1987年、第4回極真空手世界大会は、ミッシェル・ウェーデル、ピーター・スミット、ジェラルド・ゴルドー、アデミール・ダ・コスタなどの海外の強剛が空手母国に集った。
アンディ・フグも「アルプス最強の男」といわれた。
そして4回戦で闘将と呼ばれた木元正資と対戦。
パンチから叩き落とすようなローキックで棒立ち状態にさせて、ダウン寸前に追い込み、文句なしの判定勝ち。
試合後、木元正資は、アンディ・フグの突きについて
「あまりに強烈なので死ぬかと思った」
といった。
5回戦は、同年の全日本中量級で優勝し、翌年の体重無差別の全日本大会で優勝することになる桑島靖寛にローキックで一本勝ちした。
準々決勝でアンディ・フグはアデミール・ダ・コスタと対戦。
アデミール・ダ・コスタは、かつて130㎏の中村誠に対して、68㎏(当時)の体とフットワーク、変則的な蹴りで戦い判定勝ちしたことがあった。
ちなみに中村誠は2度も世界大会で優勝する選手である。
前回の世界大会では4位、100人組手も完遂したアデミール・ダ・コスタは、さすがにアンディ・フグの踵落としをうまくディフェンスしたが、踵落としからのローキックで技有り。
さらに右のミドルキックをもらい、合わせ技で一本負けした。
アンディ・フグの準決勝の相手は、爆発的な攻撃力で「爆撃機」と呼ばれた増田章だった。
試合開始早々、パンチとローキックでラッシュする増田章に
「優勝するためには、脚にダメージを抱えると次の試合に勝てないから、1試合で3本以上いいローキックをもらわないように徹底的に脛受けの練習をしてきた」
というアンディ・フグは冷静にカット。
そして踵落としで牽制し、増田章に間合いに入らせないようにしながら、軽く速いパンチから強いローキックで増田章をグラつかせ、フットワークで後ろに下がりながら、下段後ろ回し蹴りで追ってくる増田章にで脚を蹴り、さらにグラつかせた。
増田章の脚のダメージは明白だった。
2人は、3回の延長戦を戦い抜き、判定でアンディ・フグが勝った。
過去に極真空手の世界大会で決勝に進んだ外国人はいなかった。
決勝戦は松井章圭 vs アンディ・フグ。
この大会前に100人組手を達成した松井章圭も得意技はアンディ・フグ同様、足技だったため、両者の戦いは危険で華麗な足技の応酬となった。
アンディ・フグより身長が低い松井章圭には、踵落としがヒットしやすいはずだったが、松井章圭は下段後ろ回し蹴りで迎え撃つという超のつく天才っぷりを発揮した。
また再延長戦では、アンディ・フグが、故意ではないが松井章圭の顔面に突きを入れてしまう反則を犯してしまった。
そして判定で、4年前同様、松井章圭の勝ちだった。
しかしアンディ・フグの強さを疑うものはいなかったし、世界大会2位は外国人初の快挙だった。
vs 緑健児
松井章圭は、大会後、選手を引退した。
アンディ・フグは、友人と共同出資で「Sports Freaks」というスポーツショップを始めた。
また雑誌の撮影で、トップモデルのイロナと出会いアンディ・フグは一目惚れ。
仕事のためにアメリカにわたるというイロナに猛チャージし、イロナはアメリカ行きをやめ、2人は小さなアパートで同棲を始めた。
スイスで行われた国際大会の準優勝で、アンディ・フグは、前回の世界大会で、165cm、70kgの体でベスト16に入った緑健児と対戦し判定勝ち。
決勝でも勝って優勝した。
緑健児は、世界大会のある試合で、気持ちが弱くなってしまい負けた。
どうしようもなく自己嫌悪に陥り引退した。
そして田舎に帰って家業を手伝い、ダンプの運転手をしていた。
しかしダンプを運転していても考えるのは空手のことばかり。
ある日、大山倍達の命でスイスで演武を行うことになった。
現地にいくと試合の出場も依頼され参加。
そしてアンディ・フグに負けたことで火がついた。
帰国後
「もう1度やってみよう」
と1日8時間、ハードトレーニングを開始した。
第5回世界大会 アンディ包囲網
1991年、第5回極真空手世界大会に出場したとき、アンディ・フグは27歳だった。
その肉体はさらにビルドアップされ、ニックネームも「アルプス最強の男」から「ヨーロッパ最強の男」とグレードアップ。
優勝候補と目された。
しかし3度目の世界大会挑戦は、非常に険しい山(トーナメント)登りとなった。
1回戦:ビガーゼ・タリエル、194㎝112㎏。
2回戦:ヨハン・ブプセライネン、201㎝115㎏。
3回戦:ウラジミール・クレメンテフ、196㎝105㎏。
この明らかに作為的なトーナメントの組み合わせは「アンディ包囲網」と呼ばれた。
しかし80㎏台アンディ・フグは勝ち進んでいった。
vs フランシスコ・フィリョ 反則? 生涯初の失神KO負け
そして4回戦、事件が起こった。
前回の世界大会の準決勝で、アンディ・フグはアデミール・ダ・コスタを踵落としからローキックというコンビネーションで破った。
今回は、アデミール・ダ・コスタの弟弟子となるフランシスコ・フィリョと対戦。
20歳のフランシスコ・フィリョは、世界大会初出場だったが、圧倒的な強さをみせて勝ち上がっていた。
それに比べると今大会のアンディ・フグはオーラが少なかった。
3回戦終了後に行われた試割り審査で、隣で失敗したフランシスコ・フィリョをみてガッツポーズをとったのもアンディ・フグらしくなかった。
試合は、共に蹴りが得意なもの同士、パワフルで華麗な殺人的な蹴りが飛び交うスリリングな展開となった。
しかし明らかにアンディ・フグのフランシスコ・フィリョの蹴りに対するディフェンスには問題があった。
しっかり顔面をガードし、あまり動かすべきでない腕を伸ばしてしまい、フランシスコ・フィリョの蹴りに体をのけぞらせてしまう。
しかし試合は両者よく攻め合い一進一退で進んだ。
「ヤメ」
審判が試合を止め両者を分けようとした瞬間、ガードを下したアンディ・フグの顔面をフランシスコ・フィリョの左ハイキックが蹴り抜いた。
アンディ・フグは意識を失いマットに落ちた。
生涯初の失神KO負けだった。
フランシスコ・フィリョの反則かとも思われたが、審判委員長である大山倍達は
「たしかに試合はスポーツだが、それ以前に極真空手は実戦を想定した武道である。
武道である以上、たとえ第3者が「止め」を宣告してもスキをみせてはならない。
これは倒されているアンディの明らかな負けである」
とした。
見事な裁定かもしれないが、アンディサイドからみれば、まさに
「アンビリーバブル」
再びアンディ・フグは悲劇の主人公となった。
この大会で、黒澤浩樹の激烈な下段回し蹴りが、大型の外国人選手を戦闘不能や戦意喪失させた。
緑健児に体重判定敗れたものの、間違いなく最強だった。
岩崎達也とジャン・リビエールが同時に後ろ回し蹴りを放ち、岩崎達也がノックアウトされ、
アンディ・フグはフランシスコ・フィリョの上段回し蹴りでノックアウトされた。
そして増田章との壮絶な決勝戦に勝ったのは、スイス大会でアンディ・フグに負けた緑健児だった。
極真空手の世界大会はいつもそうだが、この大会もドラマチックだった。