Japan(初期)
イギリスのロック・バンド、JAPANがファーストアルバム「果てしなき反抗」をリリースしたのは1978年です。ホワイト・ファンクとグラム・ロックを掛け合わせたサウンドといえば聞こえはいいのですが、粗削りなロックといった感じです。何よりアイドル・バンドとして売り出されたということで、派手ないで立ちが目を引くばかりで、楽曲のオリジナリティ、クオリティに関しては特筆すべきものはなく、よくあるその他大勢のバントの中のひとつといっていいかと思います。
では、このアルバムが良くないのかといえば、そんなことはありません。カッコいいんです!

果てしなき反抗
本国イギリスでは無視されることになった初期のJAPANですが、日本においてはデビューからいきなりの大ブレイクとなりました。
キッチュな楽曲ということもありますが、原因はやはりルックスでしょうね。

ジャパン(初期)
JAPAN & DAVID SYLVIAN : THE BOYS IN THE BAND
ビジュアル系などという言葉がなかった時代にズラリと揃った5人のイケメンメンバー。今も昔も日本のティーンエージャーのツボですね。
Member
Japanのオリジナル・メンバーは、デヴィッド・シルヴィアン(ボーカル)、ミック・カーン(ベース)、スティーヴ・ジャンセン(ドラム)、リチャード・バルビエリ(キーボード)、ロブ・ディーン(ギター)の5人です。
主要人物はやはりメインソングライターでもあるデヴィッド・シルヴィアンということになりますかね。

デヴィッド・シルヴィアン
そして、Japanサウンドの要であるミック・カーンですね。イケメン代表として語られることも多いデヴィッド・シルヴィアンですが、好みの問題ではあるものの、いやぁ、ミック・カーン男前ですよね。甲乙つけ難いとはまさにこのことでしょうか?!

ミック・カーン
ミック・カーンは、顔がどうこうと言うよりも、その余りにも個性的なベース・プレイにつきます。誰も真似ることの出来ない奇妙なフレットレスベースは、後期Japanの肝です!
Turning point
初来日公演を武道館で行うなど、日本では成功していたものの、相変わらずイギリスでは無理され続けていたJapan。もとよりアイドルというポジションに甘んじるつもりもなかったのでしょうし、ずっと模索していたのでしょうが、転機が1979年に訪れます。
シンセポップの第一人者であるジョルジオ・モロダーとのコラボレーションによるシングル「ライフ・イン・トウキョウ」がそれです。
もともとデヴィッド・シルヴィアンの声質もあり翳りのあるサウンドではあったのですが、この曲を転機として次第に前人未踏の耽美的な世界に入っていくことになります。
「ライフ・イン・トウキョウ」に続いて同年にはサード・アルバム「クワイエット・ライフ」がリリースされます。完成度となるとこの後にリリースされるアルバムには及びませんが、ベースやシンセサイザーを主にした本作でJapan独特の、他に類を見ない個性を確立したと言えるかと思います。
しかし、ベースやシンセサイザーが前面に出てくるようになると、逆にギターは目立たなくなり、このことがロブ・ディーンの脱退を招くことになりました。

クワイエット・ライフ
Japan(後期)

ジャパン(後期)
「Gentlemen Take Polaroids」に何故「孤独な影」という邦題が付けられたのかは分かりませんが、1980年にリリースされた4枚目となるこのアルバムは素晴らしい。ものすごい勢いで成長してきたJapanですが、ここにはもうアイドルの面影はありません。素晴らしいアーティストとしての作品として完成されています。と同時に、ここからジワジワとイギリスでも人気が出てきます。

孤独な影
1981年、おそらくJapanの最高傑作といってもいいでしょう、アルバム「錻力の太鼓」がリリースされます。西洋人だからこそ出来た東洋のロックとでもいいましょうか、このアルバムは全てが未知の体験です。何が素晴らしいかといって、かなり高度なことをやっているにも関わらず収録曲すべてがポップなのです。しかも他の追随をゆるしません。個性の塊のような名盤です。

錻力の太鼓
だからこそなのでしょうね。Japanはこの後、ゲストギタリストに土屋昌巳を迎え最後のツアーを行い、名古屋でのコンサートを最後にあっけなく解散してしまいます。
解散後の1991年、レイン・トゥリー・クロウとしてロブ・ディーンを除くメンバーが集結し、事実上のJapan再結成が実現しました。
が、Japanを名乗らなかったのが納得できるほど、同じメンバーではあっても全くの別ものです。本人であっても二度と再現できない唯一無二バンドであることを証明する結果となりました。
だからこそJapanは、いつまでも輝きを失わないのでしょうね。