野球大好きのスパルタの父のもとに生まれる。
1968年4月1日、兵庫県西宮市で桑田真澄さんは誕生します。
(wikipediaでは大阪府八尾市出身とありますが、これは正確ではなさそうです。4歳の時に大阪府に引っ越されたという情報が正しいようです。)
西宮市は甲子園の所在地。まさに生まれながらにして、甲子園を沸かす運命にあったようにも思えます。
桑田さんの父親・泰次さんは、大の野球好きで、赤ちゃんである真澄さんの枕元に野球道具を置き、将来は絶対に野球選手にする、と意気込んでいたそうです。
2歳になると、もう桑田さんは野球道具を担いで、バッティング・ピッチングをするという末恐ろしいお子さんになっていました。

野球道具を担ぐ桑田真澄さん
桑田真澄★波欄万丈伝 - YouTube

2歳でバッティング
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2歳でピッチング
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8歳で少年野球チーム「八尾フレンド」に入団。
8歳で少年野球チームに入団すると、父・泰次さんのスパルタ指導はさらに加速していきます。

こわい!桑田さんのお父さん
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父の指導に従って、毎日5kmのランニング、1時間のキャッチボールを毎日!
やらされる子供もたまったものではありませんが、これに毎日付き合うお父さんのほうがすごいとも思います。
よっぽどお父さんは野球が好きだったんですね。

桑田真澄さんが子供の頃に描いた長期展望。
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小学生ー中学生の頃には、既に、自分は将来PL学園に入り、早稲田大学に進み、巨人に入るんだ、という目標を立てます。
そこで、「早稲田大学に入るには勉強ができなければ無理よ」と、お母さんの敏恵さんに言われて、勉強も併せて力を入れるようになります。
結果的に早稲田大学には入りませんでしたが、その経験は、今の桑田さんのインテリっぽい雰囲気の一つの要因になっているのかもしれません。
【桑田真澄】正確なコントロールと、計算された組み立てで野球人生を歩み続ける男! - Middle Edge(ミドルエッジ)
桑田真澄さんの輝かしい活躍については、こちらの記事をぜひご覧ください。
この記事では、桑田さんが心無い周囲の人から受けた「バッシング」について、ご本人が出演された番組の情報をもとに、ご紹介します。
ただし、wikipediaの情報と食い違う点もあり、真相はわかりません。
巨人入団時の経緯の不可解さ。

早稲田ー巨人へと進むと宣言していた桑田さん
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巨人か阪神以外は行きたくないと宣言していた清原和博さん
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ドラフトで分かれた2人の運命。
「早稲田大学に進学する」と宣言していた桑田さんですが、巨人がドラフトで1位に桑田さんを指名します。
結局、清原さんは意中の外である西武に指名されます。
このことが、世間では、「桑田さんは実は巨人と裏取引をしていて、表向きは早稲田に進学するから他球団からの指名をあきらめさせておいて、やすやすと巨人の単独1位指名を勝ち取ったのではないか」と非難されます。

呆然の清原さん
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マスコミに非難される桑田さん
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巨人への入団の記者会見で、記者が、「(早稲田への進学を隠れ蓑にしたと)ウソをついたんですか?」と質問されます。
それに対し、桑田さんが返した言葉は、「そう思うなら、そう思っていただければそれでいいです。」という答えでした。
非常にそっけない答えですが、マスコミ慣れしている芸人さんならいざ知らず、高校生である桑田さんが返せた言葉は、それしかなかったのかもしれません。

そっけなく答える桑田さん。
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桑田さんが早稲田大学に進学しようとした理由と一転して巨人に入団したのは。
もちろん真相はご本人にしかわからない、ということを前提で、書いています。
桑田さんが早稲田大学に進学しようとしたのには、このような事情がありました。
「自分の体格、能力では、高卒ですぐプロに入っても使い物にならない。清原なら立派な体格をしているので通用するだろうが、自分は大学で鍛え上げて、プロになろう」という、明確なヴィジョンがあったようです。
なので、おそらく、「世間を欺いて早稲田に行くと言っておいて、巨人の単独指名を受けよう」という考えはなかったのでしょう。
一方で、桑田さんには、このような考えもありました。
「自分で考えてもどうにもならないことは、神様に任せよう。野球の神様というものは存在する。最後は神様が自分のいいように決めてくださる。」という「お祈り」のような気持ちで過ごしていたと、語っています。
宗教のあるPL学園だからなのか、どうなのか、そこはわかりませんが、そうしてお祈りをした結果、巨人に単独指名を受けたのは、神様がそうしなさいということなのだと、運命として受け入れた、と語っています。
大学に進学して、その後巨人に指名される確率は100%ではない。だったら、描いていた夢を引き寄せたのだから、それを受け入れよう、という気持ちだったと語っています。

100日間お参りをしたそうです。
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プロでの活躍、そして、スキャンダル本の登場
プロでの華々しい活躍については、他の記事に譲ろうと思います。
ここでは、桑田さんを襲ったスキャンダル本について書きます。

スキャンダル本
さらば桑田真澄、さらばプロ野球 | 中牧 昭二 |本 | 通販 | Amazon
この本の著者は、桑田さんとかかわりのあった運動具メーカーの元社員だったようです。そこで暴露された内容が、「運動具メーカーから裏金を受け取ったのではないか」という疑惑と、「登板日を外部に漏らし、野球賭博に肩入れしたのではないか」という疑惑です。
番組内では、「身の潔白が証明された」とありますが、wikipediaでは、野球賭博はないとされたものの、裏金は受け取ったとされ、謹慎処分を受けた、となっています。
「投げる不動産屋」「借金王」という名前をつけられる。

借金まみれになってしまった。
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桑田さんが土地転がしをしたわけではなかった。
一般のイメージは、桑田さん自身が不動産を買いあさり、その後バブル崩壊で多額の損失を被ったと認識されていますが、そうではない、と語っています。
そもそも野球の練習で忙しく、土地の転売などする暇も、知識もなかった、と語っています。
元巨人 桑田真澄さんは昔良く莫大な借金があると週刊誌等で良... - Yahoo!知恵袋
真相は、桑田さんの姉の夫が、桑田さんの名前を保証人として使い、結果多額の借金を負った、ということのようです。
これにより、桑田さんは自宅を含めて財産をすべて失い、世間からは、「投げる不動産屋」「借金王」と呼ばれます。
桑田さんは、自分を育ててくれたお母さんに恩返しをしようと、ようやく手に入れたマイホームを、1年で失う結果となってしまいました。

屈辱の呼ばれ方。
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桑田さんが一番堪えた言葉は、こんな言葉だったようです。
甲子園球場での阪神ファンの野次は有名ですが、小学校低学年の子供が2人で、「桑田ーこっち向けや!ほら、金があるで!貸してやるわあ!」と、小銭を見せられたらしいです。
これが一番堪えたと、語っていました。
当時まだ22歳の桑田さんは、精神的に追い詰められ、自殺まで考えたこともあったようです。
女性問題もマスコミに取り上げられる。

「写真1枚あればなんでもニュースになる」
桑田真澄★波欄万丈伝 - YouTube
人気選手でもある桑田さんの周りには、パパラッチのような、スキャンダルをねつ造するマスコミ記者が常に追いかけていたようです。
普通に会った人がたまたま女性だったというだけで、写真を撮られ、「写真1枚あったらそこからもうメチャクチャなことを書くんですよ」と、語っていました。
テレビ番組に出演した桑田さんの様子からは、これは果たして本当なんだろうか、という文章が、wikipediaには載っています。便利なwikipediaですが、桑田さんの生まれた場所については明らかな間違いだろうと思われますし、真実ではない部分もあるのかもしれません。
借金も完済した今。
スキャンダルにまみれてしまった桑田さんでしたが、巨人は桑田さんに抜けられては困るので、借金を球団が肩代わりして、その代わりに大リーグへの桑田さんの流出を禁じたという噂もあります。これも、実は桑田さんは巨人での仕事を完了してから大リーグに挑戦するつもりだったという説もあり、やはり真相は謎です。
いずれにせよ、借金は完済しているようです。
しかし、桑田さんが一番ショックだったのは、やはり盟友、清原さんのあの問題だったのではないでしょうか。
清原さんも、意中ではない球団で長い間我慢したとはいえ、最終的には意中の球団でプレーもできているし、言い訳にはなりそうにありません。
今回は桑田さんのお話を中心にしましたが、清原さんも含め、高校野球を史上最大に沸かした「KKコンビ」は、数奇な、第三者から見ると話題豊富な人生を送っている2人だなあ、と思います。