あなたは相撲を何倍も楽しませてもらった歴代相撲解説者を何人思い出しますか?? - Middle Edge(ミドルエッジ)
まずは、神風正一と玉ノ海梅吉以降のNHK専属解説者は??
現役時代の若瀬川 泰二(わかせがわ たいじ)
現役時は「前さばきの名人」と言われる!!
さすがに私もこの方の現役時代に関しては見たこともないが、資料によると、技能派の系統の伊勢ヶ浜部屋ならではの力士だったらしい。若い頃は突っ張りから右四つに組んでの吊り(横吊りで相手が残すと足を払いうという独特のもの)が主であったが、年数を重ねるうちに両差しになったり不十分になると差し手を返して左右に動きながら好機をうかがう技巧派に成長し、その前さばきの巧さは本人曰く「自分十分になる巧さとでもいいますか。」と解説していたと言う。引退後は年寄・浅香山を襲名し、後進の指導に当たった。
若瀬川泰二が栃錦に上手出し投げをくらっている!!
現役時代から能弁で知られ、1957年に八百長相撲疑惑をめぐり、日本相撲協会の運営の在り方が国会で議論された際にも、衆議院文教委員会に参考人として答弁に立ち、力士の立場を訴えた。そういうこともあって、引退後から当時のTBSでの相撲放送の解説者として活躍した。民放撤退後はしばらく協会の仕事に専念していたが、1985年の停年(定年)退職後はNHK専属解説者・若瀬川忠男として1991年1月場所まで、確かな技術論と共に能弁かつ人情味あふれる解説をリアルタイムでよく聞いていたものである。晩年の画像が殆どなかったのが
元力士タレントの元祖で解説者と言えば、元田子ノ浦親方の出羽錦忠雄!!
出羽錦 忠雄(でわにしき ただお)
だが資料によると、出羽錦は最初から守りの相撲をしていたわけではなかったそうだ。最初は突っ張って前へ出る激しい取り口だったが、膝を怪我したのが原因で相撲の取り口が一変したと言われている。昔、膝にいつも包帯を巻いていた姿を思い出すのですが、そのせいだったんですね!
出羽錦忠雄/田子ノ浦親方/ドリフターズ【ズンドコズンドコ全員集合】スチール写真
そういう才能があるからこそ相撲放送の解説もするようになったのではなかろうか?。1990年から1999年までNHK専属解説者だったが、なかなか明解で、聞きやすかった。また、生放送中に突然川柳を詠むことでも知られ、「勇退の 伯父にはなむけ 初賜杯」「寝て起きて また強くなる 貴花田」「曙が 朝日に変わる 九月場所」「智ノ花 先生辞めて 良かったね」などを残した。ただ現代流に言うと”ウケねらい”なのだろうが、サービス過剰な面もあった。
四股名が発音しづらいため本名で出演した緒方昇(北の洋)
北の洋 昇(きたのなだ のぼる)
時津山、若羽黒、安念山と共に立浪部屋の四天王と言われ、栃若時代の名脇役を務めた。速攻と変化技が得意で“白い稲妻”の異名をとった。
年寄・武隈として日本相撲協会の理事や監事を歴任し、在職中に日本テレビの相撲放送解説を務めていたが、1988年1月場所を最後に停年退職し、本名の「緒方 昇」としてNHK専属の相撲解説を務めた。また、タレントとしてNHK総合テレビのクイズ番組「クイズ日本人の質問」に出羽錦忠雄と共に解答者(大相撲チーム)として準レギュラー出演していたほか、1996年には映画「スーパーの女」(伊丹十三監督)に出演したことが話題となった。
ありし日の北の洋(右側)
さて肝心の相撲解説に関してだが、これまで力士出身で相撲の解説をした人は皆親方の時は親方名で、相撲協会を定年になった人は現役時代の四股名で解説をしていたのが通例だった。ところがこの人だけは北の洋を名乗らずに本名で解説を始めた最初のケースだろう。本人は表の理由として、「四股名が発音しずらい」からだと言っていたようだが、『協会を離れたのだから、一個人として発言した方がいい』という考えによるものだったのではと推察するのだが・・・??。
彼の解説はなかなか明解な物だったが、理事をつとめて協会の運営にたずさわったせいなのか、解説の視点が協会の幹部が現役力士の相撲を見てしゃべっているような感じを受ける事があった。(私のかんぐりすぎか??)これまでにない観点からの解説なので、なかなかおもしろい時があったり・・・。