1948年1月2日生まれ。愛媛県松山市出身。
幼くして両親が離婚、母親に引き取られ愛媛県川之江市(現:四国中央市)に移る。母親は自宅で売春宿を経営していた。
愛媛県内の高校に入学するものの交際中の同級生が事故死し、自暴自棄になり3年生の1学期に退学。
福田和子著「涙の谷―私の逃亡、十四年と十一カ月十日」
【被害者となった福田和子】
18歳の時に同棲していた男性と高松市の国税局長の家に強盗に入った罪で松山刑務所に服役した。その服役中に衝撃的な事件に被害者として巻き込まれてしまう。
1966年、当時18歳だった福田は、第1次松山抗争で逮捕された郷田会の関係者が看守を買収し、女性受刑者を強姦するという松山刑務所事件が起き、その事件で被害にあってしまう。
さらに、福田は移監された高松刑務所でも同様の被害に遭っているが、いずれも被害届を出す事が認められなかったため、公訴時効により事件の責任追及は行われなかった。
福田和子著「涙の谷」
出所後、キャバレーのホステスとして働いていた1982年、松山市内で福田の同僚だったホステス(当時31歳)の首を絞めて殺害する松山ホステス殺害事件を起こし、逃亡する(後に逮捕された夫は死体遺棄罪のみで有罪となった)。
長期間逃亡した動機は、以前に服役した刑務所で二度も強姦事件の被害者となった事である。
逃亡中は幾度となく偽名を使ったり美容整形を繰り返したりするなどして全国のキャバレーを転々とする生活をしており、美容整形をしていたことが判明した際には「7つの顔を持つ女」と呼ばれた。
【顔は変えられても、声は変えられなかった】
愛媛県警察が懸賞金をかけた捜査を行い、公訴時効が成立する21日前である1997年7月29日、福井市内で逮捕された。逃亡生活は5,459日間にもおよんだ。
逮捕のきっかけは大々的にワイドショーなどで報道され、社会的関心が高まった事にあった。
事実、逮捕につながる情報を提供したのは、顔なじみのおでん屋の店長からで、常連客を含め、テレビのワイドショーなどで流れる福田の肉声とそっくりであった事から通報に至っている。
逮捕後、松山東警察署で取調べを受けた後の1997年8月18日に殺人罪で起訴された。公訴時効成立まで11時間前の起訴であった。
パンフレット
その後、無期懲役の刑が確定し、和歌山県和歌山市の和歌山刑務所に収監された。
2005年2月に刑務所内の工場の作業中に、くも膜下出血のため緊急入院。意識の回復のないまま3月10日、入院先の和歌山市内の病院にて死去。57歳没。
強姦事件 その後
15年間に及ぶ逃走劇
逮捕までの15年近く、日本各地を転々としていた福田。
石川県根上町(現在は市町村合併により能美市)では、和菓子屋の後妻(入籍はしておらず、事実上の内縁関係)になった事もある。その店には、家が近所で当時小学生であった、後のプロ野球、ゴジラ・松井も客としてよく菓子を買いに来ており、松井は福田逮捕後のインタビューで「きれいで愛想のいい奥さんだった」と語っている。
金沢市のスナックで働いていた福田はその店の客だった和菓子屋の主人に見初められて同棲するようになり、店も手伝うようになる。福田は非常によく働き、接客も得意だったことから、店はたちまち評判となり、新しく改装するほどの繁盛店となった。
和菓子屋の主人は福田をたいそう気に入り、正式に結婚を申し込むが、福田は正体の露見を恐れ、結婚を渋る。
あまりに結婚を渋る福田の態度に不審を抱いた親戚が石川県警察に通報し、警察は福田の逮捕に向かう。しかし、当日、近所の葬式の手伝いに出掛けていた福田は警察の行動を素早く察知し、とっさの判断で近くにあった自転車に乗り逃走。これにより逮捕は失敗する。
この時、警察は福田が整形手術を行っていた事を初めて知り、この事実は当時の週刊誌でも取り上げられている。