SOS
バンドにとってボーカリストを失うことは致命的といっていいでしょう。そのボーカリストがコンポーザーでもあったのであれば尚更です。
ルースターズのボーカル大江慎也が脱退するのは1985年3月。大江慎也在籍時、最後となるアルバムは1984年12月21日にリリースされた「φ(PHY)」でした。
φ(PHY)
アルバムタイトルが示すように誰の追随も許さない大傑作アルバム。この時点でのメンバーは、大江慎也 (ボーカル、ギター)、花田裕之 (ボーカル、ギター)、下山淳 (ギター・ベース)、灘友正幸 (ドラムス)、安藤広一 (キーボード)というベーシスト不在の5人編成です。
ベースに柞山一彦が加わるものの、大江慎也、そして安藤広一が立て続けに脱退し、ルースターズは4人組として再始動します。
その最初のシングルが1985年7月21日リリースの「SOS」です。
SOS
作曲者でもある花田裕之によるとこの曲は「大江が歌うものとして書いた」のだそうです。急遽メインボーカルとなり花田裕之はさぞかし戸惑ったことでしょう。プレッシャーも感じたことでしょう。
と思いきや、花田裕之曰く「大江はそのうち戻ってくるだろう」ということで軽く考えていたのだとか。こののんびりとした感じ、なんともルースターズ的です。
なんにせよ、花田裕之がメインボーカルとなる新生ルースターズは不安定な船出を余儀なくされたのでした。
NEON BOY
結局、大江慎也が戻ってくることはなく、花田裕之と下山淳の二頭体制となったルースターズ最初のアルバム「NEON BOY」が1985年9月21日にリリースされます。
NEON BOY
ジャケット酷過ぎないか?!と思わず突っ込みたくなるほどの悪ふざけが印象的なこのアルバム。下山淳によると「以前のメンバーを想定したアルバムだったので無理があった」ということになります。
なるほど、確かにしっくりこない感じではありますね。前作の「φ(PHY)」が統一感のある素晴らしい作品だっただけに尚更ですね。しかし、シングルとなった「Stranger In Town」などハッとする曲もあります。
しかし、これじゃイカン!と思ったのでしょうね。次作で方向転換し、一気にルースターズのイメージを塗り替え、新生ルースターズのサウンドを確立するのでした。
KAMINARI
「φ(PHY)」というアルバムは本当に素晴らしく、誰にも真似のできないものでした。そして、1986年11月1日にリリースされた「KAMINARI」、これがまた大傑作。とても同じバンドの作品とは思えませんが、どちらも孤高のバンドと呼ぶにふさわしい作品です。
KAMINARI
このアルバムを一言で表現すると「爆音」でしょう。花田裕之と下山淳のギターバトル!骨太です。ぶっといです。何故これほどまでに音楽性を変えることが出来るんだ?!と不思議に思えますが、そこが、そうルースターズなんですよね。
「KAMINARI」からはシングルカットされていなんですよね。この年、シングルはナシ。勢いからして出して良かったんでしょうけどねぇ。結局、ブレイクするチャンスを逃してしまうことに。。。
しかし、まぁ、それでもルースターズは心に残るバンドへと成長していくのでした。