1976年
1976年といえば、1月20日に大和運輸(現:ヤマトホールディングス)が「宅急便」を始めた年です。今では信じられませんが、初日の引受個数はわずか2個だったそうですよ。
テレビでは「徹子の部屋」が放送開始され、日清食品からは「日清焼そばU.F.O.」が発売された年でもあります。

日清焼そばU.F.O.
日清食品は他にも「どん兵衛きつねうどん」を発売しています。6月にはアントニオ猪木対モハメド・アリの世紀の一戦が行われ、7月にはモントリオールオリンピック開催。あと忘れてはいけないのが、少年ジャンプで漫画「こちら葛飾区亀有公園前派出所」の連載が開始されたにもこの年です。
いろんな事が起こった1976年、さて音楽界にはどのような動きがあったのでしょうか?!それでは行ってみましょう。レコード売上枚数でみる年間ベスト10!
第10位 あの日にかえりたい
ユーミンが音楽プロデューサーの松任谷正隆と結婚したのが、この年の11月29日。1976年は幸せの絶頂にあったんですね。6枚目のシングル「あの日にかえりたい」の売上枚数は53.9万枚。発売日は1975年10月5日なので、時間をかけてジワジワと売れてきたようです。いついかなる時に聴いても掛け値なしの名曲です。

あの日にかえりたい
まさにニューミュージック。シンガーソングライターは、ユーミンの登場によって、四畳半一間の貧しいイメージが付きまとったフォークソングから、鮮やかな都会のイメージへと新たな時代に突入しました。
この映像に写っているユーミンのバックでキーボードを演奏しているのがご主人となる松任谷正隆ですね。さすがに二人とも若い、若い!
第9位 わかって下さい
1976年に61.4万枚を売り上げ9位となったのは因幡晃の「わかって下さい」です。今でも耳にすることの多い曲ですね。

わかって下さい
「わかって下さい」は因幡晃のデビュー曲です。第10回ヤマハポピュラーソングコンテストで最優秀曲賞を受賞し、第6回世界歌謡祭で入賞という輝かしい実績を残してのデビューでした。
実力は折り紙つきな訳ですが、今でも現役バリバリで活動されてます。そこがまた素晴らしい!
第8位 横須賀ストーリー
ニューミュージック、フォークときては、歌謡界も黙っちゃおられないということで(勿論そうゆう事ではありませんが)、山口百恵の登場です。65.4万枚を売り上げた「横須賀ストーリー」、歌謡曲とはいえ作曲はダウンタウン・ブギウギ・バンドの宇崎竜童。ですが、この曲、宇崎竜童も素晴らしですが、歌詞が最高です。阿木燿子の素晴らしい仕事っぷりに脱帽するしかない、それが「横須賀ストーリー」なのです。

いきなりの「これっきり、これっきり、もう、これっきりですか?」とは書けそうでいて凡人には絶対に書けない歌詞ですよね。つかみはOKとは正にこのことでしょう。
第7位 あなただけを
あおい輝彦の最大のヒット曲「あなただけを」が、72.3万枚を売り上げての7位ですね。あおい輝彦といえば、アニメ「あしたのジョー」で主人公の矢吹 丈を演じたことで知られていますが、そもそもデビューはジャニーズなんですよね。バリバリのアイドルなんです。

このジャケットの出で立ち、アイドルとは思えませんね。時代は変わるということでしょう。あちら側の方か演歌歌手といった趣ですが、曲はそうではありません。加山雄三を彷彿とさせるポップな湘南サウンドといってもいいような佳曲です。
それにしても良い曲です。ヒットしたことも頷けます。作詞を担当した大野真澄とは、「GARO」のメンバーで「学生街の喫茶店」などを歌っていたボーカルです。作曲の常富喜雄は、吉田拓郎のバックバンドととしても知られている「猫」のメンバーです。
第6位 俺たちの旅
6位は、中村雅俊ですね。売上枚数75.7万枚の「俺たちの旅」ですが、これも小椋佳によるものですから歌謡曲という感じしませんねぇ。勿論すばらしい曲に違いはありません。

俺たちの旅
この曲は1975年10月5日から1976年10月10日まで毎週日曜日に放送されていた同名のテレビドラマの主題歌です。主演はもちろん中村雅俊。70年代後半に青春時代を過ごした方であれば、知らない者は居ないと言われるほどヒットしたドラマです。その主題歌ですからヒットしないわけがない。とは言え、良い曲なんですよねぇ。中村雅俊の声やキャラクターにとてもあってます。
第5位 岸壁の母
岸壁の母というのは、第二次世界大戦後、ソ連による抑留から解放されて帰ってくる息子の帰りを待ちわびる母親のことだそうです。「岸壁の母」は歌にも映画にもなり共に大ヒットしています。実話に基づいた内容だけにリアリティがあります。歌ったのは二葉百合子、77.4万枚を売り上げました。

岸壁の母
なんというか、二葉百合子がこの歌のモデルなのではないかと錯覚しそうなほどピッタリですよね。「主人公の母親は私だ」と言ったとしても、誰も疑わなかったでしょう。
「岸壁の母」といえば、二葉百合子の印象が強く、彼女の代表曲となっていますが、実はカバーなんです。オリジナルは菊池章子が昭和29年(1954年)9月に発売され、やはり100万枚という大ヒットとなっています。
第4位 木綿のハンカチーフ
86.7万枚、「木綿のハンカチーフ」。これはもう永遠の青春ソングでしょう。太田裕美を一躍スターにし、チェリッシュ、平尾昌晃に始まり桑田佳祐、椎名林檎、岡村靖幸、いきものがかり、真心ブラザーズなどなど、信じられないくらい多くのアーティストからカバーされている大名曲ですね。

木綿のハンカチーフ
ボブ・ディランの「スペイン革のブーツ」という曲をベースにしているとはいえ、歌詞が秀逸です。結構ウエットな内容であるにも関わらず、それを無視した太田裕美のきっぷのいい歌いっぷりが曲の良さを引き出しています。
歌謡界最高のヒットメーカーである筒美京平の代表曲でもありますね。いや、素晴らしい!!
第3位 北の宿から
「岸壁の母」もいいんですが、1976年を代表する演歌となると、やはりこの曲でしょう。都はるみの代表曲ともなった「北の宿から」です。売上枚数87.7万枚、堂々の第3位です!

歌の上手さは当時既に証明済みであった都はるみですが、それでも上手いと唸ってしまう素晴らしさ。表現力とか並みじゃない、というか怪物級ですね。
この曲で第18回日本レコード大賞、FNS歌謡祭最優秀グランプリなどをはじめ多くの音楽大賞を受賞しています。それはそれとして、都はるみは当時まだ28歳なんですね。
第2位 ビューティフル・サンデー
ちっと珍しいのですが、1976年のシングル売り上げの第2位は洋楽です。オリコンチャートで15週連続で1位となり、オリコン洋楽チャートではなんと21週連続で1位というメガ・ヒットを記録したダニエル・ブーンの「ビューティフル・サンデー」。

ビューティフル・サンデー
売上枚数190.9万枚。売れに売れました。前年はミリオン・シングルは1枚もありませんでしたからねぇ。憂さを晴らすかのごとき、会心の一撃って感じです。
ダニエル・ブーンは、イギリスの歌手です。この曲は世界的にヒットしていますが、日本での人気は凄まじく、「ビューティフル・サンデー」は現在でも外国人アーティストのシングル盤の売り上げ記録として破られていません。
この曲、田中星児やトランザムのカバーでも知られていますが、実は、この年に発売された「新しき装い」というアルバムの中で、都はるみもカバーしているんですよね。
第1位 およげ!たいやきくん
さて、1976年のシングル・レコード売上第1位は、実になんと453.6万枚を売り上げた「およげ!たいやきくん」でした。この曲は現在でも売り上げ枚数が最も多いシングル盤として記録されています。年々シングルの売り上げが減少していることを考えると、おそらくこの記録は今後も破られることはないのではないかと思われます。

およげ!たいやきくん
歌っているのは子門真人。テレビドラマ「仮面ライダー」の主題歌「レッツゴー!! ライダーキック」やアニメ「ガッチャマンの歌」などで知られている歌手ですね。独特の歌声、歌唱法。一度聴いたら忘れられないほど個性的です。
「ひらけ!ポンキッキ」で流れていたとはいえ、なぜこれほどのメガ・ヒットになったのかは不明ですね。とは言え、今聴いても面白い曲であることは間違いありません。
1976年も様々な曲が売れました。ジャンルも、フォークありニューミュージックあり、歌謡曲に演歌に洋楽、そして童謡までと、実に多様ですね。
さて、翌年1977年はどのような曲がヒットしたのでしょう?このシリーズ続きます。