三浦知良 15歳でブラジルへ 近所カズはキングカズになった 「ビッグになってやろうみたいな気持ちが自然と湧き出てきた。日本ではそういう格差が少ないからね」

三浦知良 15歳でブラジルへ 近所カズはキングカズになった 「ビッグになってやろうみたいな気持ちが自然と湧き出てきた。日本ではそういう格差が少ないからね」

息子が「お前の親父、キングなんていわれてるけど補欠なんだろう?」なんていわれることもあるらしい。そういうとき大事なことは一生懸命頑張ることなんだって思う価値観を身につけて欲しい。


スイスでの直前合宿に代表候補25人として選出され、これまで何度も読み心の糧にしていた尊敬するモハメド・アリの自伝を持参し参加し奮闘した。
しかし北澤豪、市川大祐と共に、本大会の出場メンバーには選ばれなかった。
「俺たちがやってきたことは間違いない。
大事なのはこの後だ」
といい、落選翌日には北澤豪と合宿先のスイスからイタリア・ミラノへ移動。
2人でホテルで一泊20万円の部屋を借りて、思い切り発散した。
(ホテル代金は、後日日本サッカー協会に請求した。)
そして金髪に染め上げて帰国し成田国際空港で会見を行った。
「日本代表としての誇り、魂みたいなものは向こうに置いてきた」
(三浦知良)
また森下源基(ヴィッセル川崎社長)は
「非情なる采配というより非礼なる采配」
とコメントした・。
その後、日本代表は、アルゼンチン、クロアチア、ジャマイカと同組になり、1次リーグ3戦全敗1得点という結果に終わった。
「予選ではカズを選んだことで協会に多くの抗議が来た。
調子が悪かったから。
でもいざW杯行きのメンバーから落とされたら、どうしてカズを外すんだって、その何倍もの抗議が来たんだ。
カズを成田空港まで迎えにいって記者会見を開くことになった。
そのときカズがどんなコメントするか少し心配だった。
協会を非難したり監督を非難することは当然あるだろうし、あってもしょうがないなと思っていた。
でも実際はまったくそのことに触れず言い訳や泣き言も一切いわず、夢をフランスに置いてきたと。
ああいう言葉はどう探したって出てこないよね」
(川淵三郎)
Jリーグではヴェルディ川崎は2年連続2桁順位となり、親会社が事業撤退を表明。
高年俸のベテラン選手達のリストラが敢行され、三浦知良にも年俸ゼロ円が言い渡された。
ワールドカップにいけなかった31歳の三浦知良に対し「限界説」「引退説」が囁かれた。

クロアチア ザグレブ

クロアチアのクロアチア・ザグレブへ2年契約で移籍。
これは戦力としてよりも背後のジャパン・マネーを狙った経済的な期待が大きいという見方もあった。
「クロアチアへの移籍を具体的に考え出したのは1998年の秋だった。
いくつかのクラブが興味を持っていてくれたけど、最終的にスイスのチューリッヒとクロアチアのザグレブの2つの絞込み12月に視察に向かった。
ザグレブのホームスタジアムに入った瞬間、『ここだ』と思った。
ちょうどチャンピオンズリーグの試合日でお客さんは満員。
ものすごく寒かったけど会場の雰囲気は素晴らしかった。
クロアチアの人たちは、自国への強烈な誇りと愛情がある。
1991年にユーゴから独立して色々な苦労がクロアチアにはあった。
そういう社会情勢の中、クロアチア代表は国際舞台へのデビュー戦となった1996年の欧州選手権でベスト8に、そして1998年のワールドカップでは3位になった。
この結果が国民に与えた自信は本当に大きかったはずだ。
まだまだ世界的には小さな新しい国だけどみんなで盛り上げていこう、そういう心意気が選手からも町の人々からも感じられた」
たしかに環境面は恵まれていなかった。
ピッチは凸凹でぬかるんでいたしロッカールームも狭かったが、
「未来に向けて頑張ろう」
そんな希望に溢れた国の雰囲気もあって三浦知良は、サッカーを楽しんだ。
「伝説のノゴメト(サッカー)プレイヤーが俺たちの国にやってきて俺のプレーするクラブに入団するって聞いたときは嬉しかった。
でも世界でもあまり知られていなかったクロアチアが選ばれたことは少し不思議だった。
なにしろ金が無いから。
でもミウラが来てくれたことは選手たちにとってだけでなくクロアチアにとって最高だった。
合宿では言葉が出来なくても優秀な選手であることを証明したし、コミュニケーションはとれていた。
君が心強い補強だってことはしっかり伝わった。
あまりこの話はしたくないが、君があまり試合に出してもらえなかったのは監督が悪かったんだよ。
ミウラは間違いなく俺たちのお気に入りだった。」
(プロシネチキ、ザグレブ、レッドスターベオグラード、レアルマドリード、バルセロナで活躍、1990年、1998年、2002年ワールドカップでバトレニ(炎という意味、クロアチア代表の別称)として出場)
このシーズン、ザグレブはクロアチア・リーグで優勝した。
シーズン終了後、新たに就任したオズワルド・アルディレス監督は、三浦知良を戦力外としたため、熱望していたUEFAチャンピオンズリーグへの日本人初出場は叶わなかった。
そして1999年6月、契約よりも1年早く日本に帰国した。

京都サンガ

1999年、Jリーグは、J1とJ2の2部制となった。
(2014年にはJ3が創設され3部制になった)
7月、三浦知良は加茂周(元日本代表監督)監督の京都パープルサンガに移籍した。
単身赴任で、1週間だけ寮に入り、その後はマンションに入る予定だったが、居心地が良すぎて居ついてしまった。
そして1試合目のヴィッセル神戸戦で2ゴールを決めた。
「正直、加茂さんが声をかけてくれたからというのが大きかった。
京都にいったとき僕は32歳だった。
5年前に27歳の僕に日本代表のときとは違うやり方だったけど加茂さんは32歳の僕に点をとらせる方法を考えてくれた。
2シーズン目には17ゴール決めてその信頼に応えることができた」
「よ~し、祝勝会にいくぞぉ」
と勝った試合後は、みんながカラオケで盛り上がった。
負けた試合の後も、
「よ~し、残念会にいくぞぉ」
となる。
「気が乗らない」
という選手がいても
「なにいってんだ」
と強引に連れて行かれた。
残念会といってもやっていることは祝勝会と同じでカラオケで騒いで負けた悔しさを発散させる。
「カズさん、なんで負けても遊びに行けるんですか?」
「次の試合がある。
次が始まるから切り替えるんだよ。
後ろを振り返ってもしょうがねえだろ」
試合の結果に関わらずストレスを発散させて、次の日から再び規則正しい生活に戻り練習をして試合に臨む。
プロとして当たり前のことを伝えた。
祝勝会や残念会にの翌日、三浦知良は練習グラウンドで先頭に立ってトレーニングに励んだ。

パク・カンジョ(朴康造、滝川二高からパープルサンガ)は、子供の頃から部屋にポスターを貼っていたほど三浦知良のファンだった。
そして試合前のアップから100%の力で行う姿に
「本物のプロはこれだけ手を抜かんのか」
と驚き、真面目な人と思っていたのにメッチャクチャ面白いことに2度驚いた。
食事のとき、三浦知良は試合のビデオを見直しながら
「これはいい」
と自分のプレーを何度も巻き戻してみた。
そしてたまにパク・カンジョを含めて他の選手のプレーも巻き戻してみた。
自分のミスでチームが負けてしまい落ち込んでいると
「そんなの関係ねえよ。
俺なんかこの前オウンゴールしたけどスッカリ忘れちゃったよ」
2軍落ちしたり、肉体的につらくてサッカーを辞めようと思ったときも
「辞めるな。
がんばれるだけがんばれ」
と励まされた。
そして韓国代表に選ばれフリーキックを決めたとき、パク・カンジョは思わずカズダンスを踊ってしまい、後で怒られた。
「寮に入ることになったんだけどカンジョは毎日僕の部屋に歌いながら入ってくるんだよ。
朝、昼、夜と暇さえあれば『カズカズカズカズ、ゴール』って。
練習の後、食事に出かけることもあるんだけど、最初、カンジョの車でいったときガソリンスタンドで
『1000円入れてください』っていうからビックリしてね。
僕はブラジル時代の習慣で必ず満タンにしていたから。
だから満タンにしてあげた。
そらからだよ。
カンジョは必ず『僕の車で行きましょう』っていうんだ。
で、車に乗るといつも燃料メーターはいつもエンプティになっている・・・
カンジョはサッカーに関してハングリーだけどプライベートでもハングリー、一言でいえばドケチだった。
お金を貯めるのが生きがいみたいなところがあって、ずっと慎ましやかな生活をしていた」
パク・チソン(朴智星、明知大からパープルサンガ、2005年からマンチェスターユナイテッド)も、
「自らの原点は京都にあり、その中で最も規範となり刺激を与えてくれた選手は間違いなくカズである」
と語っている。
試合はもちろん練習でも率先してチームの先頭に立ってチームを鼓舞する三浦知の姿にプロとは何かということを学んだ。
また練習中、
「疲れていないか?」
と声をかけられ、練習後
「おいしい韓国料理屋があるからいってみよう」
と誘われ、19歳で単身外国に来たパク・チソンにとって日本サッカーの英雄の気遣いに驚くと同時にうれしかった。

2000年、高校を卒業した松井大輔が京都サンガに入団。
ドーハの悲劇のとき青いユニフォームを着た三浦知良をみたのは小学生だった。
初日
「おう、よろしくな」
と声をかけられ
(オオ、カズさんや)
と感動した。
その後、同じ寮で生活した。
毎朝、部屋まで三浦知良起こしに行き、7時から食事。
その後、午前の練習。
午後の練習のために部屋に呼びにいくと必ず
「今日の服どう?」
と聞かれ
「いいんじゃないっスか」
と答えた。
練習後、みんなで銭湯にいき、寮でご飯を食べて寝た。
「カズさんとサッカーをするのは本当に楽しかった。
その楽しさを一言でいうと「一生懸命やるからサッカーは楽しい」ということだと思ってます」
(松井大輔)
波長が合った2人は、いつも一緒に練習し、食事し、オフの日は神戸まで遊びに行き、バカ話で盛り上った。
三浦知良にとって松井大輔は、怖いもの知らずで生意気で、若い頃の自分をみているようだった。
松井大輔のサッカーに対する姿勢は真摯でたくさん質問を受けた。
「君は周りから『ファンタジスタ』と呼ばれて自分でもそう思っているフシがあるけど勘違いしないように。
僕は松井大輔は『さすらいのドリブラー 』だと思っています。
もうしばらくはヤンチャでいてほしい。
持ちすぎるくらいでちょうどいい。
いつかもいったようにドリブルはとられるから文句をいわれるわけで、相手を全部抜けば神様になれる」

トルシエJapan ついにワールドカップ本大会出場ならず 

ワールドカップフランス大会(1998年)での惨敗後、日本代表監督にはフィリップ・トルシエが就任した。
当初、トルシエは三浦知良を日本代表に呼ばなかったが、1999年12月の静岡キャンプで初めて参加を求めた。
1年半ぶりの日本代表だった。
「若い選手たちの模範になってもらいたかった。
彼はその役割を見事に果たしてくれた。
チームづくりのはじめの段階で本当にいい仕事をしてくれた」
(トルシエ)
そして2000年6月、ハッサン2世国王杯のジャマイカ戦で、中田英寿からのパスからゴールを決めた。
結果的にこれが代表として最後のゴールとなった。
それ以降、韓国戦にも招集され、サポーターからカズコールも起きたが、トルシエは出場させなかった。
トルシエは2002年の日韓ワールドカップへスタッフとしての帯同を望んだが、三浦知良は選手としての参加を望んだため実現しなかった。
「選手として2002年のワールドカップに出場したのはわかっていた。
だが私はロッカールームの責任者になって欲しかった。
私と選手の間に立って選手たちをまとめアドバイスを与える人間、それも選手の気持ちがよくわかる人間が必要だった。
彼らに尊敬され人望が厚い彼は、最適だと思った」
(トルシエ)
こうして予選では通算27得点のキングが本大会へ出場することは、ついになかった。
2000年5月13日、京都パープルサンガでJリーグ通算100得点を達成。
33歳でシーズン17得点を挙げ得点ランキング3位に入った。
しかしチームはJ2に降格。
2度目のゼロ円提示を受けた。

ヴィッセル神戸

2001年、ヴィッセル神戸に移籍し、以後、4年間キャプテンとして最前線に立った。
そして1年目は11得点を挙げた。
2002年、城彰二や播戸竜二が加入したり、ケガもありフル出場が徐々に減り始めた。
2003年、ベンチスタートとなる試合が増え、オゼアス&播戸の2トップのバックアップ的な役割を担うことが多かったが、J1残留を争うことになったシーズン終盤にオゼアスを出場停止となり、久々にスタメン出場した鹿島戦では、相手ゴール前で素早いターンから先制点を決め、ホームでの3ヶ月か月ぶりの勝利に貢献した。
2004年、エムボマ、平瀬智行らが加入しポジション争いは激化。
チームは残留争いに巻き込まれたが、シーズン終盤にはスタメンを奪取し、3試合連続ゴール。
2005年、自身は開幕3試合連続ゴールを決めたが、チームは低迷し、エメルソン・レオン監督が辞任。
パベル・ジェハークが新監督に就任すると、メンバーから三浦知良を外し、キャプテンも三浦淳宏にチェンジした。
2005年7月26日、シーズン途中で三浦知良は神戸を退団し、横浜FCに移籍した。

オーストラリア シドニーFC

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