サテリコン
映画「サテリコン」。絢爛豪華な背徳の世界を映画ならではのスケールと表現でもって描ききった傑作です。
第30回ヴェネツィア国際映画祭において最優秀イタリア映画賞を受賞。第43回アカデミー賞では監督賞、第27回ゴールデングローブ賞では外国語映画賞にそれぞれノミネートされています。

サテリコン
フェデリコ・フェリーニ
「サテリコン」はイタリアの巨匠フェデリコ・フェリーニ監督の13番目の作品で、「甘い生活」、「フェリーニのローマ」とともに「フェリーニのローマ三部作」とされているうちの1本です。
他の2本が現代のローマを舞台にしているのに対し、サテリコンの舞台は古代ローマで紀元1世紀ごろにペトロニウスが書いた「サテュリコン」を原作としています。

フェデリコ・フェリーニ
フェデリコ・フェリーニ監督といえば、それぞれアカデミー賞外国語映画賞を受賞した「道」、「カビリアの夜」、「8 1/2」、「アマルコルド」が有名であり、ローマ三部作の中でもカンヌ国際映画祭・パルム・ドールを受賞した「甘い生活」の方が一般には良く知られいます。
しかし、「サテリコン」には、それらの代表作にはない想像力の限界に挑んだかのような圧倒的なパワーがあります。観終わった後には、これぞフェリーニといった満足感を得られること間違いなし!きっと圧倒されますよ。
因みに音楽を担当しているのはフェリーニとの名コンビとして知られるニーノ・ロータです。現在ではCDを手に入れることはなかなか難しいかとは思いますが、こちらも聴いて損なしの1枚といえます。

FELLINI SATYRICON SOUN
あらすじ
そのそも「サテリコン」に物語と呼べるものがあるのでしょうか?いえ、あるにはあります。しかし、誤解を恐れずに言えば、この物語にそれほどの意味があるとは思えません。
「サテリコン」は、夢の断片をつなぎ合わせたような作りになっています。エピソードのひとつひとつが独立している。しかし、奇妙な統一感がある。そんな感じです。
フェデリコ・フェリーニ監督の作品は難解だと言われるのは、こんなところにも原因があるのかもしれませんね。
先ずは難しいことは考えず、フェデリコ・フェリーニ監督が持てるだけの才能を注込んだ作品を目に映る範囲で楽しめれば、それで良いのではないかと思います。
舞台設定は古代ローマ、「サテリコン」は学生エンコルピオの少年奴隷ジトーネへの愛の独白から始まります。

エンコルピオ

ジトーネ
ジトーネは親友のアシルトに奪われていたのです。

アシルト
アシルトを探し出し問い詰めたところ、ジトーネは、既に芝居小屋に売り飛ばされていました。エンコルピオはジトーネを買い戻そうと芝居小屋へ向かいます。

ジトーネと芝居小屋の座長
必死の思いでジトーネを奪還したエンコルピオ。その後、愛をむさぼり合う二人でしたが、そこにアシルトが現れエンコルピオとアシルトのどちらについてくるかジトーネに選ばせることに。
すると、ジトーネはアシルトを選びエンコルピオの元から去って行ってしまいます。

ジトーネの奪い合い
愛する者を失ったエンコルピオが嗚咽していると、大きな地震が起こりエンコルピオの泊まっていた宿は何かを象徴するかのように崩落するのでした。
翌日、エンコルピオは、トリマルキオのもとに出向きます。そこでは酒池肉林の宴が開かれていました。

トリマルキオの宴
そこで展開されているのは、ローマ市民の頽廃した代表的な光景です。

トリマルキオの宴
おぞましい宴が開かれているなか、エンコルピオは老詩人エモルポを救いだします。
そして、アシルト、ジトーネと共にエンコルピオ は貴族リーカの軍船に運ばれます。そこで、エンコルピオはリーカに気に入られ、2人は結婚式をあげることになるのです。

リーカ
しかし、この頃ローマの情勢が大きく変わり、皇帝は暗殺され、リーカも殺されてしまいます。
エンコルピオとアシルトは釈放されますが、ローマは崩壊しはじめます。その後2人は、色情狂の夫人を慰め、金儲けの為に両性具有の神の子を誘拐します。

神の子
突然エンコルピオは闘技に狩り出され、ミノタウロスの格好をした男と訳も分からず戦う羽目に。

命は助かったもののエンコルピオは、精魂尽き果て性的不能に陥ってしまいます。
悩むエンコルピオ救い出したのは、アシルトと大金持ちとなっていた老詩人エモルポでした。
女魔術師エノテアによって回復したエンコルピオでしたが、アシルトは盗賊に襲われ殺されてしまい、エジブトへ船出するという老詩人エモルポも死んでしまいます。

老詩人エモルポの死
老詩人エモルポは遺言で「自分の肉を食べたものに財産を分け与える」と言い残していました。
人間が人間の肉を食べあさるという異様な光景をみていたエンコルピオは、おぞましい呪縛から解き放たれるように大声で笑うのでした。
完

演出中のフェリーニ監督
フェリーニ作品の登場人物は、主役に限らず誰もが個性的。よくもこんな役者を見つけてくるものだと感心させられます。
しかも、この映画に関しては出演者全員異常と思える役ですからね。