ミリオンセラー
CDが発売されるようになったのは1982年です。それまでは音楽の記録媒体といえばレコードが主流。最近でこそまたレコードが一部の間では人気となっているようですが、あの優しい音を思い出せば哀愁を感じます。

さて、レコード時代はアルバムよりもシングルがメイン。まぁ、アルバムは高くてなかなか買えなかったという事情からですが、そんな時代に売上100万枚を超えたアルバムが4枚あります。
と言うか、4枚しかないんですね。CDが主流となってからはミリオンセラーはバンバン出てくるのですが、レコード時代には僅か4枚。しかし、この4枚。なるほど驚異的に売れただけあってどれも愛聴盤と呼ぶにふさわしい作品ばかりです。
氷の世界
日本レコード史上初めてアルバム販売100万枚を突破したのは、ご存じ井上陽水の「氷の世界」です。井上陽水の3枚目のオリジナル・アルバムで、1973年12月1日に発売されています。

井上陽水
「氷の世界」は何と100週以上もオリコンのベスト10内に留まり続け、発売から2年後の8月にミリオンサラーを達成しています。2年がかりです。驚異的とは言え、2年もかかったんですね。アルバムは10万枚でも大ヒットと言われていたくらいですから、如何に凄かったかが窺い知れます。
「氷の世界」大ヒットの足掛かりとなったのは、先行したシングル「心もよう」のヒットがあります。

心もよう
「心もよう」は1973年9月に発売され、井上陽水にとって初めてオリコンでベスト10(最高位7位)に入るヒットを記録しています。
アルバムが大ヒットするには、大ヒット曲が収録されていることが条件となりますね。
井上陽水自身は勿論のこと、フォークソング自体をもメジャーにした名曲「心もよう」。この後、先行していた吉田拓郎と共にフォークブームを牽引していくことになるのでした。
起承転結
2枚目のミリオンセラーとなったアルバムは、松山千春の「起承転結」です。これは1979年11月にリリースされたベスト・アルバムです。
現在では多数のベスト・アルバムが発売されている松山千春ですが、「起承転結」は最初のベストになります。よってキャリアの初期。今聴くと非常に瑞々しいです。

松山千春
1979年といえばフォーク・ブームは終わり、それどころか世界的にはパンク・ブームさえ終焉を迎えようとしていた頃ですね。そんな時期の松山千春ですが、彼の人気は曲もさることながらラジオのおしゃべりから火が付きます。
1977年10月からオールナイトニッポン(第2部)のパーソナリティを務め、これが当たりました。井上陽水と違ってしゃべれたんです。1978年1部に昇格し、同年発売した「季節の中で」が大ヒット、これで一気に知名度が上がりました。

季節の中で
「季節の中で」はCMソングとして採用されたことも大きかったのでしょう。オリコンで1位を獲得しています。
そして「季節の中で」を収録したアルバム「起承転結」もまた1位となり、ミリオンセラーを記録したのです。
Solid State Survivor
決して地方からは生まれないだろうという音楽があります。現在であれば可能ですが、1979年であれば絶対に無理。そう、80年代に入り一世を風靡するテクノポップもそのひとつです。
YMOことイエロー・マジック・オーケストラが1979年9月25日に発売した「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」。それまでに耳にしたことがことがない、全く新しい音楽として多くの人に受け入れられました。

Yellow Magic Orchestra
ブレイクしたのは松山千春の「起承転結」より遅かったとはいえ、発売は2ヶ月早いんです。1979年ですよ。それでこのクオリティ。メンバー3人とも既に経験、実力ともに十分だったとはいえ凄すぎます。しかもまだYMOとしてはセカンド・アルバムなんですからねぇ。
シングルカットされたのは、「TECHNOPOLIS(テクノポリス)」と「RYDEEN(雷電/ライディーン)」。作曲者はそれぞれ坂本龍一、高橋ユキヒロですが、細野晴臣のプロデュースが光りまくっています。

ライディーン
そ、それにしても、このシングルのジャケットは!テクノポップのイメージでしょうか?どう捉えたらいいのか分からなかったのでしょう。混乱した感じがこのジャケットに現れているようです。
アルバムにはシングルにはなっていませんが、「BEHIND THE MASK (ビハインド・ザ・マスク) 」という、後にマイケル・ジャクソンやエリック・クラプトンなどもカバーした名曲が収録されています。
Reflections
寺尾聰といえば、当時は役者のイメージが強かったのではないかと思います。なんと言っても石原軍団でしたからね。しかし、キャリアのはじまりは「この手のひらに愛を」の大ヒットで知られるザ・サベージのベーシスト。そうなんです。もともとミュージシャンなんです。
その寺尾聰が1981年4月5日に発売した初のソロ・アルバム「Reflections(リフレクションズ)」、それが驚異的なヒットとなる4枚目のミリオンセラーです。

寺尾聰
「大都会」や「西部警察」といった人気テレビ番組に出演していましたから既に認知度は高かった。とは言え、このアルバムは役者が片手間に音楽やってますといった感じではなく、きっちりプロデュースされ素晴らしい完成度を誇っています。
何より先行し大ヒットした「ルビーの指環」、「SHADOW CITY」。「出航 SASURAI」という3曲のシングルを収録しているところが高ポイントです。
とりわけ「ルビーの指環」ですね。

ルビーの指輪
松本隆による都会的な詩が女心を鷲掴みにしました。そして寺尾聰による曲。これがまた何とも覚えやすいものでした。ビリー・ジョエルの「ストレンジャー」をなんとなく彷彿させるイントロは、一度聴いたら耳から離れません。
う~ん、これぞシティポップ。都会というか、東京、横浜方面の音楽というイメージですね。YMOとは全くタイプの違う音楽ですが、これもやはり当時としては東京からでないと生まれなかったと思います。
さぁ、この4枚。タイプはどれも違いますが、今聴き返してみてもその素晴らしさは不滅です。日本のポップスを確立したアルバムといっても良いでしょう。
以降CD時代へと突入し、ミリオンセラーとなるアルバムが多数出てくることになります。