佐藤名人ってだれ?
羽生さんではない人です。
2016年5月31日、将棋の名人位をかけて戦う名人戦7番勝負が終了しまして勝った佐藤天彦八段が新たに名人となりました。それからは佐藤天彦名人とか佐藤名人と呼ばれることになります。
羽生さんと言えば「羽生さん?強いよね」の人だったり「羽生名人」と呼ばれたりしておりますが将棋界の《名人》というやつは1期1年の任期制(続投するか失冠させられるかは将棋を指して決める)なので羽生名人が羽生名人ではなかった時期というのも存在しています。
と言いましても2002年からこっち、《名人》と呼ばれていたのは羽生さんと森内さんしかおられなかったので羽生さんのことを名人だと認識している人はけっこうな数がおられるそうな。
羽生さんはめっちゃ名人を獲得していて《永世名人》の称号を獲得しているので厳密に言えば《羽生名人》と呼ぶのもまちがいではないのかもしれませんが、永世号を名乗るのは原則として引退した後ということになっておりますのでこのへんは将棋学学者の意見が分かれるところかもしれません。

将棋学研究者の頭を悩ませることもある羽生名人
羽生善治 - Wikipedia
というわけで羽生さんに名人戦で勝利した佐藤天彦名人。この人はマントをつけることですごく有名な人なのですが、棋士なので師匠が存在しています。中田功七段という人です。
棋士になるためには必ず師匠が必要となってくるので、みなさんも棋士になりたいとお思いなら師匠になってくれる棋士か、師匠になって欲しいなと思う棋士を探しておくことをオススメさせていただきます。

マントをつけることで有名な佐藤天彦名人
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中田功ってだれ?
棋士です。
棋士とは将棋を指す人です。将棋を指すとお金がもらえて、お金をもらうと生活を営むことができます!

中田功七段
中田功|棋士データベース|日本将棋連盟
彼は中学1年生の時に将棋指しになることを志したそうです。将棋を指すとお金がもらえて生活をすることができます!
というわけで扉を叩いたのがなんと大山康晴十五世名人の一門。佐藤名人は大山名人の孫弟子ということになります。羽生さんの師匠の二上達也九段と大山康晴十五世名人は熾烈な勝負を繰り広げたことで有名なのですが、羽生さんと佐藤さんも戦う時にはそういうことを意識したりなさったのでしょうか。

昭和将棋の傑物・大山康晴十五世名人
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昭和将棋の傑物・二上達也九段
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中田七段は1967年生まれ、奨励会に入ったのが1980年、プロ入りが1986年の方なのですが、五段六段七段とすべて《勝数規定》で昇段しておられます。
将棋指しが昇段するにはいくつか条件があって一定数以上勝つということ以外だと「順位戦で上のクラスに入っていく」「タイトル戦で優秀な成績を残す。挑戦したり奪取したりする」などがあります。逆に言うと中田功七段はタイトル戦に絡んだりばりばり上にいくようなスター気質ではないのです。
野球をやる人が全員メジャーリーガーになるべきだというわけではないように、棋士にも色々な仕事があります。解説、執筆、普及、運営。
彼はアマチュアの人が棋士になりたいという時に師匠をやったり、企画でインターネット将棋にたくさん現れたりタイトル戦の立会人をしたりとこつこつした仕事をたくさんこなしています。トップ棋士というのはプレイヤーとしての一面があるので言うことがすごすぎて参考にならない時があるのですが、中田先生は誰かに教えるということに慣れているので初心者としてはとても助かっているのです。
そんな彼が!!!
生んだ戦法が!!!!!
中 田 功 X P で あ る ! ! ! ! ! ! ! ! !
中田功XPってなに……
ちなみに《なかたいさおえっくすぴー》と呼びます。
漢字がコウとも読めるので《コーヤン》というあだ名もついているそうな。

これはピータンです
皮蛋 - Wikipedia
戦国時代で戦が起こったときに「鶴翼の陣をひけ!」とか「車懸かりの陣でゆく!」というのがちらっと出てきたりしますが将棋にもそういう陣形であるとか戦法であるとかいうものが存在しています。
それは矢倉、美濃、穴熊、雀刺し、鬼殺し、石田流……などなど焼酎みたいな名前をしているのですが、なかには戦法をつくった人の名前をとって命名されることがあります。
2002年、当時六段であったでろう中田先生の戦法を研究し、著書に掲載し、そこで中田功XPという名前をつけたのが

毎度おなじみ「島ノート」
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この人です。将棋の対局にアルマーニのスーツで現れたという《伝説》をつくった島九段。
最高賞金額のタイトル《竜王》をとった時は服と靴と車を買って消しとばしたという島九段。
彼が伝説(ちゃんとしたほうの意味)的な著作「島ノート」で《これは中田功XPです》とばかりに紹介なされたので《中田功XP》の名前が浸透していきます。
本人の著作には「コーヤン流三間飛車の極意」と名打ってあるのでもしご本人とお話することがあった場合、中田功XPと呼んでしまっていいのかコーヤン流三間飛車と呼んだ方が良いのか……と悩んでいたのですが、《中田功XP》とは相手が穴熊を組んでいる時に使用する戦術であり、他の場合は《コーヤン流》と呼ぶのが正しいご様子。
すこしばかり島先生の影響を受けすぎてしまったのかもしれません。

コーヤン流三間飛車の極意 急戦編
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コーヤン流三間飛車の極意 持久戦編
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