漫画版では所属チーム名が「立木武蔵」となっていますが、ドラマ版では「立木大和」に変更。また、ライバルチームも「ニチボー」から「レインボー」に、「ヤシカ」が「ミカサ」に変更されています。これは、漫画版が実在するチーム名を使用していたため変更されたという事です。
最高視聴率39.3%、平均視聴率32.3%をマークした人気ドラマで、1973年には「坂口良子版」として続編が全24話放送されました。
実は続きがあった!
「ユミ、アタイはもうバレーが出来ないんだ…」不治の病「骨肉腫」に倒れたジュン・サンダース。
その死を乗り越えて活躍する「全日本チーム」・・・ドラマはここで最終回を迎えています。
コミックスも確かその場面で完結しているのですが、少女フレンドの連載では続きがありました。
牧コーチが「立木武蔵」とは別のチームを育てるというストーリーになっているのですが、なぜカットされたのでしょうね。
ドラマ版で病に倒れたとき、「ジュンを生きさせて欲しい」との声が多かったジュン・サンダースが亡くなり人気が下がった為ではないかとされています。
ドラマ版の最終回で放送されたストーリーで燃え尽きた感がありますね。その後の展開が面白くなかった為、漫画の方はヒット作のわりに地味なエンドになりました。
朝丘ユミ(岡田可愛)とジュン・サンダース(范文雀)の現在が気になる!
「サインはV」の出演をキッカケに女優として人気を得たお二人ですが、現在はどうされているのでしょうか。
岡田可愛
1981年頃に一般男性(美容師さんとの噂)と結婚されお子様が生まれたのを機に女優業を休止。
1989年 アパレルブランド「KAWAI OKADA」設立。
現在は、QVC(24時間テレビショッピングを放送する専門チャンネル)などで婦人用アパレルや豆乳おからクッキーなどを販売されています。
俳優の”岡田亮輔”さんが息子さんです。
「KAWAI OKADA(カワイオカダ)」 【QVCジャパン】 テレビショッピング・通販
范文雀
「サインはV」に続きスチュワーデスを描いたドラマ「アテンションプリーズ」に出演 人気絶頂の1973年 俳優”寺尾聰”さんとの結婚を機に一時芸能界を引退されていましたが、翌1974年には離婚され芸能界に復帰。
復帰後は、エキゾチックな容姿と演技力で数々の作品に出演されていました。
1998年頃 腋のリンパ節から「悪性リンパ腫」と診断され、半年間に及ぶ入院治療をされた後、、2002年11月5日 入院中だった東京都内の病院で死去されました。54歳という若さでした。
「アタックNo.1」を解説
「アタックNo.1」あらすじ
病気療養のために東京から静岡県の「富士見学園」へ転校してきた主人公・鮎原こずえは、不良グループを率いてバレーボール部に挑戦し勝利する。
「富士見学園」バレーボール部のキャプテンに迎えられたこずえが、バレーボールを通して成長していく姿を描く。
「アタックNo.1」おもな登場人物
鮎原 こずえ:腸が弱くリンパ腺が腫れる病気の療養の為 「富士見学園」へ転校してきたが、東京では名門「明法学園」のバレー部に在籍していた。
早川 みどり:資産家のお嬢様。こずえに対してキャプテンの座を巡りライバル心を持っていたが後に親友となる。
一ノ瀬 努:鮎原こずえの遠縁の親戚。高校1年生の時に電車事故で亡くなる。
松長 竜二 :一ノ瀬 努の双子の兄(3歳の時に生き別れている)
本郷俊介:「富士見学園」バレー部コーチ兼富士見学園英語教師。
湯島 二郎 :こずえが入院中に知り合った富士見大学2年生。こずえと恋愛関係に発展する。
大沼みゆき:「富士見高校」バレー部のキャプテン。
猪野熊 大吾 :全日本ジュニアの監督。
シュレーニナ:ソ連ジュニアチームのキャプテンで、 こずえの中高時代最大のライバル。