ヴィジュアル系ビートロックバンドの激減!"脱・黒服"が進み "ヴィジュアルのソフト化"へ!!
1995年に入り、"脱・黒服" "ヴィジュアルのソフト化"の流れはさらに加速していきました。
LUNA SEAや同期デビュー組である黒夢・GLAY・L'Arc-en-Cielといったバンドは
よりポピュラリティーを強めていき、商業的な成功を収めていく事となりました。
LUNA SEAのシングル「DESIRE」はオリコンチャート1位を記録し、初の東京ドームライブ
"LUNATIC TOKYO"を成功させました。
またギタリスト臣の脱退を乗り越えリリースされた黒夢のアルバム「feminism」も
オリコンチャート1位を記録し、続くシングル「BEAMS」もヒット。
またこの年には、戦略的に黒服を纏っていたSIAM SHADEが脱・黒服してメジャーデビュー。SOPHIA・CASCADEもメジャー進出を果たしたのです。
1996年、GLAYはシングル「グロリアス」をヒットさせ、アルバム「BEAT out!」は
オリコンチャート1位を獲得。
続くシングル「BELOVED」も大ヒットとなり、同タイトルのアルバム「BELOVED」は
ミリオンセラーを達成。
L'Arc-en-Cielは、シングル「風にきえないで」「flower」「Lies and Truth」を立て続けに
ヒットさせ、アルバム「True」はミリオンセラーを記録。
ヴィジュアルも大きく変化し、hydeは女性的なイメージから脱却し、フェミニンな
美少年路線を打ち出しました。
黒夢は反旗をひるがえすように、アルバム「FAKE STAR」をリリースしパンクモードへ移行。
こうした流れに触発され、ソフトヴィジュアル系タイプのバンドがシーンに増殖しはじめます。
端的に言ってしまえば、ソフトヴィジュアル系とは"脱・ヴィジュアル系"の動きから生まれた
ヴィジュアル系バンドの新しいスタイル。
後に、黒夢の清春は「ヴィジュアル系と呼ばれる枠から抜け出そうと思ったが、結果として
ヴィジュアル系の幅を広げてしまった」と語っていました。
この他にも、GLAYに続きYOSHIKIのプラチナムレコードからDearがメジャーデビュー、
名古屋系バンドFANATIC◇CRISISはソフトヴィジュアル系路線に変貌を始め、
D≒SIRE YUKIYAはインディーズレーベルのKreisを設立、さらにBreak OutというV系に特化した
テレビ番組の放送が開始されるなど、時代の変動を予感させる出来事が相次いで起こりました。
また、ソフトヴィジュアル系バンドが台頭し始め頃から、ヴィジュアル系ビートロックバンドは
激減していきます。
これはソフトヴィジュアル系が、ヴィジュアル系ビートロックに取って代わった存在だという
見方も出来ますよね。
吉川晃司からの影響を感じるスタイルでメジャーデビューした”Kill=slayd”!!
布袋寅泰とのユニットCOMPLEXを活動停止した吉川晃司は、ソロ活動へと戻り
吉川流のビートロックを追求した作品を発表し、不動の地位を確立していきました。
いわゆる"東芝在籍時代の吉川"はビート系ファンから評価が高く、ヴィジュアル系バンドにも
大きな影響を与えていました。
そういった吉川晃司からの影響を感じるスタイルで、1997年にメジャーデビューしたのが
Kill=slaydなんです!
GLAYのTAKUROとのプロジェクトSTEALTHやC4の活動で知られるTOKIがヴォーカルを務める
バンドで、当初はD'ERLANGERインスパイア系のバンドだったのですが、徐々に吉川色の強い
ビートロックタイプのバンドへ変貌していきました。
中でも「Phirosophia」は超の付く程の名曲、ビート系ファンは必聴です!
シングル「とまらない鼓動」でメジャーデビューを果たした”VINYL”!!
シングル「とまらない鼓動」で1997年にメジャーデビューを果たしたのは、
ex.STRAWBERRY FIELDSのヴォーカリスト福井祥史と、ex.黒夢のギタリスト鈴木新(臣)の
ユニットVINYLです。
ビートロック、ジャパメタを基盤にしたキャッチーなロックンロールを聴かせ、
オムニバス「LEMONed Collected by hide」に「BE」で参加、シングル「とまらない鼓動」
「20世紀のマスタード」「ずっとそばにいて」の3枚、オリジナルアルバム「Go to VINYL」の
1枚を残しました。
Break Outは功罪相半ば?ソフトヴィジュアル系の隆盛!!
1998年、ソフトヴィジュアル系と呼ばれるバンド群は隆盛を極めていきました。
先発バンドたちの目覚ましい活躍はもちろんのこと、GLAYやDearに続きRAMARが
シングル「ヒマワリ」でプラチナムレコードからメジャーデビュー。
Kneuklid Romanceがソフトヴィジュアル系タイプへ路線変更しメジャデビュー。
Break Outが輩出したLastier、L'luvia、D-SHADEがメジャーデビュー。
Kreis出身のBlüeがメジャーデビュー。
その他にもILLUMINA、ALL I NEEDらがメジャー進出するなど、その勢いは絶頂を迎えました。
これ以降も、1999年のJanne Da ArcのメジャーデビューやメディアミックスバンドΛuciferの
登場を経て、2000年代初頭までソフトヴィジュアル系バンドは一定の勢力を保っていきました。
一方で、V系バブルと呼ばれたポストヴィジュアル系ムーブメントは翳りを見せ始めます。
そのブーム衰退の一因として考えられるのが、GLAYやL'Arc-en-Cielらの商業的成功に便乗した
ヴィジュアル系バンドの青田刈りです。
また、それを扇動した存在としてテレビ番組Break Outを批判する者も多く、同番組出演者も
痛烈に批判していました。
しかし、ヴィジュアル系の存在を一般層まで浸透させた功績は大きく、功罪相半ばだと言えます。
マスメジャーとコアアンダーグラウンド・BOØWYとヴィジュアル系バンドの共通点!!
BOØWYの「何処にも属さない、誰にも似たくない」「俺たちはパンクでもニューウェイヴでも
ない、BOØWYだ」という"アンチ右へ倣え精神"。
これは、ヴィジュアル系という言葉で一括りにされるのを拒み、唯一無二の存在を目指した
ヴィジュアル系バンドたちと繋がるところがありますよね。
またBOØWYは、洋楽のモノマネのようなバンドを嫌い、あくまで日本製のロックを追求し
「歌謡曲でも演歌でも良いものは良い」というスタンスを持っていました。
保守的なロックファンからは「歌謡ロックなどロックの歴史として語る価値もない」と
言われながらも、音楽的革新と大衆性を両立させ、歴史を変える伝説的ロックバンドと
なっていきました。
対するヴィジュアル系バンドたちも、ヒットチャートで戦えるロックとメジャー志向を
持っていました。
同じように「格好だけのバンド」「女子供が聴くミーハーな歌謡ロック」と蔑まされながら、
メジャーシーンと戦い、ロックバンドに市民権を与えました。
すなわち、BOØWYとヴィジュアル系に共通するものは、マスメジャーと
コアアンダーグラウンドを併せ持ったバンドのアイデンティティなのです。
ヴィジュアル系バンドを一括りにし「薄っぺらい歌謡ロックのアイドルバンド」と
蔑んだ人たちがいました。
表面的にしか物事を捉えられない人間は放っておけと言わんばかりに、彼らの音楽は
世界水準のクロスオーバーサウンドで、革新性と芸術性、そしてアンダーグラウンドの
空気感を漂わせていたのです。
近年、90年代ヴィジュアル系バンドが再評価されてからは、権威付けされたジャンルを
引き合いに出し「ヴィジュアル系というよりもはや○○の域に達している」という評価を
与える者もいました。
そういった洋楽至上主義・権威主義的な価値観を嘲笑うように、彼らの音楽は
下世話なまでに歌謡曲濃度が高く、大衆性を帯びたものでした。
かつて氷室京介は、BOØWYを「本物のロックンロール」と自負していました。
一部では批判されながらも、マイナー路線にも逃げず売れ線にも魂を売らないBOØWYが
"本物のロックバンド"であった事は歴史が証明しています。
そしてまた、BOØWYと同じスピリットを持ち、90年代に日本の音楽シーンを席巻した
ヴィジュアル系レジェンドたちも"本物のロックバンド"であったと、古代レリーフは
語っています。