ダウンタウンの名を一躍世に知らしめた『4時ですよーだ』
ダウンタウンがブレイクするきっかけとなった番組…。こう書くと、あなたは何をイメージするでしょうか?『ごっつええ感じ』?『夢で逢えたら』?『ガキの使いやあらへんで』?…さまざまな意見が挙がることでしょう。
しかし、80年代後半に多感な青春時代を関西で過ごした方であれば、十中八九『4時ですよーだ』を推すに違いありません。
大阪・毎日放送の『4時ですよーだ』が放送開始されたのは、1987年4月6日。今から30年ほど前のことです。ダウンタウンの2人は当時23歳。若い女の子からアイドル的人気を誇った彼らが受け持った最初の冠番組であり、おそらく、最初で最後の帯番組でした。

「4時ですよ~だ」グッズ
浜ちゃんが!
当時のことを振り返り浜田は「夕方の4時からの放送なんて誰が見るねんと思った」と語り、松本に至っては放送開始1週間前から、下痢が止まらなかったといいます。
若手時代から舞台上で人を食ったような態度を取っていたダウンタウンも、さすがに、自身初の看板番組を持つにあたり、相当緊張していたようです。

今や大御所の2人にも、そんな時期があったのです。
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ハイヒール、今田、東野など…番組を彩った出演芸人たち
同番組には、ダウンタウン以外にも、数多くの人気芸人を輩出したことでも知られています。以下が主だった出演タレントたちです。

ハイヒール(リンゴ・モモコ)
漫才 ハイヒール モモコ リンゴ - YouTube

おかけんた・ゆうた
おかけんた・ゆうた 漫才 ええ声 - YouTube

まるむし商店(磯部公彦・東村雅夫)
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非常階段(シルク・ミヤコ)
シルク コンビ時代「非常階段」 - YouTube

ピンクダック(ミチ・レイコ)
551蓬莱 CM 1991年 ピンクダック - YouTube

今田耕司・東野幸治
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石田靖
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130R(板尾創路・ほんこん)
130R ネタ - YouTube

ボブキャッツ(ヒロ・雄大)
ボブキャッツ 2 - YouTube

オールディーズ(木村祐一・栩野進)
130R(板尾・ほんこん)・オールディーズ(木村・栩野) コント・漫才 - YouTube

亀山房代(左)
里見まさと・亀山房代 漫才 1994年1月 - YouTube

メンバメイコボルスミ11(ビク・トリア、ココ・シャネル)
menbameicobolsumi11 - YouTube

西川のりお・上方よしお
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1989年4月からは本木雅弘も参加!東野と犬猿の仲に!
また、芸人たちもモックンを快く思っていない人間が大半だったらしく、特に敵意をむき出しにしていたのが、東野幸治。目の前でモックンがあいさつをしても完全無視。コントのネタ合わせでも、演出家を介してしかコミュニケーションをとらないという、無礼極まりない態度を取っていたそうです。
なお、2016年10月16日に2人は『行列のできる法律相談所』で27年ぶりの共演を果たし、一応の和解(?)をしています。
本木雅弘、因縁の東野幸治と27年ぶり対面 和解ムードも一触即発の事態に!? | ORICON NEWS
初回放送には、明石家さんまが登場
初回放送には、明石家さんまがスペシャルゲストとして出演しています。これは、番組のチーフ放送作家・寺崎要が、桂三枝(現:六代桂文枝)司会の番組『ヤングおー!おー!』時代から、さんまと知己を深めていたおかげ。松本曰く「チカラワザ」でこのスーパースターの招へいに成功したそうです。
この様子をテレビで観ていた、ダウンタウンの幼馴染で後に同番組の放送作家になる高須光聖は、「ダウンタウンがさんまさんと絡めんねや、もう」と驚いたとのこと。当時既に『ひょうきん族』『男女7人夏物語』で、全国区の人気タレントとなっていたさんまが、まだまだ駆け出しだったダウンタウンの番組にサラッと登場した光景は、視聴者へ絶大なインパクトを与えたのです。

明石家さんま
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今となっては『笑っていいとも!』の最終回よろしく、特殊中の特殊な機会にしかあり得ない、超大物同士の邂逅。が、これほど貴重な共演なのにもかかわらず、当時のVTRはどこにも保管されていなかったといいます。以下は、視聴者のVHSから抜き出された貴重な映像です。
夕方4時台では、異例の最高視聴率16%をマーク
そんな個性豊かなタレントたちが出演した『4時ですよーだ』でしたが、一番のみどころといえば、やはり、ダウンタウンの2人です。
同番組のプロデューサー・田中文夫曰く「最初から出来上がっていた」という浜田と松本は、誰の手を借りることなく、自分たちだけでどんどん成長していき、お笑い界のモンスターへと変貌を遂げていきました。
放送開始したばかりの頃こそ、視聴率3%台に伸び悩んだものの、徐々に数字を上げていき、全盛期には7~8%を記録。夏休みには10%台、最高視聴率は、今やゴールデンのバラエティでさえ困難であろう「16%」に達するという、驚異のおばけ番組へと進化していきました。「夕方4時になるとミナミから人が消える」そんな逸話さえ語られていたというから、半端ではありません。
ダウンタウンの2人が大号泣!今では絶対見られない、感動の最終回
しかし、そんなモンスター番組も、ダウンタウンの出世によって終わりの時を迎えます。『笑っていいとも!』や『夢で逢えたら』など、東京へのレギュラー番組が次々と決まっていた彼ら2人の才能を、大阪だけにとどめておくことはもはや不可能でした。
最終回が行われたのは、1989年9月29日。大阪府吹田市にあったミリカホールから2時間の生放送を行い、華々しい終幕を飾ったのです。観客はもちろん全員大号泣。ダウンタウンも、客前で歌を歌いながら、人目をはばからず泣きじゃくっていました。このシーンひとつとっても、いかに『4時ですよーだ』が、2人にとって思い入れのある番組だったか分かるというものです。
最終回から20数年。今ではすっかりお笑い界の大御所となったダウンタウン。2010年には、当時の思い出を振り返る『7時ですよーだ』なる特番を放送していることからも分かるとおり、どんなに時が流れても、今なお、『4時ですよーだ』が彼らにとって、そして古くからのファンにとって大切にしたい番組であることに変わりはないのでしょう。
(こじへい)