ジョージ・ハリスン以上にフィル・スペクターを信頼していたのがジョン・レノンです。ファースト・ソロ・アルバム「ジョンの魂」に続いてセカンド・ソロ・アルバム「イマジン」でもフィル・スペクターを起用しています。
ただ、ジョン・レノンの場合はシンプルな楽器構成で出来ていますので、言われない限りフィル・スペクターのプロデュースだとは分かりません。
そういった意味では、プロデューサーとしてフィル・スペクターを信頼していたのでしょうが、音楽の相性はあまり良くなかったのかもしれませんね。
とは言え「イマジン」、素晴らしいアルバムです。よく思いとどまってシンプルなプロデュースをしてくれたものです。フィル・スペクターに感謝しなくてはなりませんね。
フィル・スペクターには1975年に発表したロックのスタンダード・ナンバーのカバーアルバム「ロックン・ロール」でもプロデュースを依頼したジョン・レノンですが、このアルバムの制作途中でフィル・スペクターがマスター・テープを持ち逃げしてしまうといった事件が起こっています。
結局アルバムは、マスター・テープを取り返したジョン・レノンが自身で完成させていますが、この時期は二人とも酒浸りの日々を送っており、フィル・スペクターから銃を突きつけられたりと散々だったようですよ。
Death of a Ladies' Man_1977
もしかすると1977年に発表されたレナード・コーエン の5枚目のスタジオ・アルバム「ある女たらしの死」こそがフィル・スペクターの最後の傑作といえるのかもしれません。
フィル・スペクターが作り出したきらびやかで分厚いサウンドは賛否両論を巻き起こしましたが、異色作とはいえ傑作と呼べるアルバムに違いありません。
熱狂的なファンがいたとはいえ、あまりポップではなかったレナード・コーエンのイメージを覆す作品です。
ただ、ここでもフィル・スペクターは強引だったようで、デモテープだったものをプロデュースし発表しています。
わずか3週間で15曲もの曲を二人で書き上げて、アルバムを完成させたとされていますから意欲的に取り組んだアルバムだったんですね。
ある女たらしの死
End of the Century_1979
意外な組み合わせと言ってよいでしょう。フィル・スペクターとNYパンクを代表するラモーンズの組み合わせとは!ラモーンズの1979年に発表された5枚目のアルバム「エンド・オブ・ザ・センチュリー」がそれです。
これも発表当初は賛否両論あった作品です。いえ、むしろ評判は悪かった。バンドのメンバーからも、ファンからも、評論家からも厳しい評価を受けていたアルバムです。
この作品でフィル・スペクターの評価は地に落ち、過去の人となってしまいます。「ウォール・オブ・サウンド」によってラモーンズの特徴であるドライブするベースの音が全く聞こえません。これに関係者は我慢できなかったのですね。
しかし、しかしです。このアルバムはラモーンズにとって最大のヒットアルバムとなっています。
エンド・オブ・ザ・センチュリー
確かにホーンがうるさく感じます。ベースは聞き取れませんし、「ウォール・オブ・サウンド」はどうしても音がこもってしまいます。クリアな音が求められる現在では流行らないのも分からないではありません。
ビートルズの「レット・イット・ビー」が「ネイキッド」となったように、ジョージ・ハリスンの名作「オール・シングス・マスト・パス」も2001年に「オール・シングス・マスト・パス〜ニュー・センチュリー・エディション〜」としてリマスターされ、今の時代に「ウォール・オブ・サウンド」は合わないということで、最新技術を駆使してフィル・スペクターの痕跡を消し去っています。
残念な感じはしますが、それでもフィル・スペクターが成しえたことは偉大で、これからも語り継がれるに違いありません。