岡林信康
フォークの神様といえば、そう、この人。岡林信康です。デビューは1968年で今まだ現役ですから正にフォークの生神様ですね!
岡林信康
しかし、フォークの神様と言っても、フォークばかりをやっているわけではありません。ボブ・ディランがそうであったように、徐々にロックへと移行するんですね。で、その際にバックを務めたのが、最初に日本語のロックを作り上げたとされる「はっぴいえんど」です。
まさにボブ・ディラン&ザ・バンドを彷彿とさせる、なんと刺激的かつ魅力的な組み合わせなのでしょう。
この組み合わせは短期間のものでしたが、歴史的ともいえる様々な音源が残されています。振り返りましょう。振り返りましょう。
見るまえに跳べ
デビュー曲の「山谷ブルース」は、山谷に住む日雇労働者の独白といった内容です。まぁ、ヘビーですね。「手紙」や「チューリップのアップリケ」のように部落差別問題を扱った曲など、時代とは言えフォーク期の岡林信康の歌は重いです。それがプロテストソングとして高く評価され、フォークの神様として祀られていくことになります。
1969年8月に発売されたアルバム「わたしを断罪せよ」にはそうした曲が収められています。
わたしを断罪せよ
ジャケットにデカデカと「フォーク・アルバム第一集」と書かれた「わたしを断罪せよ」ですが、ニューミュージックマガジン誌で行われた第一回日本のロック賞で見事金賞に輝いています。
第一回のロック賞にいきなりフォークを選ぶとはっ!懐が深い賞ですね。
「友よ」をはじめ代表曲を多数収録したこのアルバムは確かに素晴らしいのですが、当時はロックもフォークも言うほどにはこだわりがなかったのかもしれないですね。
岡林信康はこのアルバムの成功で息苦しさを感じるようになり、蒸発してしまいます。戻ってくるのは1970年4月のバックに はっぴいえんど を従えて行われたライブでした。
現在1970年4月24日に渋谷公会堂で行なわれたライブ「岡林信康壮行会」の模様を聴くことができます。はっぴいえんど がバックを務めたセカンドアルバム「見るまえに跳べ」の前に行われていますが、既にアルバムからの曲を聴くことができます。エレクトリックに移行したての岡林信康ですね。
岡林信康壮行会
岡林信康も初々しいですが、はっぴいえんど だって初々しいです。細野晴臣(ボーカル・ベース・ギター・キーボード)、大瀧詠一(ボーカル・ギター)、松本隆(ドラムス・パーカッション・作詞)、鈴木茂(ギター・ボーカル)と日本音楽界の重臣ともいえる錚々たるメンバーですが、それまでは「ヴァレンタイン・ブルー」と名乗っていて、バンド名を はっぴいえんど に改名したのはこのライブの一ケ月前です。
そしてライブの2か月後に世紀の大傑作、岡林信康のセカンド・アルバムが発売されます。
見るまえに跳べ
岡林信康withはっぴいえんど。演奏も素晴らしいですが、なんといっても楽曲が粒ぞろいです。岡林信康の精神状態は必ずしも良くはなかったと思われますが、そのことによって作品としては緊張感が漲ったものとなっています。ディレクターには前作でバックを務めていたジャックスの早川義夫があたっています。
このアルバムの2ヶ月後、1970年8月にカセットテープのみで発売されたライブ音源というものがあります。
私たちの望むものは 音楽舎春場所実況録音
現在はCD化されている「私たちの望むものは 音楽舎春場所実況録音」がそれで、1970年4月12日に文京公会堂で行われた「ロック叛乱祭」と4月24日に渋谷公会堂で行われた「岡林信康壮行会」の模様が収録されています。
はっぴいえんど と共に「見るまえに跳」が徐々にエレクトリック化されていく過程がみれて、とても興味深いです。
ろっくコンサート
1970年8月8日、第2回・全日本フォークジャンボリー開催。中津川フォーク・ジャンボリーとしても知られる全日本フォークジャンボリーというのは、日本初の野外フェスティバルです。岡林信康は はっぴいえんど を従えて登場します。
岡林信康 ライブ中津川フォーク・ジャンボリー
現行のCDでは、1~5曲目が第2回(1970年withはっぴいえんど)、6~10曲目が第3回(1971年with柳田ヒログループ)の模様が収録されています。
聴きどころは5曲目の「私たちの望むものは」で、けたたましくうねる鈴木茂のギターが混沌としたグルーヴ感を生み出していて圧巻です。