あなたは相撲を何倍も楽しませてもらった歴代相撲解説者を何人思い出しますか??

あなたは相撲を何倍も楽しませてもらった歴代相撲解説者を何人思い出しますか??

久しぶりに相撲に纏わることを書くとしよう。私は過去にも何篇か相撲に関する記事を書いた記憶があるが、今回は、力士の記事ではなく、相撲番組で取組について解説していた解説者に焦点を当てて見ようと思っている。私が物心ついた頃より、テレビやラジオのチャンネルを相撲に合わせると必ずアナウンサーと解説者の声が聞こえて来て、『ははぁ~ん! 今日はアナウンサーは〇〇さんで、▲▲さんの解説だなぁ!!』と一声だけで判ったものだった(だいたい今も同じようなものだが・・・)。


歯に衣着せぬ解説は先人ゆずり?!

現在、相撲中継は、NHKでのみ実施されており、実況アナウンサーと解説者が番組進行などを担当し、主に相撲の解説を担当するのがNHK専属解説者です。他にもゲスト解説者として相撲部屋の親方、相撲に著しく詳しいタレント(デーモン閣下ややくみつるなど)、又は昔人気のあった元関取(花田虎上[若乃花]、KONISHIKI[小錦]など)が受持っている。

実況アナウンサーと解説者(元横綱 北の富士)

NHKの専属相撲解説者として、北の富士勝昭(元横綱 北の富士)と舞の海秀平(元小結 舞の海)の二人が今現在担当している。

1998年より北の富士勝昭がNHK専属相撲解説者に!!

では、北の富士勝昭の名言語録について何点かご紹介したい。

まずは、何とも言えない絶妙なジョークから!!。
元大関である把瑠都と横綱日馬富士が対戦した取組で、立合のタイミングが合わずに黒星を喫してしまった日馬富士に対し、「日馬富士は、『待った!』じゃなくて、『しまった!』だねえ~」

そして、何とも言えない本音を交えながら、2012年当時36歳で引退を表明した若の里に対する賞賛の言葉を口にしたときの解説だが、「肩から脚までの筋肉!すごいねえ~。よくあんな厳しい師匠の元で十年も二十年もやってきたよね。俺なら持たないよ!」。

北の富士自身が、不摂生で32歳の若さで引退していることを振り返っての実感がこもった解説であったと私は思う。

ミレニアム(2000年)より舞の海秀平がNHK専属相撲解説者に!!

舞の海 秀平(まいのうみ しゅうへい、1968年2月17日 - )は、日本のスポーツキャスター、タレント、NHK大相撲解説者、出羽海部屋所属の元大相撲力士。現在は境川部屋の師範代もつとめている。有限会社舞の海カンパニー(本人の個人事務所)所属。本名は長尾 秀平(ながお しゅうへい)、愛称はまいちゃん、シュウヘイ。現在の体格は身長169cm、体重85kg。血液型B型、左利き。
舞の海は現役時代、小兵ながら多彩な技を駆使し、東小結まで上り詰めた。「技のデパート」「平成の牛若丸」という愛称で呼ばれた人気力士だった。
現役引退時に年寄名跡に空きがなく、タレントに転身し、NHKの専属解説のほか、スポーツコメンテーター、旅番組のレポーターなど様々な活動をしている。

NHK大相撲解説を務める舞の海秀平

舞の海の解説は、素人には分かりやすく、丁寧だと好評だそうだが、生意気なようだが、私のような玄人には、時々重箱の隅をつつくような解説がウザく感じる時がある。本当にどうでもいいようなことを力説していることもある。取組予想でもとんちんかんな予想をたてることもしばしば(ありえない力士の変化など)。現役時代には「予想もできないような技」で相手を翻弄させたなごりだろうか??、今度はテレビ視聴者を翻弄させる気か??。

NHKと民放で同一時間に同様の相撲番組を放送していた!!

NHKと民放で同一時間に同様の相撲番組を放送したら、単純に考えて人間がどんな行動をするか解るでしょう!!。民放の最大のネックは番組スポンサーのCMを流さねばならないことだ。勿論取組の真っ最中にはさすがに流さなかったようだが、取組が終る毎にCMを流されたとしても、興味、興奮は半減されてしまうのが人間の性だ。丁度ボクシングの試合で1ラウンド(3分)が終る毎にCMが流れるのと同じだ。ましてやNHKのCMがないものが平行して放映されていれば、やはり人間はCMのないNHKにチャンネルを回してしまうのは「自明の理」である。

この頃はサッカー日本代表の国際マッチなどで同様の現象が起こっている。地上波民放放送とNHKBS放送で同じ番組を放送するのだが、やはり、私はNHKBSを見てしまっている!!。

あなたは伝説の二人の相撲解説者をご存知だろうか??

伝説の相撲解説者の一人、神風正一

神風 正一(かみかぜ しょういち)
本名赤沢正一。大正10年10月19日、大内町三本松(現在の東かがわ市三本松)に生まれる。旧制大川中学(現在の三本松高校)3年の終わりに、大相撲、横綱玉錦の内弟子として二所ノ関部屋に入門、昭和12年5月に初土俵を踏み、17年に入幕、19年に関脇になった。25年1月場所、前頭2枚目で2横綱、1大関を倒して9勝6敗の成績をあげながら、翌場所前頭筆頭に止められた(この時は東筆頭で不戦勝を含む8勝7敗だった出羽錦が小結になった)不公平さに失望し、番付面の不満を理由に翌場所突如引退。その後、一時、年寄片男波を襲名、百人余の力士を持つ部屋を継いだが、翌年秋に廃業した。NHKが主催した相撲討論に神風が出席し、そのさわやかな弁舌を目の当たりにしたNHKが勧誘、本格的な解説者としてスタート。以来32年間、花形解説者として活躍した。平成2年5月に逝去。享年68歳。
なお、神風の四股名の由来は、朝日新聞社が所有した長距離飛行機(「神風号」)の名前からとったものである。そのため戦争中に〈神風特別攻撃隊〉が生まれると軍部から「不敬である」と非難されて謹慎処分を受けたが、双葉山の取りなしによって直後の1945年6月場所には復活を果す。

神風正一

大相撲中継が開始した1953年5月場所から1987年5月場所(テレビでの解説は1986年3月場所で勇退)までNHKの相撲解説者として活躍し、なかなかの美声と歯切れの良い語り口で解説し、独特の語り口で人気を博した。指摘した戦法通りの結果となることも多く、「神風さんの仰ったとおり」とアナウンスされることもしばしばあるほど。

ありし日の神風正一

力士の動きをわかりやすく話し、相撲人気の一翼を担った。文芸評論家小林秀雄は神風解説のファンで『神風の解説こそほんとうの解説だ、表も裏も知り尽くして云々』と絶賛していたという。
下記動画では神風さんの解説と杉山アナウンサーの声が聞けますが、まさにこれが伝説の”セット”の語り口だろう。

伝説の相撲解説者のもう一人、玉ノ海梅吉

玉ノ海 梅吉(たまのうみ うめきち、1912年11月30日 - 1988年10月23日)は、長崎県東彼杵郡(現:長崎県大村市)出身の元大相撲力士。本名は蔭平 梅吉(かげひら うめきち)。
筋肉質の体格で足腰が強く右腕の怪力も有名で、腕を伸ばしたまま大人を提げたり、宴席では右の拳に小柄な芸者を載せて持ち上げたほどだったという。右で前褌を取ってから左で相手の右手首を掴んだ上で立ち腰で出ようと試み、土俵際で残されたなら右から捻る力任せかつ強引な取り口で、1935年1月場所で新入幕を果たした。以降、順調に力を養うが、親方である玉錦三右エ門が急性盲腸炎で現役死亡したため、急遽、年寄・二所ノ関を二枚鑑札で継承した。玉ノ海は現役力士と親方業の兼務に多忙を極めることとなる。
1942年1月場所では関脇に返り咲いて10勝5敗の好成績を収めたことで大関への昇進が目前だったが、親方業との兼務による疲労から感冒に感染してしまい、昇進は果たせなかった。以前から「玉錦が生きていれば(玉錦の稽古によって)間違いなく(大関に)なっていた」と言われた。

玉ノ海 梅吉

1945年11月場所を最後に現役を引退し、親方専任として後進の指導に当たった。協会員としては時津風の良き相談役として活躍し、理事まで務めた。ニ所ノ関部屋師匠在任中、大ノ海、力道山、琴錦などの関取を育てた。第二次世界大戦の最中は食料を確保するために兵庫県西宮市で二所ノ関部屋単独の勤労奉仕を行っていたところ、捕虜を微用したとして戦後直後に戦犯容疑で逮捕された。すぐに釈放されたものの、この際に日本相撲協会からの冷遇を感じたため、部屋を佐賀ノ花勝巳に譲って1951年に廃業した。
廃業後は戦争によって部屋を再建するまでの間に、兵庫県武庫川で妻が経営する洋裁学校の校長を務めていたが、日本放送協会の大相撲解説者に転身することが決定、解説者としての名は「玉の海梅吉」とした。現役時代に四股名が掲載された番付では、梅の字は木と毎を横ではなく縦に並べて書かれていたが、解説者としての名では通常の「梅」を用いた。独特の塩辛い声で各力士へ批評を繰り広げるが、その一方でユーモアあふれるコメントはお茶の間の相撲ファンに親しまれた。

ありし日の玉ノ海梅吉

玉の海梅吉 | NHK人物録 | NHKアーカイブス

玉ノ海梅吉の相撲解説はとにかく辛口でありながら、人情味のある言葉もかける絶妙の相撲解説だった。「角界の彦佐」とも言われ、親しまれた。ゆっくりとした、独特の節回しのしゃべり方。ちょうど野球解説の野村克也と同じような口調だった。
辛口という点では、解説で今をときめく北の富士の現役時の相撲を評し、「薄っぺらい現代相撲の典型」と一刀両断。もちろん、横綱として物足りないという意味だったのだろう。

私も年を取って見ると、玉ノ海梅吉の言いたいことが理解できるような気がする。要するに、彼のの好きな相撲は個々人の能力や体格を鑑み、自分の一番取り易い定番の取り口を磨くために一心不乱に稽古を積み重ねている相撲であったと。

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