ナディア・コマネチ Nadia Comaneci ルーマニアの白い妖精 完璧な演技で史上初の10点満点を連発 体操に革命を起こしたヒロイン

ナディア・コマネチ Nadia Comaneci ルーマニアの白い妖精 完璧な演技で史上初の10点満点を連発 体操に革命を起こしたヒロイン

1976年のモントリオールオリンピックの女子体操で、14歳の少女が世界をアッといわせた。 団体戦規定の段違い平行棒でオリンピック史上初の10点満点。 さらに団体戦自由、個人総合、種目別でも完璧な演技をみせ、計7回の10点満点記録。 奪ったメダルは金3個、銀1個、銅1個。 153㎝、39㎏、白い肌、白いレオタード。 「白い妖精」といわれた。 1984年、22歳で現役引退。 1989年、チャウシェスク独裁政権が崩壊する直前、自由を求めてアメリカに亡命。 オクラホマ州で体操教室を開いた。 モントリオールオリンピックで初めて10点満点を出したとき、演技終了後、審判団は10点という点数を想定していなかったため「1.00」というスコアボードを掲げた。 現在はルールが変更されたので、10点満点は存在しない。


19歳のナディア・コマネチは、もう1年体操選手として頑張って、その後はブカレストの大学に行こうと思った。
1980年のオリンピックには出たかった。
ベラ・カロリーとマルタの同意を得てブカレストに戻りトレーニングを始めた。
トレーニングをしていくうちに坐骨神経痛が出始めた。
脚にも痛みがあり、神経を切れたように足の指の感覚がないこともあった。
物理療法を受け、硬いところで寝たりして回復に努め、練習やトレーニングは無理をせずなんとかいい成績が出せるように最低限の練習をこなした。
ブカレストで亡命した一家の家を買い、母と弟と住んだ。
体操選手として毎月100ドルをもらっていたが、足りない分は母が地元の店で働いた。
冬は光熱費を熱約するために3人一緒に寝起きした。
当時、共産主義国のアスリートはCM出演や講演で収入を得ることができなかった。
だからナディア・コマネチの収入はルーマニア政府が握っていた。
1980年のモスクワオリンピック直前に、ソ連がアフガニスタンに侵攻。
アメリカのカーター大統領が抗議の声明を発表し、オリンピック不参加を各国に呼びかけた。
このため日本を含む多くの民主主義国家がオリンピックをボイコットした。
しかしナディア・コマネチにとって大した問題ではなかった。
最強のソ連やドイツとメダルを争うことが重要だった。
アメリカは当時まだそのレベルに達していなかったのでオリンピックに出場しなくても残念とは感じなかった。
モスクワオリンピックはソ連の土俵での戦いだった。
ルーマニアチームは団体総合でソ連に次いで2位。

しかし個人ではナディア・コマネチが段違い平行棒で落下したので、ソ連のエレナ・ダビドワは大きなミスをしなければ優勝することができる。
そして残るは最終種目のみ。
ナディア・コマネチは平均台の2人目、エレナ・ダビドワは段違い平行棒の6人目、最後の選手だった。
平均台の1人目の選手が演技を終え、ナディア・コマネチは審判の演技開始の合図を待った。
しかし審判が集まって何か話し合い合図は出ない。
その間に段違い平行棒は進んでいき、ついに6人目のエレナ・ダビドワの演技が終わった。
得点は9.95だった。
そこでようやくナディア・コマネチに演技開始の合図が出て、手堅くまとめた演技は9.85。
こうして個人総合の金メダルはエレナ・ダビドワ、ナディア・コマネチは銀メダルとなった。
これについてソ連が勝つためにナディア・コマネチの演技時間を遅らせたという人もいたが、ナディア・コマネチ本人は自分のミスとエレナのよい演技を認め結果を妥当と受け入れた。
しかしベラ・カロリーは
「採点はフェアにやれ」
と抗議した。
帰国したベラ・カロリーはブカレストの中央員会に呼び出された。
ハンガリーの血を引くという理由で、チャウシェスクはベラ・カロリーを嫌っていた。
チャウシェスクは、「2世代前から続くルーマニア人で、かつ国内で生まれた者だけが国家防衛に関わる党と政府の役職に就くことができる」とし、1977年末にコマネチのコーチを交替させようと決めた理由も「あのゲスなハンガリー夫婦とナディア・コマネチの名声をわけるのはいやだ。彼女にはルーマニア人の血を引くコーチを探さなくては・・・」という理由からだった。
ベラはチャウシェスクの信任厚い委員たちが居並ぶ机の前に立たされ説明を求められた。。
なぜオリンピックを混乱させたのか?
なぜ西側マスコミに話したのか?
(ベラは「大会は腐敗している」とアメリカの記者に語った)
なぜ(我が国の友人である)ソ連を侮辱したのか?
ベラは軽くても投獄、もしかしたら命を奪われるかもしれなかった。

運命のアメリカツアー

チャウシェスクファミリー

オリンピック以降、20歳のナディア・コマネチは体操をやめて、大学に通い、弟の面倒をみて、毎月半ばになると食べていくのに悪戦苦闘した。
当時誰もが食べ物を手に入れることが困難だった。
朝4時に食料品店の行列に並んで順番が来てみると、棚にはマヨネーズとマスタードと豆しかなく、近所同士で食料を交換したり分け合って暮らした。
みんな暮らしは悲惨で苦しかった。
ルーマニアの食料はすべて輸出されていた。
チャウシェスクが懐を肥やし、国名義で負った債務を完済するためだった。
ナディア・コマネチは体操をやめてはじめて自分がそれまでどれだけ幸運だったか知った。
トレーニングしている間はちゃんと食事ができた。
しかし体操選手としての生活が終わると周囲の人と同じ辛い生活が待っていた。
ナディア・コマネチは大学でフォークダンスチームの振付師をした。
これが初めて仕事だった。

1981年、ルーマニア体操連盟から電話があり、アメリカでエキシビジョンツアーを行うという。
政府としては11都市でショーを開催し25万ドルを集めたかった。
そこで1000ドルのギャラを出すからナディア・コマネチに参加してほしいという。
振付師の給料は日給3ドルだった。
ナディア・コマネチは承諾した。
チームはベラ・カロリーとマルタが引率していた。
オリンピック以後、ナショナルチームのコーチから外され、デパのトレーニングセンターは政府の支援を失った。
そしてこの遠征に同行することを強制された。
また外国マスコミと話すことを禁じられた。
ベラは政府の冷遇にすっかり愛想をつかしていた。
ルーマニア体操連盟理事が代表団長として同行し、また私服警官数名も身分を隠して派遣された。
スケジュール、ホテル、交通機関、パスポート、すべてを理事が管理した。

バート・コナー

アメリカではアメリカの体操選手チームと一緒にバスに乗り言葉が通じない中で楽しい時間を過ごした。
ナディア・コマネチは彼らの音楽を聴きコミュニケーションを試みた。
ここに後に夫となるバート・コナーがいた。

ベラとマルタは亡命後、アメリカで体操の指導者となりゴールドメダリストも輩出

ある夜、理事とベラが大喧嘩をした。
そしてベラとマルタは自分と家族の命が危ないと判断し亡命することを決意した。
家族や友人、家や持ち物をルーマニアに残し、エキシビジョンツアー用のスーツケースだけを持って国を出た。
アメリカには友人はいない。
受け容れられず強制送還になり亡命未遂の罪で投獄されてしまうかもしれなかった。
アメリカでの最終日、選手は朝のミーティングの後、ニューヨークでショッピングを楽しんだ。
買い物から帰ると昼ミーティングが行われたが、そこにベラとマルタはいなかった。

胎児政策

恩師の亡命後、ナディア・コマネチの周囲は変わった。
ルーマニア政府は国外旅行を許さず、エキシビジョンツアーのリストにも入らなかった。
亡命を恐れての措置だった。
数年後、スポーツディブロマを取得し大学を卒業し、体操連盟の仕事に就いた。
さまざまなクラブに行き体操選手の様子を視察しコーチングとトレーニング施設について報告する仕事だった。
仕事は楽しかった。
しかし特別なことはなくごく普通の人生だった。
給料は大学在学中とほとんど変わらなかったが、25歳になると政府は給料からかなりの額を差し引くようになった。
理由はナディア・コマネチに子供がいなかったからである。
この措置は25歳で子供がいないすべての女性に対して実施されていた。
1970年代半ば、チャウシェスクは2000年までにルーマニアの人口を2300万から3000万人に増やすという方針を決定。
自分の信奉者を増やし税収を増やし国力を増大させるためだった。
そのため「胎児は社会全体の財産であり、子供を産まない者は国家存続に反する者である」とし、中絶は禁じられ、25歳になっても子供がいない女性は愛国の義務を怠った罪で罰金が科せられた。
チャウシェスクの胎児政策でルーマニアの出生率は2倍になった。
しかし妊婦の健康を維持し、新生児を育てるために必要な食物や栄養は国民の手に入らなかった。
チャウシェスクは性教育や生殖に関する書物を禁じ「国家機密」とした。
45歳未満の女性は3か月おきに診察を受け妊娠の有無をチェックすることが義務付けられた。

1981年、ルーマニアの国家事情は悪化。
チャウシェスクは農業や酪農によって本来足り得る国内の食料のほとんどを輸出した。
西側に100億ドルの債務があったため、国外に売れそうなものはすべて輸出し一気に完済しようと考えた。
その結果、国民は1ヶ月当たり450~900gの肉しか配給されなくなった。
これでは家族はおろか1人でも1週間も持たない。
できるなら子供は欲しくない。
でも罰金を払うこともできない。
チャウシェスクは浪費を続け、使いもしない運河を掘り、豪邸を40軒も所有した。
その妻も宝飾品、ヨット、旅行など湯水のように使った。
一方で多くの町では電力不足が起こり1日1度しか湯を沸かすことができなかった。
チャウシェスクは工場に週7日労働を強制し賃金をカットした。
土地の再開発が決まると住人を追い出した。
多くの国民の唯一の慰めだった宗教を禁止し教会を破壊した。
政府は暴力と秘密警察を使ってマスコミを操作したため、ナディア・コマネチはこういったことを知らなかった。

1984年、ロスアンゼルスオリンピックを、1980年のモスクワオリンピックをアメリカがボイコットした報復としてソ連、キューバ、東ドイツなど多くの共産主義国が不参加を決定した。
しかしチャウシェスクはルーマニアを参加させた。
ナディア・コマネチもルーマニア代表チームのメンバーとして参加を求められた。
アメリカでは食事や買い物を楽しみ、できるだけ多くの友人に会った。
ベラ・カロリーがアメリカで教えた選手:メアリー・ルー・レットンをみた。
ベラに挨拶することは許されたが話しかけることはできなかった。
でもアメリカで生活できていることを確認できてうれしかった。
電話もレンタカーもホテルの部屋も全部盗聴されていた。
付き添いの女性は政府の役人でナディア・コマネチの一挙手一投足を記録した。
2、3週間後、帰国し、体操連盟の仕事に戻った。

危険なチャレンジ 亡命

自由に国外旅行を許され、そこそこの給料をもらっていたら考えなかったかもしれない。
しかしある日、ナディア・コマネチは気づいた。
今いる場所にいたらその先は死しかないと。
ルーマニアで出世するには汚い政治屋になるしかなかったが、そんなことはできない。
もっといい仕事に就きもっと稼ぐ希望もない。
体操の代表メンバーとして世界をみるチャンスもない。
家にも店にも食料がない。
もう行き止まりだと思った。
今のまま声もなく叫び続けるか、自ら決意して自分の人生を切り開くか、どちらしかないことに気づいた。
ナディア・コマネチは自分自身の夢をみたいと思った。

亡命の第1段階は、友人宅で行われたバースディパーティーの席から始まった。
そのパーティーには亡命しアメリカに市民権を持つルーマニア人が数名参加していた。
その中の1人:コンスタンチン・パニートはフロリダに住み、亡命をサポートしているという。
2度目にコンスタンチン・パニートに会ったのもパーティーだった。
秘密警察の目をごまかすためにこうした形をとるのである。
コンスタンチン・パニートは亡命の方法を示した。
コンスタンチン・パニートの友人がハンガリー国境近くに住んでいるので、一家を訪ね国境近くに暮らす人と付き合いがあることを政府に納得させるのがいいという。
急に1度だけ訪ねたら怪しまれるが数度繰り返せば警察の脇も甘くなるだろうと。
そして警戒される前にうまく国境を越えることができるかもしれないという。
ナディア・コマネチはコンスタンチン・パニートの案に従い国境近くの家を訪れた。
そのとき他の亡命希望者6名とも顔を合わせた。
女性2人と男性4人だった。
そのうち1人は3度亡命を試みて失敗していた。
ハンガリーまでは行けたがハンガリー当局に強制送還されたという。
そして投獄された。
でもなお4度目の亡命を試みようとしていた。
亡命の計画は、父にも母にも話せなかった。
もし話せば2人にも危険が及ぶ。
また密かに家を弟名義に改めた。

そしてコンスタンチン・パニートの友人宅で開かれるパーティーに参加し続けた。
その家は近隣を含め警察に監視されていた。
出入りの際にセキュリティーゲートに署名しなければならなかった。
ある夜、国境そばの家を訪れた後、ナディア・コマネチはセキュリティーゲートに戻らず、反対に闇に向かって走った。
3度亡命を試みた男性について森を6時間走り抜けハンガリー国境を越える計画だった。
コンスタンチン・パニートは国境の向こうの車の中で待っていた。
11月で気温は零下。
地面は凍っていて何度も滑った。
見つからないように灯りはつけられない。
またしゃべることもできない。
できるだけ音を立てず移動し、できるときは走った。
背後から撃たれるかもしれない恐怖と戦いながら凍った湖に行き着いた。
他に渡れる場所はなかった。
全員が氷に乗ったとたん氷は割れて水中に落ちた。
長い時間をかけなんとか湖を渡ったときには痛いほどの冷たさで感覚がマヒしていた。
6時間後、ようやくzやsの入った名前が書かれたプレートがあった。
ルーマニアの名前でなかった。
汚れた格好でコンスタンチン・パニートの車を探しているとハンガリーの警官に遭遇した。
午前2時に人気のない通りを歩いている7人のグループに警官は尋問を始めたが、答えられないのをみると車に乗せて署に連行し個別に事情聴取した。
ナディア・コマネチはすぐに亡命を認められた。
そして他の2人も。
しかし残りの4人は翌日ルーマニアに送還するという。
ナディア・コマネチはいった。
「全員がここにいていいと認められないなら私も残りません」
警察はそれを認め、全員をホテルに宿泊させ食料の引換券を渡した。
警察を出ると失敗に気づいたコンスタンチン・パニートがきていて
「私がホテルに連れていきます」
といってみんなを車に乗せたが、向かったのは違うホテルだった。
ハンガリーは目的地ではない。
オーストリアの保護を求める計画だった。
翌朝の新聞には、ナディア・コマネチの写真が載っていたが何と書いてあるかはわからなかった。
次の日、グループは車でオーストリアの国境に向かった。
6時間後、国境前の検問所に到着。
その手前でグループは車を降り、コンスタンチン・パニートだけ車で検問所を通過し検問されるかどうか試してみた。
車は止められ、車で国境を越えるのは危険と判断し、夜を待ち他のところから国境を越えることにし、コンスタンチン・パニートは再び国境の向こうの車の中で待つことになった。
闇の中でコマネチたちは2時間かけ血だらけになりながら7つの有刺鉄線の柵をクリアし、コンスタンチン・パニートと合流し車に乗り込み、ホテルの部屋でみんなで雑魚寝した。
そして翌日、他のメンバーは難民シェルターに入り、アメリカ行きを希望するコマネチはアメリカ大使館に行った。
オーストリアのアメリカ大使館は、保護を求めるナディア・コマネチに笑顔で対応し、大急ぎで必要書類をそろえ、護衛つきの車で空港に送り、数時間後にはパンアメリカンのファーストクラスに搭乗させた。
10時間のフライトでJ・F・ケネディ空港に到着し、ナディア・コマネチは記者会見にのぞんだ。
テレビ番組にも出た。
バート・コナーはナディア・コマネチの亡命を知り、彼女に会うためにオクラホマからLAに飛んだ。
そしてトーク番組に出演中のナディア・コマネチにサプライズゲストとして登場し花束を差し出した。

チャウシェスク政権崩壊

1989年年に東欧革命
(東ヨーロッパ社会主義諸国で連続して起こった民主化、議会制への転換、市場経済の導入などの諸改革。
同年末、米ソ首脳がマルタ会談で冷戦の終結を宣言。
1991年にはソ連が消滅した。)
が起きると、同年12月、ティミショアラで起こった民衆暴動をきっかけに首都ブカレストでも暴動が起こり、大統領夫妻はヘリコプターで官邸を脱出したが着陸したところを捕らえられ、形式的な裁判で死刑が宣告され、夫妻とも銃殺された。
こうして1965年から23年に及んだチャウシェスク政権は崩壊し、複数政党制・自由選挙・経済改革などルーマニア革命が推進した。

ナディア・コマネチの生きるための10ヶ条

1990年、友人を頼ってカナダに住んでいたナディア・コマネチを、番組作成のインタビューをするためにバート・コナーが訪ねた。
バート・コナーはナディア・コマネチを尊敬していたし女性としても惹かれていた。
自分自身、体操選手でいくつもメダルを獲ったが、彼女のように体操界に革命を起こすような選手ではなかったし、女性としても彼女は神秘的で非常に面白かった。
バート・コナーは一緒にトレーニングしないかと誘った。
ナディア・コマネチは28歳で、トレーニングやスポーツをやめて6年が経っていた。
以前のような強さやコンディショニングを取り戻すことはできなかったが、体を動かすことは気持ちがよく、また生まれて初めて勝つためではなく、楽しい体操を体験した。
1年後、2人はネバダ州で体操エキシビジョンを行い、音楽に乗せて一緒に演技を行った。
その後も一緒に仕事を続け、2人は結婚した。

亡命してから5年後、ナディア・コマネチは親族に会うため、非公式にルーマニアに帰国した。
戻る前、コマネチは不安だった。
新政府ができ、チャウシェスクと秘密警察はなくなり盗聴されたり、尾行されたり、捕まったり、殺されたりする心配はなかったが、人々から「裏切者」といわれたり、敵意を持たれたり、軽蔑されないか心配だった。
またもう誰もが自分のことなど忘れてしまっているかもしれない。
しかしバート・コナーと飛行機から降りると数千人が空港にいてたくさんのメッセージボードをかかげられ、花束を投げ入れ、ヒーローの帰国を歓迎した。
ナディア・コマネチは自分がこれほど多くの人に愛されていたことが信じられなかった。
まずバート・コナーと母親と弟を訪ね、翌日は父に会いにオネスティへ向かい結婚の許可を得た。
2人はアメリカで体操アカデミーを運営し、数々の慈善活動やスポーツ活動を行っている。

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