西武鉄道の歴史の始まり
1915年に池袋~飯能間が開業した西武池袋線に対し、西武新宿線の前身となる川越鉄道が1895年に現在の本川越~東村山間を開業させている。実は20年も歴史が古い。しかし都心寄りの区間は1927年に東村山~高田馬場間が完成し、西武新宿駅までは1952年と戦後に完成している。
画像は昭和49年頃の東村山駅。この駅から西武鉄道の歴史は始まりました。
実は新宿線の開業1年前に東村山~国分寺間が先行開業しているため西武線の発祥は厳密には国分寺線だったりするんですよね。当時は本川越~国分寺間が一体で運行していたようです。その名残りか現在も直通する電車が数本ありますね。
ちなみに開業当時は東村山駅は「久米川駅」と名乗っていました。
靖国通りの対岸にある西武新宿駅
西武新宿線の一番ネックともいえる西武新宿駅の位置。新宿駅東口から新宿通りと片道四車線の靖国通りを挟んだ場所にあり、連絡通路や誘導するような目立った案内もほとんどない。一応地下でつながっているが連絡通路とは言い難いほど遠回りである。そのために乗り換えには5~15分ほどかかり、新宿駅に乗り入れる電車の多くが車内案内で西武新宿線を省いていることが多い。
新宿駅と直結していればと思う人は多いと思うが、過去にはもちろん乗り入れ計画があった。現在のルミネエストの位置に駅ができる予定で、現在の西武新宿駅は延伸するまでの仮の駅舎の予定であった。その後利用者が急速に増えたのだが、延伸先の用地がホーム2線6両分しかなく延伸しても乗客を裁けない状態となってしまい、現在は西武新宿駅を正式な駅としたうえで、延伸計画は凍結されてしまった。
画像は新宿駅東口。左側のルミネエストのある位置が西武新宿線の新宿駅の建設予定地でした。現在も延伸計画自体は残っているようですが、もし建設するなら地下化される事になりそうです。しかし地下25メートルほどの位置になるようで、おそらく大江戸線よりもさらに深くなるようです。もし完成しても高田馬場駅の方が今まで通り乗り換えやすいかもしれません。
新宿駅だけでなく西武新大久保駅もできる予定だった
西武新宿駅を出ると埼京線を挟んだ西側に山手線の新大久保駅が見えてくるが、西武線にはホームがなく素通りしている。かつては西武新宿線にも駅ができる計画があった。現在の位置にそのまま建設するのではなく、西武線と埼京線の線路を互いにクロスさせ、山手線の真横にできる予定だったようだ。
コリアンタウンとして人気の高い町ですが。電車では基本的に山手線でのアクセスのみです。もし山手線以外でも行くことができたなら、おそらく人の流れは変わっていたかもしれません。
今の線路の真下にもう一本線路を建設する計画があった
上記の記事と比べるとやや後発になるが、輸送力が限界に達していた高度経済成長期からバブル期にかけて、現在の路線の直下約30メートル程の位置に地下急行線を建設して優等列車と各駅停車をそれぞれ別の線路を走らせる計画があった。新宿~上石神井間を地下化し、途中駅は高田馬場駅のみ建設する予定であった。しかしバブルが崩壊すると利用客は減少に転じ、それと同時に計画は無期延期となってしまったようだ。
画像は上石神井駅をホーム上の駅舎から本川越方面を見下ろしたものです。
地下化計画は最近完成した小田急線の複々線化と同じような計画ですね。これとは別ですが、中井~野方間が地下化工事を行っていて、将来的には武蔵関駅付近まで立体交差化されるようです。あと最近になって地下鉄東西線との相互乗り入れ計画も構想としてあるみたいですね。
高田馬場駅に埼京線のホームがない
西武新宿線の中で最も利用客の多い駅だがJRは山手線のみの停車で埼京線にはホームがない。山手線と西武線の間にあるため物理的に建設困難なのだが、もし停車すれば利便性は大きく向上すると思うので何とか改善して欲しいと思う方も少なくないと思われる。
埼京線が新宿駅まで延伸されたのは1986年で、延伸以前も線路自体は通っていた。以前は「山手貨物線」という貨物主体の路線で、それまで旅客列車はほとんど通っていなかった。当時の国鉄も西武もここに旅客列車が頻繁に通ることは全く想定していなかったようである。しかしJRは41万人とJR全体でも12番目に多く、西武線は約30万人の利用客があるため何とか改善されればと思う。
画像は高田馬場駅。山手線のホームから撮影し、看板の奥が西武新宿線、その手前が埼京線で物理的にホーム設置が難しいです。
以前ニュースで池袋~新宿間が乗車時間が長く最も痴漢の被害に遭いやすいと伝えていました。もしホームができれば被害も減り利便性も向上するため双方にとって良いかと思うのですが…。1988年には当時の小渕恵三内閣官房長官に陳情書も出されているようですが、30年経った今でもほぼ変化がないようです。
初代特急レッドアロー号は現在も現役で走っている
西武鉄道の顔ともいえる特急レッドアロー号。初代の車両5000系は現在も完全には引退しておらず、遠く北陸の地で第二の人生を送っている。富山県内を走る富山地方鉄道の観光列車アルプスエキスプレスとして当時の塗装のまま立山や宇奈月温泉など県内有数の観光地を結んでいる。
現在のレッドアロー号の足回りなどは初代のものをそのまま使っているので西武鉄道としても完全には引退していないんですよね。このほかにも一般の車両は秩父鉄道や伊豆箱根鉄道など全国に譲渡されていて今でも活躍しています。
下井草駅~上井草駅間にある「井荻駅」
下井草駅と上井草駅駅の間には「井荻」という駅があるが、本来ならば「井草」となるべきであろうし、所在地も東京都杉並区井草という場所にある。駅名が町名と異なるのは、駅が開業した際東京都豊多摩郡井荻町というの自治体名であったため。現在は再編され井荻という地名は消滅しているが、駅名はその当時の名残りで今も変更なく存在している。
南大塚駅にある謎の廃線跡
南大塚駅の少し北側に朽ち果てたような線路の跡地がある。これは西武安比奈線という貨物専用路線の跡である。3.2kmと短く、主に入間川で採取された砂利を運搬する目的で建設された路線である。需要の減少により1963年より休止状態となっていたが2017年に正式に廃線となった。
この路線を活かして車両基地を建設する予定があったようで、そのため半世紀以上にわたり休止状態で廃線にしてなかったようです。
いかがでしたか?普段利用している方にとっては感じている疑問がいくつかあったのではないでしょうか。正直不便に感じる路線ではありますが、今後は少しづつ変化があるようなのでこれからも地域の足として頑張って欲しいものです。