ビジュアルと体格は超一流!でもハートが優しすぎる大森隆男
まずは個人的な大森隆男ベストバウトをご覧頂きたい。
2004年7月18日 両国国技館 三冠ヘビー級選手権試合 川田利明vs大森隆男である。
前年にWJに移籍を表明していたが、WJ自体の運営がうまくいかず、半ばフリーとして活動していた2004年。
ノアと袂を分かった古巣である全日本プロレスに乗り込んでの三冠ヘビー級のタイトルマッチ。
川田との死闘はまさに全日本プロレスを体現した試合であった。試合後半の川田のエグイ攻めを耐え抜く大森隆男。是非、このベストバウトを見てワイルドを体感して頂きたい。
アメフト選手からプロレスラーへ
城西大学アメリカンフットボール部
城西大学アメリカンフットボール部(@josaifootball)さん | Twitter
日本では珍しいがアメリカではアメフトからプロレスラーになる選手も多い。
有名なところだとボブ・サップやレスナー、そしてスタン・ハンセン、ファンク兄弟もアメフト経験者である。
城西大学でアメフトに勤しんだ大森隆男は、アニマル浜口ジムへと入門し、プロレスラーの道を歩み始める。
アニマル浜口トレーニングジム
トレーニングジムを探せる|汗かこ.com
プロレスラーの登竜門とも言えるアニマル浜口ジム。
単にプロレスラーを育成するだけではなく、人間形成をする道場としてのアニマル浜口ジムでもある。あのテレビに映っているアニマル浜口が全てではないのだ。
アニマル浜口ジムから念願の全日本プロレスに入団。練習生からのスタートだったが、一方永遠のライバルとも言える秋山は、後楽園ホールで小橋健太とのデビュー戦だった。
ライバル秋山との闘い~「NO FEAR」結成
華々しくデビューした秋山とは異なり、練習生からのスタートとなった大森隆男。
同期である2人はタッグを組み、アジアタッグ王座を獲得する。初めてのタイトルである。この頃からタッグマッチの素質が芽生え、後のタッグ王座獲得にも繋がっていく。
タッグマッチでは、結果を出していたのだが、この頃の全日本プロレスは「四天王プロレス」の最盛期とも言える時代。その厚い壁に跳ね返され続けていた頃、ライバルである秋山が5人目として認知されていくのである。
秋山とのアジアタッグ王座獲得
同期同世代対決! 秋山準vs大森隆男 -その1- | メタボの気まぐれ - 楽天ブログ
1996年に会社の指名によりWWEに派遣されてロイヤルランブルに出場するなど、会社の期待を受けるまでに成長していたが、いまだブレイクできていない状態だった。
そこで産み出したフィニッシュが代名詞ともなったアックスボンバーである。
アックスボンバー
1999年、UWFインターナショナル、キングダムから高山善廣が全日本プロレスへと移籍してくる。
共に長身であった2人がタッグを結成したとき、全日本プロレスらしくない化学反応が起こる。それが「ノーフィアー」現象であった。
長身でイケメンだったがブレイクしきれなかった大森と長身でU系のバックボーンでも全日のプロレスに馴染めていなかった2人が組んだことでそれぞれ殻を破ることになるのであった。
NO FEAR
☆東日本大震災復興支援プロレス☆ | ☆クレオ新宿★さいてつブログ☆
プロレスリング・ノアへの移籍、そして退団。
プロレスリング・ノア旗揚げ時
だからやめられないのです(前編) - 本州のハズレ付近出身者から好評?発信中 - Yahoo!ブログ
2000年8月に三沢光晴らによって設立されたプロレスリング・ノアへ移籍。
全日本プロレス在籍レスラーのほとんどが移籍する異例の事態であったが、旗揚げ時の写真撮影のポジションを見ると2列目にいることで会社からの期待がわかる。