マイク・タイソン vs イベンダー・ホリフィールド  不遇の黒人たちがボクシングに活路を見出し、アメリカの過酷な環境が最高のボクサーを産んだ。

マイク・タイソン vs イベンダー・ホリフィールド 不遇の黒人たちがボクシングに活路を見出し、アメリカの過酷な環境が最高のボクサーを産んだ。

マイク・タイソン、イベンダー・ホリフィールド、リディック・ボウ・・・ 1980~90年代、アメリカのボクシングは最強で、無一文のボクサーが拳だけで数百億円を手に入れることができた。しかしボクサーはお金のためだけにリングに上がるのではない。彼らが欲しいのは、最強の証明。そして人間は考え方や生き方を変えて人生を変えることができるという証だった。


1995年4月29日、バーナード・ホプキンスがセグンド・メルガドを7RTKOしIBF世界ミドル級チャンピオンになった。
1988年に敗戦デビューした後、22連勝していたバーナード・ホプキンスは、1993年のIBF世界ミドル級王者決定戦でロイ・ジョーンズJr. に惜敗。
2ヵ月半後には再起し、4勝してランキング1位に再浮上。
ロイ・ジョーンズJr. がSミドル級に転向しIBF世界ミドル級王座を返上したため、1994年12月17日、バーナード・ホプキンスとセグンド・メルカドが対戦。
セグンド・メルカドの地元、エクアドルのキトが2800mの高地だったこともあり、バーナード・ホプキンスは、5Rにプロ初ダウン、7Rにもダウン。
しかし終盤、追い上げて、試合は三者三様のドロー。
そして4ヵ月後、アメリカで再戦が行われ、バーナード・ホプキンスが7R TKO勝ちし、3度目の世界挑戦で念願のベルトを腰に巻いた。
ここから30歳の王者は、IBF世界ミドル級の王座を、20回、11年間、防衛。
その20回の防衛、19勝12KO(1無効試合)の中には、1996年1月のスティーブ・フランクとの初防衛戦は1R24秒TKOという世界最短KOタイ記録、オスカー・デ・ラ・ホーヤ、フェリックス・トリニダード、ウィリアム・ジョッピー、キース・ホームズ、グレン・ジョンソンといったビッグネームも含まれている。
バーナード・ホプキンスは、努力を惜しまず、ハングリー精神も失わなかった。
「自分の過去を忘れないため」
とプロボクサーになった後もトレーナーを連れて、かつて自分が入っていた刑務所のジムで練習することもあり
「2度と過去に戻らない」
という決意を強固にした。
トレーナーのブイエ・フィッシャーは、バーナード・ホプキンスの最大の武器は、才能や肉体ではなく、「自制心」だという。
バーナード・ホプキンスは、2011年年5月に46歳4ヵ月でWBC世界ライトヘビー級チャンピオンになり、ジョージ・フォアマンの最年長戴冠記録、45歳9ヵ月を18年ぶりに塗り替え、その記録をさらに2年近くも更新。
人間は考え方や生き方を変えて、人生を再生できることを証明した。

1994年11月5日、イベンダー・ホリフィールドに勝ってWBA、IBF統一世界ヘビー級チャンピオンとなったマイケル・モーラーは、初防衛戦にジョージ・フォアマンを選んだ。
ジョージ・フォアマンは復帰後3度目のタイトル挑戦。
サム・クックの「天使のハンマー」のBGMと「ジョージ」コールが鳴り響く中、フードをかぶったジョージ・フォアマンが入場。
マイケル・モーラーはラップミュージックに乗って入場した。
試合は序盤から一方的なマイケル・モーラーペースで毎ラウンド、ポイントで優った。
ジョージ・フォアマンは打たれまくれ顔が大きく腫らせたが、ダウンは拒否。
リングに根が生えたように、圧倒的なタフネスで立ち続け、しぶとく獲物を狙い続けた。
とても勝機はないようにみえたがジョージ・フォアマンはまったくあきらめなかった。
10R、打っても打ってもビクともしない相手に散漫になり始めたマイケル・モーラーにジョージ・フォアマンの右が炸裂。
象をも倒す拳をまともにもらったモーラーは立ち上がることができなかった。
劇的な逆転KOでジョージ・フォアマンは20年ぶりに世界ヘビー級チャンピオンに返り咲いた。
勝利の瞬間、ジョージ・フォアマンはコーナーポストの前で跪き、神に感謝した。
メキシコシティオリンピックで金メダルを獲ったのが1968年。
「キングストンの惨劇」でジョー・フレージャーを倒し世界チャンピオンになったのが1973年。
「キンシャサの奇跡」でモハメド・アリに8Rノックアウトされたのが1974年。
ジミー・ヤングに負けてリングから消えたのが1977年。
そしてマイケル・モーラーを逆転KOで倒して再び世界チャンピオンになったのが1994年。
45歳9カ月での戴冠は、最年長王座獲得記録となった。
「老いは恥ではない
あきらめず挑戦し続ければ輝き続けられる」
(ジョージ・フォアマン)
1994年12月、薬師寺保栄 vs 辰吉丈一郎のWBC世界バンタム級統一戦で、両陣営がどちらも地元で試合を行いたいため話がまとまらず、WBCによる入札になった際、両者とは何の接点もないが、ドン・キングがこの入札に参加。
ドン・キングは試合をプロモートするつもりはなく、落札したときは、どちらかに興行権を売るつもりでいた。

1995年3月10日、リディック・ボウが世界再挑戦。
WBO世界ヘビー級王者、ハービー・ハイドに挑み、6RKO勝ちし、1年4ヵ月ぶりの世界チャンピオンに返り咲いた。
1995年3月25日、3年半、26歳から29歳まで服役した後、マイク・タイソンは仮釈放となった。
釈放される日、刑務所の上空は報道のヘリが飛び、世界中の報道陣が集まった。
服役中、マイク・タイソンに面会するため、多くの人が刑務所を訪れたが、その中には契約をとるためのビジネス関係者が含まれていた。
マイク・タイソンは、服役中にイスラム教に改宗し、マリク・アブドゥル・アシスという名を持った。
そして読書によって感銘を受けた、毛沢東(右腕)、アーサー・アッシュ(左腕、男子テニス選手、4大大会で男子シングルスを制覇した初の黒人選手、黒人テニス選手の先駆者として活躍しエイズのため49歳で死去)、チェ・ゲバラ(左脇腹)の刺青を入れた。
1995年4月29日、バーナード・ホプキンスがセグンド・メルカドに7RTKO勝ちし、IBF世界ミドル級チャンピオンとなった。
1995年5月20日、1年前、マイケル・モーラーに判定負けし、わずか半年で王座陥落し、心臓病と診断されたことを理由に引退を発表したイベンダー・ホリフィールドがソウルオリンピックのヘビー級で金メダルを獲得したレイ・マーサー戦で復帰。
イベンダー・ホリフィールドは序盤から飛ばしてくるレイ・マーサーに苦戦したが、2度ダウンさせ、ストップ寸前まで追い込むなどして判定勝ち。
1995年8月19日、
「He's Back」
マイク・タイソンが、ピーター・マクニーリーというアイルランド系アメリカンを相手にカムバック。
試合前、マクニーリーは吼え、汚い言葉を吐きまくった。
一方、マイク・タイソンは物静かだった
試合当日、リングに向かうマイク・タイソンがビッグモニターに映し出されると会場は異様な空気となった。
まさに今から人を殺しに行くような男の顔に、みんなゾッとした。
戦うを生業に生きてきた男の黒い体は筋肉の鎧で覆われ、わずかな動作をする度に生き物のように動いた。
ピーター・マクニーリーは、記者会見の威勢はどこに行ったのか、明らかにビビっていた。
試合はたった89秒で終わった。
1R、マイク・タイソンがダウンを奪うとピーター・マクニーリーのセコンドがリングに乱入。
ピーター・マクニーリーは失格負けとなった。

1995年11月4日、WBO世界ヘビー級のタイトルを1度防衛した後、返上したリディック・ボウとイベンダー・ホリフィールドが3度目の対戦。
これまでの戦績は1勝1敗。
1戦目2戦目3戦目、リディック・ボウは肉体はドンドン大きくなり、イベンダー・ホリフィールドはドンドン髪の毛が薄くなっていきスキンヘッド。
3戦目は、これまでと違いノンタイトル戦だったが、1番激しい打ち合いとなり、ダウンの応酬となった。
体が数段大きいリディック・ボウに対しイベンダー・ホリフィールドは勇敢に打ち合っていった。
リディック・ボウはイベンダー・ホリフィールドのボディにパンチを集めた。
6R、打ち合いの中で放ったイベンダー・ホリフィールドの左フックで204㎏のリディック・ボウがダウン。
リディック・ボウはやっとの思いで立ち上がったが、イベンダー・ホリフィールドの追撃にコーナーにつまりピンチ。
イベンダー・ホリフィールドも疲れていたのか攻め切れなかった。
7R、イベンダー・ホリフィールド有利。
8R、両者強気の打ち合いの中、イベンダー・ホリフィールドのパンチでリディック・ボウがグラついた。
瞬間、チャンスと前に出たイベンダー・ホリフィールドにリディック・ボウがなぎ払うように放った右がヒット。
カウンターとなりイベンダー・ホリフィールドは前のめりにリングに崩れ落ちた。
深刻なダメージを抱えながら、不屈の精神力でノロノロと立ち上がったが、イベンダー・ホリフィールドはファイティングポーズは取れない。
レフリーは試合を再開。
リディック・ボウはラッシュ。
右のパンチを2発もらって横倒しになり、ロープに跳ね返されマットに落ちたイベンダー・ホリフィールドをみてレフリーは試合を止めた。
イベンダー・ホリフィールド、初のKO負けだった。

1996年1月27日、バーナード・ホプキンスがスティーブ・フランクを1R24秒、右アッパーで倒し、TKO勝ち(ミドル級世界戦最速KO記録)
1996年3月16日、WBC世界ヘビー級チャンピオン、フランク・ブルーノにマイク・タイソンが挑戦。
7年ぶりに再戦となった。
ラスベガスのMGMグランドガーデンに1万6000人の観客が集まり、世界97ヵ国で放送された。
ファイトマネーは、チャンピオン、フランク・ブルーノが600万ドルなのに対して挑戦者、マイク・タイソンは3000万ドル。
世界中のボクシングファンがマイク・タイソンを待ち望んでいたのがわかる。
身長で11㎝センチ、リーチで28㎝、体重で12㎏で上回る相手にマイク・タイソンは懐へ鋭く飛び込んで強打を振るった。
フランク・ブルーノは飛び込んでくるマイク・タイソンに右ストレートと右アッパーのカウンターを狙った。
1R終盤、フランク・ブルーノが強烈な右アッパーを突き上げ、マイク・タイソンの腰が一瞬沈んだ。
しかしマイク・タイソンは強烈な右ストレートをフランク・ブルーノのアゴへ叩き込んで反撃。
2人とも相手を一撃で沈めるパンチ力を持っているので目が離せない。
2R開始直後、いきなりマイク・タイソンが飛び込んで左右のフック。
フランク・ブルーノはクリンチを使い必死に耐えた。
2R中盤、マイク・タイソンの左フックがフランク・ブルーノのテンプルをとらえ、さらにショートの右ストレートがアゴを打ち抜いた。
フランク・ブルーノは驚異的なタフネスでフラつきながら倒れなかった。
3R、一気に勝負に出たマイク・タイソンは左フックを力いっぱい振り回した。
フランク・ブルーノがサウスポーにスイッチして攻撃を防ごうとした瞬間、マイク・タイソンの強烈な左フックがフランク・ブルーノのアゴを打ち抜いた。
フランク・ブルーノは腰が落としたが何とかマイク・タイソンに抱きついてクリンチ。
マイク・タイソンは力任せにクリンチを振りほどき体重を乗せた左フック、右フック、右アッパーの3連打。
最後は左フック、右アッパーの2連打でフランク・ブルーノが崩れ落ちたところでレフリーが試合をストップ。
マイク・タイソンが3R TKO勝ち。
世界王者へ復権。
ボクシング界の中心に戻った。
1996年4月9日、マイク・タイソンは25歳の女性美容師から性的暴行で警察に訴えられた。
女性の弁護士によると、この美容師はタイソンとは面識がなく、 7日夜にインディアナ州ゲーリーから友人と共に訪れていたシカゴのナイトクラブで暴行され、近くの病院で手当てを受け退院した後、警察に訴えた。
警察は事件を捜査中であることを認めたが、ナイトクラブの支配人はラジオ局とのインタビューで
「タイソンは暴行していない
彼女はタイソンと2人きりにならなかった」
と語った。

1996年7月11日、イベンダー・ホリフィールドとの第3戦で6Rにダウンしながらも8RでTKO勝ちし決着をつけ、いよいよマイク・タイソン戦も視野に入ってきたリディック・ボウがアンドリュー・ゴロタと対戦。
アンドリュー・ゴロタは、193cm、108kg。
アマチュアでポーランド国内王座を7回獲得し、ソウルオリンピックで銅メダル獲得。
近年稀にみる実力派白人ヘビー級ボクサーとして14年ぶりの黒人以外の世界ヘビー級チャンピオンも期待されていた。
しかしソウルオリンピック、銀メダリストと銅メダリストの対決は、期待通りのものではなかった。
まずリディック・ボウは油断したのか、体に緊張感がなく、ボクシングもそれに倣った。
アンドリュー・ゴロタは、ダウンを奪うなど勝っていたが7R、ローブローで反則負け。
リディック・ボウは、オーバーウェイトでリングに上がり反則勝ちで辛勝。
どちらもイマイチという試合だった。
1996年9月7日、WBC世界ヘビー級チャンピオンマイク・タイソンとWBA世界チャンピオン、ブルース・セルドンが対戦。
ブルース・セルドンは、2度目の防衛戦。
ニュージャージー州アトランティックシティ出身でニックネームは「アトランティックシティ・エクスプレス」
マイク・タイソン同様、小柄だがスピードに優れた強打者で過去に強盗容疑で服役したこともあるのも似ていた。
1R、マイク・タイソンのフックが頭頂部をかするブルース・セルドンはダウン。
明らかにブルース・セルドンはマイク・タイソンを恐れていた。
2発目もクリーンヒットではなかったがブルース・セルドンは2度目のダウン。
「止めろ!」
観客が叫んだ直後、試合は中断された。
ボクシングにおけるタフネスとは、肉体的なものと精神的なものがあることが証明された瞬間だった。
マイク・タイソンは規格外のパワーを見せつけ、WBA、WBC世界ヘビー級統一チャンピオンとなった。
「ああ・・カス・ダマト。
あんたはツーダウンをとったぞ。
あとワンダウンで俺達の勝ちだ
あんたは遠い遠いところで寂しがってるんだろうな。
もう少し待っててくれ。
俺が肩の荷を下ろしてやるぞ」
(マイク・タイソン、リング上でのインタビュー)
セルドンは控え室で号泣し、以降8年近くリングから遠ざかった。
この試合の後、HIP HOP界の頂点に立ち、アメリカに大きな影響を与えた2パック(2Pac)が観戦した帰り道、乗車したまま何者かに射殺された。
2パックは、マイク・タイソン同様、ニューヨークのスラム生まれで、年齢は5歳下で、刑務所にいたマイク・タイソンを2パックが訪ねたときから友人となった。
マイク・タイソンは、2パックが所属するデス・ロウ・レコードのオーナー、シュグ・ナイトが経営するクラブ662で2パックに会う予定だったが、試合の疲れもあって家に帰って寝てしまっていたところ
「マイク、トゥパックが撃たれた!」
と起こされた。
2パックは試合後、カジノにいきギャングと口論になっていた。
そしてシュグ・ナイトの運転する車に乗っていて交差点で停止したら隣の車から発砲された。

2パックの両親はブラックパンサー党(1960~1970年代、黒人に武装蜂起を訴えた急進的政治組織)の党員だった。
母親は2パックを妊娠中、ニューヨークのの公共施設への爆弾テロ謀議を含む156件の罪状で投獄された。
2パックが生まれたとき、父親はおらず、母親と恋人と間にできた妹が生まれたが、その直前に母親の恋人は強盗容疑で60年の実刑判決を受けて投獄された。
生活は困窮しブロンクスやハーレムを転々とし、数年後、2パックの父親と母親が同居を開始。
12歳でハーレムの劇団に入った2パックは、1984年、牧師で公民権活動家だったジェシー・ジャクソンの選挙資金調達のためのイベントでアポロ劇場の舞台に立った。
「アレですっかりその気になっちまった」
1986年、メリーゴーランド州、ボルチモアの芸術学校に入り、演劇を学びながら、ラップに傾倒するようになり数々の詩を書きためた。
「ラップっていうのは演じることなんだ。
もっと上手くなりたいから努力もする。
誰よりも飛び抜けていたいしデカいことをやってやりたいんだ。
それに俺は生まれながらにしてリーダーの素質があると思ってる。
自分のルールで、自分の心のままに生きたいんだ。
だからといって誰かを支配したいなんて微塵も思わないけどね」
1988年、
「母親が知り合いの知り合いの知り合いのツテを頼って」
カリフォーニア州、マリーンシティに移住。
生活は荒れ、高校をドロップアウト(後に大検取得)し、ピザ屋とスーパーマーケットで働いたが、どちらも1ヶ月半、2週間と長続きせず、ドラッグの売買にも手を染めた。
やがてヒップホップ・グループ「デジタル・アンダーグラウンド」の一員となり、「Same Song」はグラミーにもノミネートされ、来日も果たしたが、ツアー中に母親がドラッグ中毒であることを知りショックを受けた。
1991年10月、20歳の2パックは、道路を歩行中に信号無視で切符を切られ警官に噛みつき、血だらけになって拘置された。
1ヵ月後、若いシングルマザーや警察の腐敗にも言及したアルバム「2Paqcalypse Now」を発表しソロデビュー。
1992年1月、人種差別に苦しむ黒人の行き場のない怒りを描いた映画「Juice(ジュース)」に準主役で出演。
4月、19歳の青年が騎馬警官を殺害した事件の裁判で、弁護人は警察を激しく批判した「2Paqcalypse Now」を被告が聞いたことが事件を起こしたきっかけとなったと主張。
9月、ダン・クエール副大統領は「2Paqcalypse Now」の回収を要求したがレコード会社は拒否。
1993年3月、リムジンの中でマリファナを吸って、それを嫌った運転手と口論になり訴えられ、4月にはミシガンで地元のラッパーのショーに乱入し、野球のバットを振り回して脅迫したとして逮捕され10日間拘留。
10月、2パックと仲間の乗った車が道路を横断中の女性と接触しそうになり、2人の白人男性(女性の夫と夫の兄弟)と口論になった。
2人の白人男性は共に非番の警察官で、彼らが銃を抜いたため2パックも銃を抜き3発発砲し、2人にケガを負わせ逮捕された。
(55000ドルを払って釈放された)
この2週間後、2パックはファンの19歳の女の子を3人の仲間と一緒に強姦しアナルセックスを強要したという容疑で告訴された。
1994年11月30日、2パックは
「ギャラ7000ドルのコンサートの話がある」
とレコーディングスタジオに呼び出された。
ビルの中に入りエレベーターのボタンを押すと、2人の黒人男性が乗り込んできて自動小銃を突きつけた。
連れはみんな床に飛び伏せたが2パックは立ったままだった。
強盗の1人が2パックからダイヤの指輪とゴールドのチェーンをもぎとり、
「バカ野郎、死にやがれ」
と頭部に2発、股間に2発、手に1発、銃弾を打ち込んだ。
病院に搬送され手術を受けて一命をとりとめた2パックは、3時間後、強姦事件の裁判に痛々しい車イス姿で出廷し判決を聞いた。
「強姦」、「武器の所持」については無罪。
「同意のない性的な接触」については有罪。
24歳の2パックは、11ヵ月間、刑務所に入ったが、その間にサードアルバムが発売され、長年のガールフレンド、キーシャ・モリスと獄中結婚。
そして娑婆に復帰後、2枚組アルバムを発表するなど活動していたが、1996年9月8日、ラスベガスでマイク・タイソン vs ブルース・セルドン戦を観た後、銃撃され、6日後に25歳で死亡した。
犯人は判明していないが、約2ヵ月後、2パックと車に同乗し後部座席から犯人をみたと証言したヤフー・フラーが何者かに頭部を撃たれ死亡した。

マイク・タイソンはいう。
「2パックが刑務所に来てくれたときのことは、絶対に忘れない。
2パックはすごいやつだった。
初めて会ったのは1990年、ロサンゼルスのサンセット大通りにあるクラブで開かれた業界のパーティだ。
パーティの主催者は俺の友人で、みんな粋な身なりをしていたが、小柄な黒人のストリートキッズがドアの近くでくすぶっているのがみえた。
『どうした、チビ?
調子はどうだ?』
俺はその小僧に声をかけた。
『べつに。
あんたはどうだい?』
とそいつは返した。
パーティに入りたいのがわかったから口を利いてやった。
小僧は『ちょっと待って』といい駆け出して仲間を50人連れて戻ってきた。
それが2パックだった。
全員裏口へ連れていって、そこから入れてやった。
俺はそのまま外でしばらく話をしていたんだが、中へ戻ると小僧がマイクを手にステージに上がってパーティを盛り上げているじゃないか。
信じられなかった。
ステージを下りたそいつと抱き合って一緒に高笑いした。
いつか特別な人間になるだろう予感がした。
話を刑務所に戻そう。
2パックの母親から手紙が来たんだ。
2パックは有名人だったから名前くらい知っていたが1990年にあのクラブを揺らした小僧だとは知らなかった。
手紙には2パックがショーに出演するためインディアナポリスに行く、俺に会いたいといっているとだけ書かれていた。
彼が面会室に入ってくるなり大変な騒ぎになった。
あいつの体重はたぶん60kgに満たなかったが実際よりずっと大きくみえた。
黒人も、白人も、ヒスパニックも、火星人も、みんな熱狂している。
刑務官たちまで喝采を送っていた。
あいつがそこまで有名なんて全然知らなかった。
姿をみて何年か前にロサンジェルスのパーティに入れてやった小僧だと思い出した。
あいつは『あんたのためにここでコンサートを開かなくちゃな』といい、テーブルの上に飛び上がった。
そして『愛してるぜ!!』と叫んだ。
俺はテーブルの前に座ったまま『下りてくれ、頼むから』と懇願した。
『マイク、自由になれ。
ブラザー、自由になれ』
みんなが喝采を送っている。
あいつは即興コンサートをやる気だったが、俺は心配になってきた。
全部平穏無事にいっていたのに、突然、2パックがテーブルに上がって、
おお、なんてこった、面倒なことになっちまう。
ようやくあいつをテーブルから下ろした。
初めて会ったときのことは絶対に忘れないとあいつはいう。
『あのときのことを忘れたことはない。
ストリートキッズの群れをあんな素敵なクラブに入れてくれたんだ。
あんたは自分の心に正直だった』
『いやいや、そいつはおかしいぜ、ブラザー』と俺はいった。
『俺たちみんなにこの世を楽しむ権利はあるんだ。
どうってことはない。
同じ人間じゃないか』
2パックは不動の心の持ち主だった。
おびただしい痛みと困難をみてきたからだ。
ときに俺たちが体験するつらい思いは心に傷をつけて重荷を背負わせ、どこへ行くにもその重荷がついてくる。
宗教にも、恋愛にも、戦いにもついてくる。
たとえどれだけ成功しようとも。
2パックは刑務所で生まれ、母親の友人たちが殺されたり終身刑を食らって投獄されたりするところをみてきた。
まわりは誰も耳を貸してくれず、気にもかけてくれない。
だから周囲を気にせず、信じるままに突き進み、自分にできる最善を尽くした。
2パックこそ自由の闘士だった」

1996年11月9日、
「FINALLY」
「ついにこのときが来た」
ラスベガス、MGMグランドガーデン・アリーナに1万6103人が集め、WBA世界チャンピオン(WBCのタイトルは1位のレノックス・ルイスとの指名試合をキャンセルしたため剥奪)、マイク・タイソンがイベンダー・ホリフィールドと対戦。
34歳のイベンダー・ホリフィールドと30歳のマイク・タイソン、2人ともスラム出身の黒人だが、片やオリンピックの悲劇を乗り越えた真のヒーロー、片や強姦で有罪になった前科者は、最初の対戦予定から6年を経て、ようやく初対決となったが、6年前と違うのは、イベンダー・ホリフィールドのスキンヘッドとマイク・タイソンの入れ墨だった。
最初、1990年6月に戦う予定だったが、マイク・タイソンが東京ドームでジェームズ・ダグラスに負けたためになくなり、1991年11月、ジェームズ・ダグラスに勝ってチャンピオンとなったイベンダー・ホリフィールドにマイク・タイソンが挑む予定だったが、マイク・タイソンが肋骨を負傷したため延期。
そしてマイク・タイソンがレイプ罪で逮捕され3年半服役している間に、イベンダー・ホリフィールドは、リディック・ボウにタイトルを奪われ、1年後にWBAとIBFタイトルを取り返したが、再びマイケル・モーラーに奪われ、心臓病を理由に引退し、1年後復帰し、その後、3戦2勝1敗。
前戦、リディック・ボウにKO負けしているイベンダー・ホリフィールドに対し、マイク・タイソンは出所後、ピーター・マクニーリーを89秒、バスター・マシス・ジュニアを3R、フランク・ブルーノを3R、ブルース・セルドンを109秒で連勝中。
戦前の予想は、
「タイソン圧倒的有利」
多くの観客の注目は
「タイソンが何ラウンドでホリフィールドを仕留めるか」
試合が早く終わってしまうことを危惧したある中継会社は、ラウンドごとに視聴者が5ドルを課金するペイパーラウンドチャージを採用しようとした。
21時6分、ゴング。
同時にマイク・タイソンは襲いかかった。
その最初のパンチでビルドアップされ紫色のトランクスをはいたイベンダー・ホリフィールドは吹っ飛ばされたが、すぐにパンチを返し踏ん張った。
1R終了のゴングが鳴っても2人は殴り合いをやめなかった。

その後、マイク・タイソンは力でねじ伏せようとしたが、クルーザー級からヘビー級に転向した8年前からこの日のためにマイク・タイソンの動きを研究し、身長で7㎝上回る189㎝のイベンダー・ホリフィールドは、身体的有利を利用し自分の距離を保ちながらも決して退かずマイク・タイソンの動きを冷静に見切り、強打を空転させて知的なカウンターをしばしばヒットさせた。
驚いたことにマイク・タイソンはイベンダー・ホリフィールドを圧すことができなかった。
イベンダー・ホリフィールドのセコンド、ドン・ターナーはいった。
「しなければいけないことは冷静でいることだ。
なんでもみえるように」
「お前はここでは大将なんだ。
あいつはそうじゃない」
バンチが当たらないマイク・タイソンは焦り、動きが単調になっていく。
イベンダー・ホリフィールドは、シャーブなジャブとスピーディーなコンビネーションで迎え撃ち、ときに打ち合いにも応じ左右のフックを浴びせた。
復帰後、4戦行い、すべて3R以内で勝っていたマイク・タイソンは徐々に失速。
観客は目の前に起こる「奇跡」に驚いた。
6R、マイク・タイソンはイベンダー・ホリフィールドのバッティングで左目を切り、この試合で初めて「ホリフィールドコール」が起こった。
その30秒後、マイク・タイソンはイベンダー・ホリフィールドの左アッパーで倒された。
7R、バッティングでマイク・タイソンが出血。
10R残り20秒、イベンダー・ホリフィールドは強烈な右でマイク・タイソンをロープによろめかせ、続く連打で棒立ちにさせた。
11R開始後、イベンダー・ホリフィールドはラッシュ。
ジャブ、ジャブ、右、フック、フック、右、右アッパー、左フック、右、爆発的な9連打で滅多打ちにされるマイク・タイソンをみたレフリーのミッチー・ハルパーンが割って入り試合を止めた。
11R34秒。
イベンダー・ホリフィールドのTKO勝ち。
ボクシング史上、最大の番狂わせで3度目の世界ヘビー級チャンピオンになった。
「これがボクシングだ」
試合後の記者会見で、イベンダー・ホリフィールドは白い歯をみせながら語った。
「俺は前に出るのが好きなんだけど、みんな俺がタイソンから逃げ回ると思っていた。
彼をみて俺はどこにも逃げないと示した。
それが最も大きなことだった。
俺の方がリーチがあってハンドスピードもあると感じたね。
俺は彼のパンチを受けたけどみんながいうようにタイソンのパンチを受けて変わるようなことはなかった。
俺も多くのファイターと同じように多くのパンチを受けてきたけど俺はそれを耐えられるからね。
マイクは自信過剰だったのかわからないけどあまり多くのパンチを受けたことはない。
俺はそんなことなかったし彼の右をもらってもすぐに打ち返したよ。
ボクシングの試合において彼に彼が間違えた相手を選んだことを教えてやったよ。
俺はすでに打ち合うことを決めてたし俺のパンチがどんなにハードなのかわからせてやった」
(イベンダー・ホリフィールド)
一方、マイク・タイソンは才能を発揮できなかった。
生涯2度目の敗北で、2度とも壮絶なKO負けだった。
そして試合後、タイソンサイドは、試合中、イベンダー・ホリフィールドに頭突きを入れられたと不満を爆発させた。
イベンダー・ホリフィールドは、クルーザー級時代は、パワー、スピード、パンチ、コンビネーション、アグレッシブ、完全無欠の最強チャンピオンだったが、ヘビー級に上がってから自分よりも体格的に大きな相手に対抗するためにダーティーなテクニックも使うようになった。
褒められたことではないが、これも「うまさ」のうちであり、反則にならなければ立派なテクニックの1つとなる。
この試合でイベンダー・ホリフィールドは戦法の1つとして、マイク・タイソンのボクシングスタイルを逆手にとり、頭を低くしてバッティングを誘った。
7R、それが見事にヒットしてマイク・タイソンはのけ反らせて瞼から出血させた。
VTRでみてもよくわからないほど巧妙だったが、戦っているマイク・タイソンにはわざと頭をぶつけているとわかった。
こうして8ヵ月後、遺恨を清算させるための試合が用意された。

1996年12月14日 、リディック・ボウとアンドリュー・ゴロタが再戦。
リディック・ボウは、前戦より17ポンド減量。
2R、アンドリュー・ゴロタのジャブからの右がテンプルに入り、リディック・ボウはよろけるように後退し、膝が突っ張らせてダウン。
その後もロープに詰められパンチの連打を浴びたが、この最中にアンドリュー・ゴロタは頭突きを入れてしまい減点1。
これで時間を稼いだリディック・ボウは、このラウンドを生き延びた。
4R、リディック・ボウの右でアンドリュー・ゴロタがグラつき、続く連打から右アッパー、左フックでダウン。
アンドリュー・ゴロタは左目から出血。
ローブローで減点1をもらいながらなんとかピンチを乗り切った。
5R、アンドリュー・ゴロタがダウンを奪った。
リディック・ボウはグロッキーになりながらロープに体をあずけてなんとかピンチを乗り切った。
6R、7R、アンドリュー・ゴロタ優勢。
8R、リディック・ボウのワン・ツーをもらってもアンドリュー・ゴロタは平然としていた。
9R、自らが攻めるときもフラつくリディック・ボウに、勝利まであと一歩のアンドリュー・ゴロタがローブロー。
崩れ落ちるリディック・ボウをみてレフリーはアンドリュー・ゴロタを失格負けにした。
アンドリュー・ゴロタは、試合を優位に運びながら2戦連続失格負け。
「喧嘩師」
「東欧のゴロツキ」
「ポーランドの悪童」
とダーティーファイターというレッテルを張られた。
2度もダウンをする大苦戦の末にローブローによって反則勝ちしたリディック・ボウは引退。
7Rにパラシュート男がリングに落下してきたイベンダー・ホリフィールドとの2戦目の判定負け以外負けなし。
「モハメド・アリの再来」といわれながら、スターになることはなかった。
その後、リディック・ボウはアメリカ海兵隊に入隊したが、新兵訓練中の態度が問題となり11日間で除隊となった。
1997年2月7日、マイク・タイソンがWBCランキング1位のレノックス・ルイスを蹴ってイベンダー・ホリフィールド戦を優先して同タイトルを返上したことで空位となったWBC世界ヘビー級王座決定戦、オリバー・マッコール vs レノックス・ルイスが行われた。
オリバー・マッコールは、3年前にレノックス・ルイスからこの王座を奪ったが、その後、フランク・ブルーノ、マイク・タイソンへと渡った。
レノックス・ルイスにとってオリバー・マッコールはプロで唯一負けた相手で雪辱戦でもあったが、オリバー・マッコールは明らかに戦意を喪失した状態で、ついには試合中に泣き出してしまう醜態をみせ、レノックス・ルイスは5RTKO勝ちで2度目のWBC王座に返り咲いた。
1度目はリディック・ボウがゴミ箱に捨てたベルト与えられ「ペーパー・チャンプ」と揶揄され、2度目も勝ち方が勝ち方だけに世界ヘビー級チャンピオンにして強烈なインパクトを与えることができず、マイク・タイソン、イベンダー・ホリフィールド、リディックボウに続くヘビー級第4の男という存在しかなかった。
1997年4月、リディック・ボウが妻のジョディを気絶させるほど殴り逮捕。
息子が母親は死んだと勘違いするほど壮絶な暴力だったという。
その後、リディック・ボウは、家族との関係を回復させようと努力したがうまくいかなかった。

1997年 6月28日、WBA世界ヘビー級チャンピオン、イベンダー・ホリフィールド vs マイク・タイソンが行われた。
世界中が注目した世紀のリターンマッチでマイク・タイソンは、大きいのを狙わずシャープなパンチに徹し、とらえどころなく動きまわった。
イベンダー・ホリフィールドは、マイク・タイソンが俺が打ってくるのに合わせて飛び込んだが、身長で7㎝上回る189㎝のイベンダー・ホリフィールドの頭がマイク・タイソンの頭より低い位置にあり、頭突きとなった。
(俺より背が高いのに、俺より頭を低くしてどうするんだ?)
マイク・タイソンは頭突きは偶然の出来事ではなく戦略だと確信した。
2R、バッティングでマイク・タイソンが目の上を大きく切り、レフリーが傷口をチェック。
「頭突きだ」
マイク・タイソンはレフリーにアピールしたが、偶然のバッティングと判断したミルズ・レーンは何もいわなかった。
3R、ハラワタが煮えくり返っていたマイク・タイソンは、早く戦いたくてマウスピースを着けずにコーナーを出てしまい、セコンドに呼び戻されて口に入れられた。
そして強いパンチを2発当てたとき、バッティングで意識が飛びそうになった。
「殺してやる」
冷静さを失い、イベンダー・ホリフィールドの耳に噛みついた。
右耳の一部を噛みちぎりリングに吐き捨て、
「おい、拾え」
といわんばかりにそれを指差した。
(実際、イベンダー・ホリフィールド陣営は、試合後にその断片を拾って縫いつけようとしたがくっつかなかった)
イベンダー・ホリフィールドは痛みに飛び上がり、クルリと背を向けてコーナーに歩いた。
(逃げるな!!)
マイク・タイソンは背中を突いた。
もう町のケンカだった。
コーナーでドクターが調べ続行を許可。
そこでミルズ・レーンはマイク・タイソンに2点減点を申し渡した。
試合再開後、また頭がぶつかった。
クリンチしたとき、マイク・タイソンが反対側の耳に噛みついたが。3Rが終わるまで試合は続行された。
そこから大混乱が始まった。
イベンダー・ホリフィールドのセコンドの訴えを聞いて、レフリーのミルズ・レーンは試合を止めた。
マイク・タイソンは目をひん剥いて
「Why!」
と叫び、イベンダー・ホリフィールドにつっかかっていった。
「ホリフィールドは自分のコーナーにいた。
もうまっぴらごめんだったろうが、俺はまだあいつのコーナーにある何もかも、あそこにいる誰もかれもぶち壊したい。
みんなが俺を引っぱり、前に立ちはだかった。
やつはコーナーで体を丸め、みんなでやつを守っていた。
おびえた顔のあいつに、なおも俺は手をかけようとした」

リングから下ろされたマイク・タイソンは、控え室に戻る途中、ペットボトルを投げつけられ、中指を立てられた。
手すりを乗り越えて襲いかかろうとしたが、セコンドたちに引き戻され、さらにあちこちから炭酸飲料やビールが投げつけられ、控え室に入ってもグラブをはめたまま壁を殴りつけ怒り狂っていた。
「マイクは目の上に3インチの裂傷を負い、イヴェンダーはちょっと耳を噛まれたが、あんなものなんでもない。
小さな雌犬みたいにリングを飛び回りやがって。
あんな長い間、頭突きを許すなんてどういうことだ。
いいかげんにしろ。
バッティングのうち1回は偶然だったかもしれないが、あとの15回はそうじゃない」
(ジョン・ホーン、マイク・タイソンのスタッフ、キャンプコーディネーター)
試合後、MGMグランドでは、カジノのあちこちでケンカが起こり、ケガ人が病院に搬送され、営業中止を余儀なくされた。
ひっくり返ったゲーム台からチップが盗まれ、警察は監視カメラが録画したビデオをみて、盗んだ人間たちを追うなど大混乱だった。
マイク・タイソンは車で自宅に帰ったが、外には抗議の群衆がいて、クラクションを鳴らし、
「八百長」
「出ていけ」
などと叫び、家の敷地にゴミを投げ込んだ。
医者に切れた箇所を縫ってもらった後、徐々に冷静になったマイク・タイソンは
「あんなことはすべきじゃなかった」
とファイターとして規律やルールを守り、最後まで戦うべきだったと後悔し
「ファンは俺のことを嫌いになる」
と気に病んだが、周囲に慰められ、マリファナを吸い、少し酒を飲んで眠りについた。
「(マイク・タイソンがイベンダー・ホリフィールドの耳を噛んだのは)ホリフィールドがマイクに頭突きをし続けたからだと思うよ。 
ホリフィールドという選手は非常に汚いテクニックを使うファイターだ。
その事について誰も指摘しないがね!
ホリフィールドは汚いテクニックと戦略を使うのが非常に上手く巧妙な奴だ。 
あのジョージ・フォーマンですら、「ホリフィールドは今まで戦った相手の中で最も汚いテクニックを使うファイターだ」といったくらいだ。
最初。ホリフィールドがマイクをロープに弾き飛ばし跳ね返って来たところにホリフィールドがマイクに頭突きを食らわしたところから始まってたんだ。 
それでマイクは顔を切ったんだ 。
その後、試合中、同じ事をホリフィールドが繰り返したんだ。 
注意してみなくてはならないが、あの試合はかなり過熱していたんだ。 
でもよ~く試合をいてみるとマイクがホリフィールドの耳を噛み切る前に頭突きを止めろという警告としてホリフィールドの耳を軽くかじる行為をしているんだ。
もちろんマイクがそんな行為に出たのは間違ってるよ。 
以前は、ああいう違反はよくあったんだよ。
例えばどういう風に相手を掴むや、頭から頭突きをするように相手に入り込むや、肘を相手のアゴの下に置くや、親指で相手の目を狙うや、下腹部を殴るや、膝で相手の股間を蹴るなどだ。
自分がヤバい状態に追い込まれたらこういうテクニックで逃げ切れる事ができる。
これらはレフリーにとっても見分けにくいんだ。 
試合はどちらかが勝者と敗者に決定される戦争だからね。
もちろん試合にはルールがありそれに従おうとするものだが、ホリフィールドのようなファイターは、これらルールを度々破るタイプだね。
俺ならマイクに、「ホリフィールドの顔めがけて突っ込み、頭をもっと動かせ!」といったね。 
頭を動かすスタイルこそ、マイクのファイティングスタイルの基本なんだ。
そうすれば相手は苦しくなる。 
ファイターがパンチを放って空振りすると慎重になり同じパンチを出さなくなる。 
そうして困惑したときに頭を動かしているマイクがパンチをお見舞いしKOとなるんだ。
もし正しいトレーニングをマイクがし俺がセコンドについたならホリフィールドをノックアウトできるよ。 
それは疑う余地のない事だ」
(ケビン・ルーニー)

6月30日、試合から2日後、マイク・タイソンは当地のホテルで会見し謝罪。
『どうして耳を噛んだのですか?』
「ホリフィールドとは2度目の対戦だった。
俺は何より頭にきてた奴をメチャクチャにしてやりたいと思った。
それでキレちまったんだ」
『何に怒ってたんですか?』
「俺の人生のこと、(イベンダー・ホリフィールドとの)最初の対戦のこと、俺を悪くいった奴らのこと、そういうことを考えたら腹が立って仕方がなかった。
例えば最初の対戦のとき、ホリフィールドは最初の2R、わざとバッティングをしてきた。
こっちが気を失いかけたほどだったんだぜ。
それを2度目も同じようにやられたんだ。
またかと思ってプツンときちまった。
ジョージ・フォアマンはホリフィールドはこれまでみたなかで1番ダーティーなファイターだっていってたんだ。
最初の対戦のときなんてあのおかげですっかり感覚が麻痺しちまってパンチをもらってるのもわからなくなってたほどだった。
ああ、あのバッティングはわざとだったよ。
絶対にな」
『つまり復讐するために噛み付いたってことですか?』
「殺してやりたかったんだよ。
噛みついてやりたかった。
頭にきまくってたのさ」
『試合後はどう思いましたか?』
「どうしようもなくなっちまった。
あんなことをやっちまった自分が腹立たしかったよ。
それ以前は怒りを感じながら試合に臨んだことなんてなかった。
1度もな。
そうはみえなかったかもしれないが、あの試合まで俺は絶対に怒りを引きずったままリングに立ったことなんてなかったんだだから、あんな事をやった自分が恥ずかしかった。
ショックだったし怖かった。
あんな事になるなら、(普通に戦って)負けたほうが良かったさ」
『2度のホリフィールド戦はあなたの経歴にどんな影響を与えたんでしょう』
「あんまりいい影響じゃないな。
俺には敵が多すぎる。
そういう奴らが全てをコントロールしてるんだからな。
奴らは俺の評判をできるだけ下げようとしてるのさ。
クソッタレどものことなんて、もうどうでもいい。
俺は名誉の殿堂入りするチャンスを自分でダメにしちまった。
そういう男になることを、あれだけ夢みてたっていうのにな。
だから、もうどうでもいいんだ
評論家どもは、ホリフィールド戦のことを持ち出して俺を否定するだろう。
でもアリだって負けたことはあるんだぜ?
もう本当にどうでもいいよ。
俺の人生なんて、もう終わりさ。
あとはただ生きていくだけだよ」
『終わり?』
「もちろんカネは稼げるだろうさ。
タイトルだって獲れるかもしれない。
だが俺の社会的地位ってやつは?
ゼロさ」
勝つために反則ギリギリのテクニックとして頭突きを使うイベンダー・ホリフィールド。
それに怒り、堂々と公明正大に反則をやり返すマイク・タイソン。
多くのファンは
「獣か」
とあきれたがマイク・タイソンのピュアさに魅力を感じるファンもいた。
反面、イベンダー・ホリフィールドはしたたかではあるが、強い精神力を持っていることを疑う人間はいなかった。

1997年7月、マイク・タイソンがイベンダー・ホリフィールドの耳を噛みちぎった2週間後、WBC世界ヘビー級チャンピオン、レノックス・ルイスが挑戦者、ヘンリー・アキワンデと対戦。
このWBCタイトルマッチは1500人しか収容できないアリーナで行われた。
イベンダー・ホリフィールド vs マイク・タイソン戦の1/10以下の規模だった。
レノックス・ルイスは、5ヵ月前、、オリバー・マコールを下して2度目のWBC世界ヘビー級チャンピオンになったが、コカイン中毒のオリバー・マコールが戦意を喪失し、リング上で泣き出し、失格勝ちによっての復権だった。
この試合も、ヘンリー・アキワンデがほとんどパンチを出さず、再三のレフリーの注意にも関わらずクリンチを繰り返したため、レノックス・ルイスの失格勝ちというお粗末な結果に終わった。
「タイソン、マコール、アキワンデ、ドン・キングがプロモートする選手は失格負けが好きなようだな。
次戦はWBAチャンプのイベンダー・ホリフィールド戦を希望する。
IBFヘビー級のベルトはマイケル・モーラーが巻いているが、あんな選手は単なる絵に過ぎない。
ここにお集りの皆さんがご存知のように、ホリフィールドと自分の試合こそ、最強のヘビー級を決めるに相応しい。
ヘビー級タイトルマッチで1度ならず3度も失格によって勝敗が付くことは、ボクシングビジネスを衰退させてしまうことに繋がる。
そうならないためにもホリフィールドとの統一戦を早急に実現させたい」
(レノックス・ルイス)
しかしイベンダー・ホリフィールドが次戦の相手にマイケル・モーラーを選んだため、レノックス・ルイスはアンドリュー・ゴロタ(WBC世界ヘビー級2位)との防衛戦にサインした。
1997年8月、リディック・ボウが、妻、ジョディと子供が住むノースカロライナ州まで車を走らせ、3人の子供をバスの停留所で待ち伏せし誘拐。
さらにジョディが住む家に押しかけ車の中に用意してあったナイフや手錠、催涙スプレーをみせて脅し車に乗せた。
ジョディはボウの自宅のあるバージニア州に行くまで間にトイレに行きたいと嘆願しレストランに駆け込んで助けを求め、警察へ通報され事件が発覚。
ボウは誘拐容疑で逮捕。

1997年10月4日、レノックス・ルイスが2度目の防衛戦のリングに上がり、95秒で挑戦者、アンドリュー・ゴロタをKOした。
「ホリフィールドには、過去に何回もオファーを出しているんだ。
いいかい、ヤツはリディック・ボウと3回、タイソンと2回戦って、マイケル・モーラーとも11月に2度目のファイトをするんだよ。
なのになぜオレとはやろうとしないんだ?
恐れているっていわれてもしょうがないだろう。
実現したら必ずヤツをKOしてみせる。
楽しみにしていてくれ」
1997年11月、耳を噛まれながらもマイク・タイソンを返り討ちにしたイベンダー・ホリフィールドは、ジョージ・フォアマンにノックアウトされて王座から陥落した後、IBF世界ヘビー級チャンピオンに返り咲いていた宿敵、マイケル・モーラーと対戦。
パワーで勝るイベンダー・ホリフィールドは押しつぶすように攻め、5R、7R、8Rに5回ダウンを奪った。
マイケル・モーラーは、その度に立ち上がったが、8R終了後、試合を棄権。
イベンダー・ホリフィールドは、マイク・タイソンから奪ったWBAに加え、IBFのベルトも再度獲得することに成功。
WBA、IBFとくれば残っているのはWBCのタイトルのみ。
そのベルトを巻いていたのはレノックス・ルイスだった。
1998年2月、リディック・ボウが、テリという女性と再婚。
家もニューヨーク郊外のメリーランドに引っ越したが、ジュディと5人の子供を誘拐したとして有罪判決を受け、17ヶ月間刑務所で服役することが決まった。
1999年 1月16日、マイク・タイソンが1年半ぶりにリングに復帰。
相手は、フランソワ・ボタ(Francois Botha)
187cm、116kg。
ニックネームは「The White Buffaro(ザ・ホワイト・バッファロー)」
1R終了間際、フランソワ・ボタとマイク・タイソンが乱闘。
リング上で両軍のセコンドが入り乱れての大混乱となった。
5R、マイク・タイソンが右1発でKO。
フランソワ・ボタは首の骨がズレるほどの重症を負い担架で運ばれた。
1999年2月5日、マイク・タイソンは1998年8月の暴行事件でメリーランド州から懲役2年実質1年の実刑判決を受けた。
模範囚なら1カ月後には、昼に拘置所から外出して練習や試合をできる特別待遇の「更生プログラム」の適用を受ける見通しだった。
2月19日、拘置所内で大暴れし特別待遇は微妙になり、3月にはテレビを投げつける大騒ぎを起こしたが、その後、模範囚を続けた。

1999年3月13日、WBA、IBF統一世界ヘビー級チャンピオン、マイク・タイソンに2連勝し、モハメド・アリとならぶ3度のヘビー級王座獲得を果たし、4度目の防衛戦となるイベンダー・ホリフィールド vs WBC世界ヘビー級チャンピオン、5度目の防衛戦となるレノックス・ルイス戦が行われた。
この一戦は統一戦だったが、多くの人が実績や格からイベンダー・ホリフィールドにレノックス・ルイスが挑戦する試合とみていて、体重で13.6kg、身長で7.6㎝、リーチで17.8㎝優るレノックス・ルイスにイベンダー・ホリフィールドが逃げずに戦って最終的に勝利者になることを期待していた。
「とにかく1番戦いたいのはホリフィールド。
その後、ヘビー級のベルトを統一したらタイソンにチャンスを与えてやってもいい」
とレノックス・ルイスはずっと対戦を希望していたが、マイク・タイソンへ戦で「金ではなく自分が最強であることを証明するため」といっていたイベンダー・ホリフィールドが、2000万ドル、2500万ドル、3000万ドルとファイトマネーをつり上げ、対戦を引き延ばしていた。
またイベンダー・ホリフィールドには、かなり以前からステロイド、筋肉増強剤使用の疑惑があり、スキンヘッド、心臓病はその副作用だといわれていた。
抜き打ち検査がないために、試合数ヵ月前に使用をやめれば痕跡は残らない。
「聖者みたいな顔をしやがって、あっちこっちに子供をつくりまくっている。
ホリフィールドはとんだ偽善者だ」
(レノックス・ルイス)
「私はホリフィールドにとても親近感を持っているのだが、彼にとって今回のルイス戦は最悪の悪夢になる。
彼は対戦を後悔することだろう。
私がイベンダーのスタッフだったらルイスとは対戦させない。
タイソンを破った時点で引退すればよかったと思うよ。
ルイスが精神を集中してリングに上がったならホリフィールドにはノーチャンスだ。
ルイスは強いジャブを持っている。
ホリフィールドは強いジャブを持つ相手には常に苦しんできたんだ。
それに多くの戦いをしてきた彼は腫れやすく切れやすくなっている。
パンチ力だってルイスの方がはるかにナチュラルなハードヒッターだ。
なにより重要なファクターは、ルイスは今まで得られなかった認知を得ようと非常にハングリーになっているという点だ。
ルイスには、あんまり(趣味である)チェスみたいなことを考えないでほしいんだ。
エモーショナルになってガンガン攻めて欲しい。
ルイスはまだポテンシャルの75%くらいしかみせていない。
ホリフィールド戦では、残り25%、少なくとも10%はみせて欲しいね」
(エマニュエル・スチュワード、レノックス・ルイスのトレーナー)
対するイベンダー・ホリフィールドは
「3RKO」
を宣言した。
「たしかに私の9人の子供のうち、5人までが私生児(未婚の母の生んだ子)だ。
2人は去年生まれた。
しかし私は偽善者などではない。
偽善者とは逃げる人々のことだ。
私は逃げない。
ルイスがなんといおうと彼の勝手だが、その代償は払ってもらうぞ。
私は28年と17週間もリングで戦ってきた。
リングで何が起こるのかは予測できる。
信じない人は3月13日を見ればいいさ」
「3R KOの予言は感心しないな。
だって1Rと2Rに起きたらどうするんだ?
それに私は、勝負を5R以降に持ち込みたい。
ハートがないとまではいわないが、ルイスは苦しくなったら逃げのファイトをすると思う。
あからさまに試合を投げることはしなくてもホールディングに終始するとか足で逃げ回るとかね。
一方、勝利をあきらめるくらいなら死を選ぶようなファイターがごく稀にいる。
アリとかホリフィールドがそうだ。
どんな試合でも5Rを過ぎたら意志の勝負になるんだ。
今回も5Rを過ぎたらホリフィールドのものさ」
(ドン・ターナー、イベンダー・ホリフィールドのトレーナー)

試合が始まると、体重で13.6kg、身長で7.6㎝、リーチで17.8㎝優るレノックス・ルイスは、その巨体に似合わぬスピードで長いジャブをコツコツ当てて、イベンダー・ホリフィールドはこれが邪魔で入れない。
リーチで負けるイベンダー・ホリフィールドは飛び込んで左右フックを効かせたが、レノックス・ルイスは接近戦でも右アッパーとフックでロープに追い込む場面もあった。
7R、レノックス・ルイスの右ボディでイベンダー・ホリフィールドはロープに後退。
左フックを打ち返して前に出てクリンチ。
レノックス・ルイスはサイドに回っての右ストレート、右ボディ、さらに打ち下ろすような右、右アッパーでイベンダー・ホリフィールドはでフラつかせて右ボディ。
イベンダー・ホリフィールドは明らかに苦痛で体が曲げたが、ジャブをダブルで当ててパワフルな左フックを返した。
8R、イベンダー・ホリフィールドは前に出て右フックを顔面に。
外れてもさらに踏み込んでボディにフック。
さらに潜り込んで左ボディを当てるがいつものコンビネーションが出ない。
9R、イベンダー・ホリフィールドは踏み込んで左フックで顔面を狙うが、レノックス・ルイスはジャブを動き出しに当てて出鼻をくじき、さらに長い右を当てた。
イベンダー・ホリフィールドは打ち終わりに左フックを出したが間合いが遠い。
10R、イベンダー・ホリフィールドはガンガン出てきて左右フックを出したが、レノックス・ルイスはジャブを突いてクリンチして押し込んだ。
12R、イベンダー・ルイスは攻めたが思うように踏み込めないままゴングが鳴り、がっくり肩を落とした。
レノックス・ルイスは両手を上げた。
明らかにレノックス・ルイスが勝ったと思ったが、判定は116-113、113-115、115-115で1-1でドロー。
お互い、タイトルを獲得することも失うこともなかった。
この判定は議論を呼び、8ヶ月後、リマッチとなった。
1999年11月13日、WBA、IBF統一世界ヘビー級チャンピオン、イベンダー・ホリフィールド、イベンダー・ホリフィールドとWBC世界ヘビー級チャンピオン、レノックス・ルイスが再戦。
前戦同様、レノックス・ルイスが遠い間合いからパンチを突き、イベンダー・ホリフィールドは必ず打ち返すという展開になったが、イベンダー・ホリフィールドは前回よりアグレッシブに攻めハードな戦いとなった。
しかしヘビー級としては中型ながら真っ向から打ち合うタイプのイベンダー・ホリフィールドはパンチを受けることも多く、ヒットで優ったレノックス・ルイスが判定勝ちし、WBC、WBA、IBF統一世界ヘビー級チャンピオンとなった。

2000年6月24日、マイク・タイソンがスコットランドでルー・サバリーゼと対戦。
ゴングが鳴り、長身のルー・サバリーゼはジャブを突いていった。
マイク・タイソンは動きながらかわし続け、低い姿勢から伸び上がるようにして左ロングフック。
この1発目のパンチでルー・サバリーゼはダウン。
起き上がったルー・サバリーゼをマイク・タイソンは容赦なくラッシュ。
レフリーが割って入ったが、マイク・タイソンは試合を止めているのかどうかわからず、そのままラッシュ、ラッシュ。
マイク・タイソン、ルー・サバリーゼ、レフリーがもみ合いになっている状態で、マイク・タイソンは右パンチを連打して、左のパンチを入れようとしたとき、それがレフリーの後頭部を入り、レフリーは落ちかけた。
レフリーは立ち続け、ここでマイク・タイソンも攻撃をやめた。
両陣営のセコンドがリングに上がり、試合は止まったが、そのままおそらくレフリーがマイク・タイソンの勝ちを宣告し、1R 0:38 TKOとなった。
試合の前、コカインとマリファナもちやったマイク・タイソンは、人工ペニスに他人のきれいな尿を入れて薬物検査をスリ抜けていた。
「マイク、これまでで最短の試合じゃなかったですか?」
「アッサラーム・アライクム(あなたに神の平安を、イスラム教徒が使うアラビア語の挨拶)
わからない。そ
うだ、レノックス・ルイス、レノックス、行くからな、待ってろよ」
「たくさん練習してきて、7、8秒で試合が終わってしまうと物足りなくないですか?」
「この試合のためには2週間ほどしか練習しなかった。
親友を埋葬しなくちゃならなかったからな。
(ブルクリン時代からの友人がギャング同士の争いで撃ち殺されていた)
その友人にこの試合を捧げた。
あいつの心臓をぶち破るつもりで戦った。
俺は史上最高、ボクシング史上もっとも残虐で、獰猛で、情け容赦ないチャンピオンだ。
俺を止められる者はどこにもいない。
レノックスは征服者か?
違う!
俺がアレクサンダー大王だ。
俺はソニー・リストンだ。
ジャック・デンプシーだ。
俺は彼らと同類だ。
俺に並ぶ者はいない。
攻めは強烈、防御は鉄壁、ひたすら獰猛だ。
お前の心臓が欲しい。
あいつの子どもたちを食らいたい。
アッラーを称えよ!」

2000年8月12日、レノックス・ルイスが返上したこWBAのタイトルをめぐって、イベンダー・ホリフィールドと「静かなる男」、ジョン・ルイスが対戦。
イベンダー・ホリフィールドは、コンビネーションでダウンを奪ったが、ジョン・ルイスも持ち前のクリンチワークとタフネスで肉薄。
かなりの接戦となったが、イベンダー・ホリフィールドが判定勝ちし、4度目の世界ヘビー級チャンピオンへ返り咲いた。
2001年2月、リディック・ボウが自宅の私道で妻のテリに対して暴力を振るった容疑で逮捕。
リディック・ボウは、離婚訴訟を有利に進めるためにテリが行った自作自演だと主張したが、裁判所は妻と2人の子供に接触を禁じた。
2001年3月3日、イベンダー・ホリフィールドとジョン・ルイスとリマッチ。
前戦よりジョン・ルイスはアグレッシブで、イベンダー・ホリフィールドをアッパーでふらつかせるなどして判定勝ち。
イベンダー・ホリフィールドは王座陥落。
2001年4月14日、WBA、WBC、IBF、主要3団体のミドル級チャンピオンと1階級上げたフェリックス・トリニダードの4人による統一トーナメントで、IBF世界ミドル級チャンピオン、バーナード・ホプキンスとWBC世界ミドル級チャンピオン、キース・ホームズが対戦し、バーナード・ホプキンスが3-0で判定勝ちし、WBC、IBF統一世界ミドル級チャンピオンとなった。
2001年9月29日、WBC、IBF統一世界ミドル級チャンピオン、バーナード・ホプキンスとWBA世界ミドル級チャンピオン、フェリックス・トリニダードが対戦し、バーナード・ホプキンスが12R1分18秒TKO勝ち。
WBA、WBC、IBF統一世界ミドル級チャンピオンとなった。
2001年12月15日、イベンダー・ホリフィールドがジョン・ルイスと2度目のリマッチ。
試合は、ジョン・ルイスが前に出てパンチとクリンチ、パンチとクリンチを繰り返す凡戦になったが、判定はドローで防衛を果たした。

2002年1月、ニューヨーク市内のホテルで、WBC、IBF世界ヘビー級チャンピオン、レノックス・ルイスにマイク・タイソンが挑戦することが決まり、記者会見が行われた。
先に全身黒ずくめのマイク・タイソンが入場し、壇上に立った。
そして次にレノックス・ルイスが入場し壇上に立つと、突然、マイク・タイソンが壇上から下りてレノックス・ルイスに向かって歩き出した。
詰め寄ろうとするマイク・タイソンにレノックス・ルイスボディーガードが反応し、壁となって押し戻そうとした。
それにキレたマイク・タイソンが左フック。
よけながら倒れるボディガードの後ろからレノックス・ルイスが右ストレート。
これがかすってマイク・タイソンが額から流血。
両陣営と関係者、20人以上が入り乱れての大乱闘に発展。
マイク・タイソンはレノックス・ルイスの脚に噛みつき歯形を残し、立会人のWBC会長、スライマンは乱闘に巻き込まれて失神し病院送りになった。
乱闘が収まり、呆然と立ち尽くすマイク・タイソンにヤジが飛んだ。
「オマエは何しに来たんだ!」
「何しに来ただと?
オレはただ偉大なチャンピオンに挨拶したかっただけだ!」
そして引き上げるレノックス・ルイスを放送禁止用語をまじえて罵った。
2002年1月29日、ネバダ州アスレティックコミッションの公聴会が開かれた。
ネバダ州のコミッションは試合中にマイク・タイソンがイベンダー・ホーリフィールドの耳の一部を食いちぎった件で、実質1年間の無期限出場停止処分をタイソンに下したことがあったが、今回も5人のコミッショナーによって審議される聴聞会が開かれ、マイク・タイソンも召集された。
2002年6月5日、試合3日前、マイク・タイソンの公開練習が行われたが、内容は、ぶら下がったヘッドスリップバッグを2回、もう2回ウィービング練習だけだった。
記者会見はキャンセルされたが
「5R以内のKO」
を予告した。
レノックス・ルイスも5R以内のKOを予告し、ナックルの薄いREYESグローブを選択した。
2002年6月6日、テロに備えてなのか、1月の記者会見の乱闘事件のためなのか、計量会場がものものしい雰囲気に包まれた。
警備は過去にないほど厳重で会場には2重3重のチェックポイントが設けられ金属探知機まで出動した。
計量は両者のトラブルを避けるため、
レノックス・ルイスが12時から、マイク・タイソンは15時から行われ、

レノックス・ルイス 249 1/4(113kg)
マイク・タイソン 234 1/2(106.5kg)

マイク・タイソンのトレーナー、ロニー・シールズ・トレーナーが、
「計量前量ったとき、229ポンドだった。
おかしい」
とマイク・タイソンが去った後、秤を点検した。


2002年6月8日、ロックンロールの伝説的スーパースター、エルビス・プレスリーが誕生した聖地、テネシー州メンフィスのザ・ピラミッドで、WBC、IBF世界ヘビー級チャンピオン:レノックス・ルイス vs マイク・タイソンが行われた。
両者の報酬が最低で約22億円ずつ。
アメリカでのPPV視聴料金は約7千円で60万件予約があり、最終的には100万件を超えると予想された。
リングサイドチケットが約30万円。
天文学的な金額が並ぶが、驚くべきはチャンピオンと挑戦者のファイトマネーが同額であること。
やはりマイク・タイソンの人気はズバ抜けていた。
対するレノックス・ルイスも、1990年代最強ヘビー級ボクサーという声もあった。
身長196cm、リーチ208cm、という大きな体と長いリーチを最大限に活かし、教科書のようなオーソドックススタイルでクレバーに戦う上、パンチ、スピード、パワー、テクニックを兼ね備えていた。
36歳独身で母親の手料理を好み、趣味はチェス。
トラブルとは無縁の「理想的アスリート」
最少年ヘビー級王者になるも怠惰により陥落し、レイプ事件、耳噛み事件リングの中でも外でも野獣そのものの「惑星最悪の男」、マイク・タイソンは180cmとヘビー級では小型。
歴代ヘビー級チャンピオンで、身長6フィート(約180cm)未満は僅か6人で、1973年のジョー・フレジャー以降はマイク・タイソンだけ。
2人は好対照だった。
1R、マイク・タイソンはいきなり攻めていった。
頭を左右に振り、ダブルジャブから危険な距離に飛び込み左フック。
レノックス・ルイスは上体が立ってしまい、真っすぐに下がってしまい、たまらず抱きつき196cmの身長を使い180cmの男を上から押さえつけた。
2R、レノックス・ルイスが伝家の宝刀を抜いた。
懐に飛び込もうとするマイク・タイソンに強烈な右アッパー。
この一撃が勝負の一打となった。
アッパーを喰らったマイク・タイソンの動きはパタッと止まった。
それ以後何かを考えているように一瞬遅い、迷ったような動きを繰り返した。
レノックス・ルイスの右アッパーにより警戒心が煽られ迷いながらのボクシングをするようになったのだ。
懐に飛び込むことだけでなく、頭を振ることも忘れてしまい、それからはラウンドを追うごとにレノックス・ルイスのリズムが良くなる。
マイク・タイソンは相手の正面に立ち、戸惑っているうちに攻撃をモロに受け続けてしまう。
196cm、113kgのジャブの威力は想像以上だろうが、マイク・タイソンはなす術なくもらい続けた。
レノックス・ルイスはあくまで慎重で絶対に深追いしない。
ジャブ、右ストレート、右アッパーでいたぶり続けた。
6R、マイク・タイソンの足がフラつき、得意の踏み込みも強烈なパンチも出せない。
左右の目尻をカットし、左瞼大きく腫れ、鼻からは血が滴り落ちている。
8R、マイク・タイソンは、左右の瞼が腫れ上がり視界は奪われている
レノックス・ルイスは猛攻を仕掛け、マイク・タイソンをサンドバッグ状態にして、右アッパーで、この試合初めてのダウンを奪った。
何とか立ち上がるマイク・タイソン。
頭を左に避けるように動かした瞬間、レノックス・ルイスの右フックを顎にモロにもらって、顔を反対方向に捻じ曲げられ、静かに崩れた。
再び立ち上がろうとするマイク・タイソン。
レフリーのカウントに反応するのではなく本能のみで立ち上がろうとするが、無情にもカウントは進み、8RKOで試合は終わった。
世界中のボクシングファンが待ち望んだヘビー級最強決定戦はレノックス・ルイスの圧勝だった。
「あと2、3試合してからルイスと戦いたかった。
挑戦を受けてくれたルイスに感謝する」
試合後のインタビューも優等生発言に終始したマイク・タイソンにかつてのパワーは感じられなかった。
試合後、レノックス・ルイスは引退を示唆。
マイク・タイソンに勝ってすべてを達成したと考えているのかもしれない。
実際は、もう1戦(6R TKO勝ち)して、2004年に引退。
ヘビー級で世界チャンピオンのままでの引退は、ロッキー・マルシアーノ以来だった。
2002年12月14日、40歳のイベンダー・ホリフィールドが、オリンピック銀メダリストでサウスポーのアウトボクサー、クリス・バードと空位のIBF世界ヘビー級タイトルを争った。
クリス・バードが持ち前のスピードを生かして間合いを取りまくり、イベンダー・ホリフィールドはその動きについていけず判定負け。

2003年6月、新しく左目周りにニュージーランドのマオリ族の刺青を入れたマイク・タイソンが暴行容疑で逮捕。
8月には、連邦裁判所に自己破産を申請。
アメリカでは、よく映画スターやアーティストの巨額浪費、そして破産が報道されるが、スポーツ界でもスター選手は引退後、70%以上の確率で破産するといわれている。
その原因は、稼ぐ以上に使ったからで、たとえ100億円あろうと年20億円を使っていたら5年で破産するしかないが、年収300万円でも、年間100万円しか使わなかったら200万円残る。
欲望をコントロールすることができるか否かなのだ。
マイケル・ジャクソンは、負債額400億円以上。
エルトン・ジョンの総資産は、200億円以上だが、2001年に破産。
ビリージョエルは、稼いでは破産、稼いでは破産という破天荒な人生を送っている。
マービン・ゲイは、現役時代から浪費や離婚で財産が吹き飛び、ドラッグに溺れて隠遁生活を余儀なくされて、最後は父親に撃ち殺された。
ニコラス・ケイジは、破産寸前。
ジョニー・デップは、生活費が月2億円を超え、破産に追い込まれる確率大。
フロイド・メイウェザー(ボクサー)のあだ名は「マネー」。
貪欲にカネを稼ぐことで有名なのだが、稼いだカネをやはり使い果たし、税金滞納や債権の未払いな金銭トラブルがついて回っている。
不動産王としてビジネス的に大成功を収めていたドナルド・トランプも、離婚訴訟や不動産不況による事業の失敗で、凄まじい額の財産を失った経験も持ち、過去に4回も破産申請した経験がある。
マイク・タイソンが現役中に稼ぎ出した金額は約4億ドル(410億円)ともいわれているが、使い果たした。
世界で73台しかない、ウールの絨毯、電話、取り外し可能なガラスルーフを装備した420馬力のベントレー コンチネンタルSCを50万ドルで買うなど車やバイクにだ450万ドルを使い、200万ドルの浴槽、14万ドルで2匹のトラ、遊園地や動物園を貸し切るなど派手に浪費し、ドラッグと娼婦にもとんでもない額をつぎこみ、訴訟、横領などもあった。
そしてロールスロイス(1600万円)、ダイヤの指輪(19億5000万円)、ジェット機(44億円)などを差し押さえられ、それでも元妻への慰謝料900万ドル、アメリカ、イギリスでの税金の滞納1340万ドルなど約2700万ドル(28億円)の支払いが残った。

2003年10月、イベンダー・ホリフィールドが、ミドル級、スーパーミドル級、クルーザー級、3階級を制覇しヘビー級に上げたジェームス・トニーとのノンタイトルマッチで、9Rにダウンし、タオルが投入されてリディック・ボウに負けて以来のKO負け。
2004年4月15日、マイク・タイソンがK-1の試合出場契約を結んだが、薬物犯罪者は日本に入国できないため、日本での試合は不可能だった。
2004年7月30日、マイク・タイソンが1年半ぶりの復帰戦となるダニー・ウィリアムズとのノンタイトルマッチに臨んだ。
1R、マイク・タイソンは試合開始から積極的に攻め、強烈な左右のパンチを顔面、ボディーへと打ち込み、何度もダニー・ウィリアムズをフラつかせた。
しかし1R終盤、膝の靭帯を断裂。
その後は失速し次第に後退する場面が多くなった。
4R、マイク・タイソンはダニーウィリアムズの20発以上のラッシュをまともに受けグロッキーとなり、最後は右フックを浴び、腰からダウン。
ロープにもたれたままテンカウントを聞いた。
2004年9月18日、WBA、WBC、WBO、IBF統一世界ミドル級チャンピオン、バーナード・ホプキンスが、「ゴールデンボーイ」、WBO世界ミドル級世界ヘビー級チャンピオン、オスカー・デ・ラ・ホーヤと対戦。
9R1分38秒、それまでKO負けがなったオスカー・デ・ラ・ホーヤを左ボディ1発でノックアウト。
史上初、主要4団体の王座を統一し、WBA、WBC、WBO、IBF統一世界ミドル級チャンピオンとなった。
2004年11月13日、イベンダー・ホリフィールドがラリー・ドナルドと空位のNABCヘビー級王座をかけて対戦。
ラリー・ドナルドは世界タイトルマッチの経験がない、いわゆる格下の選手だったが、全盛期とは程遠い動きのイベンダー・ホリフィールドは被弾を重ね判定負け。
これで3連敗となった。
2004年12月、マイク・タイソンが器物損壊容疑で逮捕。

2005年6月12日、約1年ぶりの再起戦となるマイク・タイソン vs 元アイルランド・ヘビー級チャンピオン、ケビン・マクブライド戦が行われた。
リングアナウンサー、ジミー・レノン・ジュニアは、マイク・タイソンを
「ロンリー・アイアン(孤独の鉄人)」
とコール。
1R、ケヴィン・マクブライドは、198cm、123kg、マイク・タイソンとのリーチ差は23cm。
その長い先制のリード2発をマイク・タイソンはダッキングでかわした。
2R、マイク・タイソンのパンチ力は健在。
左を振って飛び込んで左のアッパーから左右のフック、さらに左ボディー。
クリンチに逃げるケヴィン・マクブライドに左。
ケヴィン・マクブライドは右のアッパーで応戦。
マイク・タイソンも応戦し左が肘打ち気味に入る。
3R、マイク・タイソンは突進から左アッパー。
ケヴィン・マクブライドはクリンチで逃げたが、マイク・タイソンは、その左腕をつかんで左で顔面を叩き、さらにボディーを狙って突進。
ケヴィン・マクブライドはクリンチで逃げた。
4R、マイク・タイソンは、突進から左、右の連打で、ケヴィン・マクブライドを棒立ちにさせ、さらに左ボディー、左アッパー。
観客は総立ち。
さらに左アッパーから右のボディー。
ケヴィン・マクブライドはクリンチ。
マイク・タイソンは右ボディー、左アッパー、ボディーの連打。
ケヴィン・マクブライドはクリンチ。
マイク・タイソンは顔面をガッチリ固めた相手に右フック、左ボディー。
5R、突進するマイク・タイソンにケヴィン・マクブライドはクリンチで逃れ、右のショートをヒットさせた。
マイク・タイソンは左アッパー、左肘打ち(反則)、さらに頭突き(反則)を突き上げた。
ケヴィン・マクブライド、左ボディーから左フックを顔面に。
マイク・タイソンも左ボディー、さらに右も放ったが、ケヴィン・マクブライドにクリンチされロープに押し込まれた。
マイク・タイソン優勢だったが、動きが止まった。
足が動かなくなり、終始守勢だったケヴィン・マクブライドがマイク・タイソンをロープに詰め、巨体を上から覆い被さるように連打。
マイク・タイソンは危なかったがゴングに救われた。
6R、マイク・タイソンはラッシュしたが、脚が動いておらず、ケヴィン・マクブライドは例の如くクリンチで逃れ、さらに至近距離からパンチを打っていく。
マイク・タイソンは腕を極め関節技で反撃。
ケヴィン・マクブライドは悲鳴を上げた。
さらにクリンチにきたところをバッティング(頭突き)
これが「故意」と判定され減点2。
ケヴィン・マクブライドは流血。
マイク・タイソン、起死回生の大きな右を空振り。
ケヴィン・マクブライドは懲りずにクリンチにいき、再度、腕を極められ悲鳴。
残り30秒、マイク・タイソンは脚が動かず、棒立ちになり、左右の連打を頭部に食らい、さらに棒立ち。
マクブライドは攻勢をかけながらもクリンチ。
アッパーを突き上げ、ロープに押し込み、左右の連打。
棒立ちのマイク・タイソンはロープに詰まり、巨体に上からのしかかられ、連打を食らい、瞬間、崩れ落ちた。
レフリーはスリップと判定。
ここで6R終了のゴング。
7R、セコンドがストップを促し、マイク・タイソンもれを受け入れ、ゴングが鳴っても出ていかなかったため、レフリーは試合終了させた。
マイク・タイソンの7R TKO負けだった。
試合後の会見で引退を示唆した
「もうこれ以上、ボクシングを侮辱したくない」
予期していたこととはいえボクシングファンにとって寂しいことだった。
ボクサーは、引退後、やることがない。
職業的なスキルがないため、輝かしい戦績を誇り絶大な人気を持ったボクサーがカジノの用心棒になったり、苦労を重ねてチャンピオンになったが引退して無一文になることは珍しくなかった。
「その後(刑務所から出た後)の7、8年はメチャクチャだった。
ボクシングに希望を見出せなかった。
引退瞬間は最高だった」
そういうマイク・タイソンはそういったが、現役引退後、アルコール、麻薬、セックスと快楽に溺れ、生活はますます滅茶苦茶になっていた。

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