確実に上だった。
だから日本側の多くが
「イケる」
と思っていた。
しかしセシル・ノワクは、フランスナショナルチーム監督の村上清(京都府出身、8段)から
「田村の弱点は技を仕かけて戻るときに重心がフラつくところだ」
とアドバイスを受けていて、虎視眈々とそのチャンスを狙っていた。
村上清は数年前に全柔連がフランス遠征にきたとき、中学3年生の田村亮子がフランス3位の選手を投げるのをみて、その後、ビデオで研究を続け、弱点を見出していた。
試合開始早々、146cmの田村亮子は相手を引き倒した。
162cmのセシル・ノワクは倒れかけた瞬間、捨身のもろ手刈り。
この奇襲に田村亮子はあっさり倒され
「効果」
信じられないという表情で立ち上がった田村亮子はすかさず攻め始めた。
まともに組もうとしない相手を投げることができず、残り時間1分を切るとまるで速射砲のように技を繰り出した。
終了間際、強引に攻めたところを足をとられて押し倒され(踵返)、2つ目の
「効果」
を奪われた。
時間がない。
阿修羅のごとく攻めたが、終了のブザーが鳴り、銀メダルが確定。
試合後、セシル・ノワクは
「(45kgの)田村は小さすぎる。
勝てるわけがない。
16歳と若くきゃしゃでまったくく怖くなく、初めてだったが勝つ自信があった。」
と外国人JUDO家らしいストレートで挑発的なコメント。
一方、田村亮子は
「負けは負けです。」
と柔道家らしく謙虚かつ潔く負けを認めたが、
「ノワク選手の方が、私より上でした。」
といった瞬間、目に涙をたまり、天井を仰ぎ、こぼれ落ちるのをこらえた。
まだオカッパの髪形を母親にハサミで切りそろえてもらい、高校ではクラスメートに「タムコ」と呼ばれ、カーペンターズの音楽を聴きながらメロンを食べるのが大好きな女子高生だった。
しかしこの後、負けることを拒否。
連勝記録をつくっていく。
(それはなんと4年間続く)

年が明け、初稽古の日、田村亮子は
「金色の笑顔」
と書初め。
実家で飼っている犬が産んだ子犬は
「アトランタ」
と名づけた。
2月、フランス国際の決勝でアマリリス・サボン(キューバ)と対戦。
アマリリス・サボンはバルセロナオリンピックで田村亮子に1回戦負けした後、敗者復活を勝ち上がり3位に入っていた。
カレン・ブリッグス(イギリス)が引退し、セシル・ノワク(フランス)も階級を上げたため、48kg級では最大のライバルと目されていた。
この試合でアマリリス・サボンでいきなり巴投げをしかけた。
おそらく寝技に引き込む狙いだったが、田村亮子は腰を落として防いだ。
そして1分55秒、背負い投げで
「技あり」
そのまま流れるように寝技に移行。
逆に寝技を仕掛けられたアマリリス・サボンは慌てて逃げようともがいたが、崩れ上四方固で1本負け。
自分より力が強く体が大きな相手を投げて押さえ込む姿は柔道の理想そのものだった。

4月、高校3年生になった田村亮子は柔道部のキャプテンになった。
次の目標は10月にカナダのハミルトンで行われる世界選手権。
それに出るためには7月の全日本体重別選手権に勝って日本代表に選ばれる必要があった。
果たして7月の全日本体重別選手権で

1回戦、白檀地香(天理高)、内股1本勝ち
2回戦、菊池みどり(仙台育英学園高)、関節技1本勝ち
準決勝戦、衛藤由佳(ミキハウス) 、優勢勝ち
決勝戦、長井淳子(埼玉大学)、優勢勝ち

と優勝し同大会3連覇。
長井淳子に足をとられて倒れるなど苦戦するシーンもあったが、基本的にスピードとパワーで圧倒し、左体落としや左小内刈りなど新らしい技も出て、天井知らずの強さをみせた。
9月25日、成田空港からカナダに向け出発。
オンタリオ湖に面する港町、ハミルトンに着くと翌日から練習。
9月30日に世界選手権が始まったが、試合は重量級から行われていき、田村亮子の出番は最終日。
決勝戦の相手は、李愛月(中国)
これまで2戦2勝、バルセロナオリンピックでも勝っている選手。
この試合で田村亮子は李愛月はもろ手刈りをされ、倒れかけた後、すぐに同じ技でやり返して倒し、会場をドッと沸かせた。
そして優勢勝ちし優勝。
初めて世界の頂点に立った18歳の女子高生は、書初めの通り、「金色の笑顔」を輝かせた。
これまでは試合前でもアイスクリームやケーキを気兼ねなく食べていたが、この頃になると体が大きくなってそれができなくなり、減量時には食べ物の夢をみたという。

結局、田村亮子が高校3年間で負けたのは、バルセロナ世界選手権、アジア選手権、バルセロナオリンピックの3度だけ。
大学進学に際しては、拓大、天理大、日体大など複数からお誘いがかかった。
中でも日体大の古賀捻彦は、田村亮子にとって同郷(福岡県)の先輩であると同時にバルセロナオリンピックで直前に大ケガをしながら金メダリストになった大尊敬している人物で、日体大は理想的な進学先だった。
古賀捻彦から連絡を受け、ここまでマンツーマンで田村亮子を育ててきた園田義男は、
「マンツーマンで指導できるのか?」
と聞いた。
古賀捻彦は
「それはできません。
彼女だけにかかりっきりになることはできません。
部員が200人以上いるんですから・・・」
と答え、結局、田村亮子獲得はならなかった。
田村亮子は柔道部のなかった帝京大学に進み、福岡県警を辞めた稲田明と共に柔道部の創設メンバーとなった。

1994年、全日本体重別の決勝で田村亮子は衛藤由佳(ミキハウス)と対戦。
前年の同大会準決勝で田村亮子に敗れた衛藤由佳は、フランスから日本に戻りミキハウスのコーチに就任した「タムラキラー」村上清 と1年間練習を積んできた。
バルセロナオリンピックでセシル・ノワクに勝たせた村上清は間違いなく「タムラキラー」だったが、かつて送襟絞で田村亮子を「参った」させた衛藤裕美子を姉に持つ由佳も、その素質と力を十分持っていた。
本来、衛藤由佳は背負い投げが得意だったが、村上清は田村亮子より身長で8cm高いことを理由に、奥襟を持ってその動きを封じて大外刈りをしかける特訓をさせた。
途中、衛藤由佳が
「もうできません」
というと村上清は、
「ノワクはそんなこといわんかったぞ」
と怒鳴り、ミキハウスの道場には怒号が飛び交ったという。
実際、この試合で衛藤由佳は強くなっていたが、田村亮子はそれを上回り、合わせ技で1本負けした。
「亮子ちゃんのパワーがすごくて1年間やってきたことが吹っ飛ばされた」

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