日本アート・シアター・ギルド
日本アート・シアター・ギルドをご存じでしょうか?誤解を恐れずに言ってしまうと、アングラ。いや、これだと誤解されますね。恐れます。う~ん、困りました。一言で言い表せません。
日本アート・シアター・ギルド(略してATG)とは、映画会社なのですが他の映画会社とはちょっと違って、非商業主義的な芸術作品を製作・配給したことで知られています。商業的な大ヒット作品は少ないっちゃ少ないものの、日本の映画史に多大な影響を与えました。
活動期間は1961年から1980年代にかけてで、特徴としては公開作品ごとに台本が掲載された「アートシアターという映画雑誌を発行していました。
アートシアター
「良質のアート系映画をより多くの人々に届ける」という趣旨のもとに設立されただけあって、公開された作品はどれもこれも商業映画とは一線を画した素晴らしいものばかりです。まぁ、ハリウッド映画とはだいぶ趣が違いますから戸惑われる方も多いかと思います。
しかし、しかしですね。ホントに素晴らしいのですよ。海外の監督でいうと、 ジャン・コクトー、イングマール・ベルイマン、アンジェイ・ワイダ、フランソワ・トリュフォー、アンドレイ・タルコフスキー、ルイス・ブニュエル、フェデリコ・フェリーニにジャン=リュック・ゴダールなどなど、こうした名監督の代表作はATGがなかったら観ることが出来なかったかもしれません。
と、そんなわけで、ATGのディープな作品をご紹介します。
1962年
ATGの初期の活動は国外の芸術映画の配給・上映が主でした。記念すべき第1回配給作品は1962年4月20日に封切られた「尼僧ヨアンナ」です。
尼僧ヨアンナ
なんというか、あらすじを読んでも何のことやら分からんでしょう?背徳的な物語なのかなぁくらいのものですよね。評価としては「宿屋・原野・教会という密閉された小宇宙を舞台に、押し付けられた教義に反抗する人間の本性を描いた神秘的傑作」とされています。これまた何のことか分からんですよね?しかし、そこを乗り越えて予告編を見てみてください。その映像的な美しさにウットリしますよ。
如何です?かっこよくはないですか?え?分からん?それはですね、慣れです。この手の映画には慣れるしかありません。焦ることはありません。分かる日はきっとやってきます。
1962年、他にはジャン・コクトー監督「オルフェの遺言」、イングマール・ベルイマン監督「野いちご」、レナート・カステッラーニ監督「2ペンスの希望」などが配給されています。
1963年
1963年、ATGで公開された中に世界的に見てとても重要な監督の映画が公開されています。フランスのフランソワ・トリュフォー監督とソビエトのアンドレイ・タルコフスキー監督です。
世界の映画史のようなものを紐解くと二人とも必ず登場する世界の名匠です。というか、ATGではそのような監督の作品ばかりを上映していたといってもいいでしょう。
で、最初にご紹介するのはフランソワ・トリュフォーの「ピアニストを撃て」です。
ピアニストを撃て
「ピアニストを撃て」はフランソワ・トリュフォーにとって「大人は判ってくれない」に続く長編2作目。原作はデイビッド・グーディスによる同盟の小説ですが、舞台はアメリカからフランスに移されています。
フランソワ・トリュフォー作品は、この年にATGでもう1本「二十歳の恋」が公開されています。
そして、もう1本のアンドレイ・タルコフスキー作品は、長編第1作となる「僕の村は戦場だった」です。
僕の村は戦場だった
戦争で故郷の村と母を失った少年・イワンは、憎きドイツ兵と戦うために少年斥候兵となる。戦場で立派に役目を果たした彼は、味方に多くの情報をもたらすのだが…。
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