グレイト・ギタリスト・ハント
ロック好きの間でローリング・ストーンズと言えば、泣く子も黙る、まさに神。既にロック史にその名を刻み込んでいながら今尚活動を続けている特別な存在です。そのローリング・ストーンズからギタリストのミック・テイラーが脱退したのが1974年。ローリング・ストーンズは脂がのりきり、まさに絶頂期でした。アルバムで言うと「イッツ・オンリー・ロックン・ロール」発売後のことです。
イッツ・オンリー・ロックン・ロール
全米1位となったこのアルバムからは、同名の曲がシングルとなりヒットしています。
「グレイト・ギタリスト・ハント」をご存知でしょうか?ミック・テイラーが、1974年12月にローリング・ストーンズを脱退してしまったために、翌年に控えていた北米ツアー用に後任のギタリストを探す必要があり行われたオーディションのことです。
後任を探すと言ってもローリング・ストーンズですからねぇ。そう簡単にはいきません。この大げさな名称から想像がつくように、有名ギタリストを多数含む大掛かりなオーディションになったんです。
「グレイト・ギタリスト・ハント」は、ローリング・ストーンズの次作アルバム「ブラック・アンド・ブルー」のレコーディングを利用して行われました。
ブラック・アンド・ブルー
それにしても「グレイト・ギタリスト・ハント」とは凄いネーミングですよね。もっともローリング・ストーンズが付けたわけではありませんよ。ファンや評論家たちの間でそう呼ばれているというだけです。
とはいえ、その名に恥じないギタリストが呼ばれたのは事実。それでは、オーディションに参加したと言われているギタリストの当時の活動状況などを併せてご紹介します。
ジェフ・ベック
「グレイト・ギタリスト・ハント」といえば、まず最初に名前が挙がるのがジェフ・ベックです。オファーを受けたジェフ・ベックは通常のレコーディングセッションだと思っていたそうですが、ローリング・ストーンズへの参加要請を受け驚いたとのことです。
当時のジェフ・ベックは、自身の代表作となるアルバム「ブロウ・バイ・ブロウ」の準備を進めていた時期です。
ブロウ・バイ・ブロウ
名盤中の名盤。革新的なアルバムでもあります。しかも、全曲インストでありながら全米4位と言う大ヒットを記録しています。
ローリング・ストーンズのようにブルースに固執した音楽(まぁ、そこがカッコイイのであり、だからこそ普遍性があるのですか)は、退屈に感じたということでしょう。それほど「ブロウ・バイ・ブロウ」は素晴らしいと言えます。
日本でも流行った「哀しみの恋人達」ですが、上手すぎませんかね?!上手すぎてローリング・ストーンズには合わないように思えますね。
ジェフ・ベックは後年「ストーンズへの加入という選択肢に正直魅力を感じる自分もいた」と回顧しています。
ピーター・フランプトン
シングル「ショウ・ミー・ザ・ウェイ」の世界的な大ヒットで知られるピーター・フランプトン。当時はハンブル・パイというバンドを1971年に脱退し、まだ大きなヒットには恵まれてはいませんでしたがソロとして活動していました。1974年といえば3枚目となるソロアルバム「サムシンズ・ハプニング」を発表しています。
サムシンズ・ハプニング
ジャケット写真からも分かるように、美形です。ルックス的にはミック・テイラーの後釜としてピッタリですね。ギターもいい感じです。金銭的なことを言えば、ローリング・ストーンズへの参加は最高の待遇を得ることが出来たでしょう。しかし、ピーター・フランプトンはそれを拒み草の根全米ツアーで地道にファンを増やしていくという茨の道を選ぶんです。神はそんな彼を見捨てません。1976年に特大のヒットとなってその苦労は報われることになります。
草の根全米ツアーを収めた。1976年発売のライブ・アルバム「フランプトン・カムズ・アライヴ!」は2枚組であったにも関わらず、全米1位、全世界で実に1,000万枚も売れました!スゴイ!!
が、大人達の巧妙な契約によって、レコード印税やコンサート収益は搾取されまくり、ピーター・フランプトンのもとにはほとんど入ってこなかったそうです。神は、神は本当にいるのか!