細野晴臣
日本音楽界の重鎮、細野晴臣。彼が1969年に大瀧詠一、松本隆、鈴木茂と結成した「はっぴいえんど」は日本語によるロックを完成させた初めてのバンドとして今なおリスペクトされています。

細野晴臣
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とは言え、「はっぴいえんど」は知る人ぞ知る存在ですから、一般的に細野晴臣が知られるようになったのは高橋幸宏、坂本龍一と共に結成したイエロー・マジック・オーケストラ (Y.M.O.) でしょう。
しかし、「はっぴいえんど」解散から「イエロー・マジック・オーケストラ」結成までの間に細野晴臣が発表した楽曲はどれもこれも素晴らしく、「イエロー・マジック・オーケストラ」の成功の秘密もこの時期の活動にあります。
今でも十分に刺激的で魅力溢れるエキゾチック・サウンドを再確認したいと思います。
HOSONO HOUSE
「はっぴいえんど」の解散が1973年で、ラストアルバム「HAPPY END」は2月25日に発売されましたが、細野晴臣はソロアルバムを3ヶ月後の5月25日に早くも発売しています。

HOSONO HOUSE
ソロ・デビュー・シングルはアルバムにも収録されている「恋は桃色」でした。この曲は最近ではサニーデイ・サービス、中村一義、星野源などがカバーしたことで広く知られるようになりましたね。
トロピカル・ダンディー
1975年に発売された2作目のアルバム「トロピカル・ダンディー」。細野晴臣の作品は、名作、名盤と呼ばれるものばかりですが、本作も間違いなくその類です。

トロピカルダンディー
唯我独尊といいますか、少なくとも当時日本にこのような曲、アルバムを作っていたミュージシャンはいません。
後に「トロピカル三部作」と呼ばれることになるエキゾチックなアルバムは本作から始まります。
ソロと並行して活動を開始したのが、細野晴臣、鈴木茂、林立夫、松任谷正隆(後に佐藤博が参加)からなる音楽ユニットのティン・パン・アレーです。
バンドとしての活動よりもプロデュースに重きを置いたユニットといったかんじで、ユーミンをはじめ多数のアーティストの楽曲に参加していたティン・パン・アレーですが、この年アルバムを発表しています。

キャラメルママ
また、西岡恭蔵名義で細野晴臣はプロデューサーとしてクレジットされているだけですが、実質的には共作アルバム「ろっかばいまいべいびい」もこの年に発売されています。
大きなヒットになることはありませんでしたが、素晴らしいアルバムです。それにしても精力的に活動していたんですね。

ろっかばいまいべいびい
泰安洋行
もしかすると、もしかするとですが、1976年に発売されたこのアルバムこそが細野晴臣の最高傑作なのかもしれません。何と言っても収録されている楽曲が粒ぞろいです。捨て曲などひとつもありません。
イエロー・マジック・オーケストラ以前の細野晴臣を聴いたことがないというのであれば、本作「泰安洋行」をお勧めします。

泰安洋行
70年代の細野晴臣の映像は残念ながらあまり残っていないのですが、これは貴重なライブ映像ですね。「香港Blues」を演奏していますが、多少なりとも当時の雰囲気が伝わるのではないでしょうか。
はらいそ
そして1978年の「はらいそ 」です。名義はハリー細野とイエロー・マジック・バンド。バンド名からも分かるように、既にこの時、細野晴臣にはイエロー・マジック・オーケストラの構想があったといいます。
また、本作に参加したミュージシャンの中には、高橋幸宏(ドラム)、坂本龍一(キーボード)の名前を見ることができます。

はらいそ
本作では多種多様なジャンルの音楽をごた混ぜにしたサウンドが繰り広げられており、本人はそれを「チャンキー・ミュージック」と名付けています。
コチンの月 細野晴臣+横尾忠則
イエロー・マジック・オーケストラのデビュー・アルバムが発売されたのが1978年11月25日。グラフィック・デザイナー横尾忠則との共作アルバム「コチンの月」は、2ヶ月前の9月21日に発売されています。

コチンの月
共作といっても横尾忠則はアルバムジャケットのデザインを担当しているだけで、音楽的には細野晴臣の単独アルバムといえます。
ただ、2人でインド旅行をした経験をもとに制作されたそうですので、横尾忠則から様々なインスピレーションを受けたのでしょうね。
細野晴臣の構想には、イエロー・マジック・オーケストラのメンバーとして横尾忠則が入っていたそうですから、これで準備が整ったといった感じだったのかもしれませんね。
この後は、「トロピカル三部作」でやってきたエキゾチックな音楽をシンセサイザーを使ってやるという前代未聞の音楽が、イエロー・マジック・オーケストラによって実現することになるのでした。