竹内まりや
ニューミュージック界で、ユーミンと並ぶ歌姫と言えば、それはもう「竹内まりや」。

竹内まりや
デビュー当初はアイドル的に売り出された竹内まりやでしたが、その巨大な才能は夫となる山下達郎によって開花させられ、一流のアーティストとして今日に至っています。
山下達郎の功績は大きいわけですが、ちょっと待ってください。アイドル時代の竹内まりや。これが実にイイんですよ!
デビューから結婚するまでの竹内まりやを振り返ります。
BEGINNING
竹内まりやのデビューは1978年11月25日、シングル「戻っておいで・私の時間」、アルバム「BEGINNING」です。

BEGINNING
アイドルといっても、ジャケットからも伺えるように、普通の女子大生といった感じですね。ヒットはしなかったものの、デビュー曲の「戻っておいで・私の時間」は伊勢丹のCMタイアップという恵まれたスタートを切っています。
作曲はPOP職人の加藤和彦ですね。良い曲です。が、この曲はDr. Buzzard's Original Savannah Bandの”I'll Play The Fool"と”Cherchez La Famme”にそっくりだという情報があります。
では、聴いてみましょう。
続いて「I'll Play The Fool」です。
う~ん、なるほど。このアイデアは加藤和彦なのかアレンジャーの瀬尾一三なんでしょうか?それにしてもDr. Buzzard's Original Savannah Bandとは。一般に知らないですよね。良く探してくるものだと感心します。さすがプロといったところでしょう。
UNIVERSITY STREET
1979年5月21日発売のセカンド・アルバム「UNIVERSITY STREET」。ジャケット写真が最高です!こんな大学生活がおくれると楽しいだろうなと思わずにはいられません。

UNIVERSITY STREET
セカンド・シングルは「ドリーム・オブ・ユー〜レモンライムの青い風〜」で、アルバムにも収録されていますが、音源が違います。シングルの方がポップでいい感じですよ。
で、この曲がまた加藤和彦作曲、瀬尾一三アレンジなのですが、巷ではDONNA SUMMERの「I REMEMBER YESTERDAY」に激似といわれております。
激似ですかねぇ。。。皆さんはどう思われますか?
LOVE SONGS
1980年3月5日発売の3rdアルバム「 LOVE SONGS 」。当時流行っていた2トーン・ファッションが今見てもオシャレですね。なんといってもカワイイ。

LOVE SONGS
このアルバムからは2曲がシングルになっており、そのひとつが初期の最高傑作「September」です。コーラスを担当しているのはEPOですね。
因みにカップリングの「涙のワンサイデッド・ラヴ」には山下達郎、吉田美奈子が コーラスで参加しています。
そしてもう一曲が資生堂化粧品のCMソングとなった「不思議なピーチパイ」で、これは大ヒットしました。
ヒット曲も出て、「SEPTEMBER」によって1979年度 第21回日本レコード大賞新人賞も受賞し、順調だったのですが、与えられた曲を歌うことに疑問を持ち始め、山下達郎との出会いもあり自ら楽曲を作り始めます。
Miss M
本腰を入れて自作曲を作るようになりいきなり結果をだすことになった5枚目のシングル「二人のバカンス」。これホントに良いです。
そして「二人のバカンス」も含む4thアルバム「Miss M」が1980年12月5日に発売されます。Miss Mということでまだ独身ですが、既に山下達郎との同棲生活がはじまっていたそうです。

Miss M
レコードだとA面、CDだと1~5曲目までがL.A.録音となっていて、これがスゴイ!AIRPLAYのデビッド・フォスター、ジェイ・グレイドンにTOTOのスティーブ・ルカサー、ジェフ・ポーカロ等の名プレイヤーが参加しているだけのことはあります。本格派というか上質なFUSION~AORに度肝を抜かされます。
Portrait
1981年10月21日発売の5thアルバム「PORTRAIT 」。この年に竹内まりやは休業宣言をし、翌1982年に山下達郎と結婚します。独身としても、アイドルとしても最後の作品ですね。

Portrait
アルバムにも収録されている、ヒット請負人の松本隆の詩に林哲司の曲で7枚目のシングル「イチゴの誘惑」。
自作の8枚目のシングル「SPECIAL DELIVERY〜特別航空便」も収録されていますが、これはもう山下達郎のアレンジがドリーミング!
そして音楽活動休業前の最後のシングルとなった「NATALIE」。本人も主演した花王「リーゼ」のCMソングでした。
カムバックは山下達郎のアレンジが冴えまくる1984年4月10日発売のシングル「もう一度」で、これ以降は活動を抑えつつも今日に至るまでモンスターぶりを発揮することになります。