The Concert for Bangla Desh

元ザ・ビートルズのジョージ・ハリスンの呼びかけで1971年8月1日にニューヨークのマジソン・スクエア・ガーデンで行なわれたロック史上初の大規模なチャリティー・コンサート、それが「バングラデシュ・コンサート」です。
シタールの師であるラヴィ・シャンカールからバングラデシュの惨状を聞いたジョージ・ハリスンはバングラデシュ難民救済のためにチャリティー・コンサートを開催したのです。
ザ・ビートルズの最後に発表されたアルバム「レット・イット・ビー」は1970年5月8日のリリースで、法的に解散が認められたのが1971年3月12日ですから、ジョージ・ハリスンはザ・ビートルズの解散直後から早々に行動を起こしたということですね。
バングラデシュ・コンサートは映画化され、ライブ・アルバムにもなりリリースされました。それらの全収益及びコンサートの入場料、別途ジョージ・ハリスンがリリースしたシングル・レコード「バングラデシュ」の売上全額もバングラデシュに寄付されています。

バングラ・デッシュ
しかし、金額よりもこのコンサートによってそれまであまり知られていなかったバングラ・デッシュという国の存在が世界中に知られるようになったことに大きな意義があったと言われています。
Performer

ジョージ・ハリスン
バングラデシュの惨状を聞いたジョージ・ハリスンは自ら電話をかけ、マジソン・スクエア・ガーデンを押さえ、友人であるエリック・クラプトンやボブ・ディランたちの出演を決めてたとのことです。
「今すぐに僕らは何かをしなくちゃならない」 との切羽詰まった思いから立ち上がったといジョージ・ハリスンですが、そういった姿勢はジョン・レノンから学んだと語っています。
ザ・ビートルズのメンバーからはリンゴ・スターが参加していますが、ジョージ・ハリスンはジョン・レノン、ポール・マッカートニー、更にはザ・ローリング・ストーンズのミック・ジャガーにも電話をかけて参加を要請したとのことです。実現していたらと思うと少し残念ですね。

ジョージ・ハリスン以外の出演者は、エリック・クラプトン、ボブ・ディラン、クラウス・フォアマン -、ビリー・プレストン、レオン・ラッセル 、リンゴ・スター 、ラヴィ・シャンカル、アリ・アクバル・カーン、アラ・ラカ・カーン、ドン・プレストン、ジェシ・エド・デイヴィス、ジョーイ・モーランド、トム・エヴァンス、バッドフィンガーのピート・ハム とマイク・ギビンズ、カール・レイドル、ジム・ケルトナー、ジム・ホーン、アラン・ボイトラー、チャック・ファインドリー、ジャッキー・ケルソ、ルー・マクレアリー、オリー・ミッチェル、ドン・ニックス、ジョー・グリーン、ドロレス・ホール、クラウディア・リニアー、ジェーニー・グリーン、マーリン・グリーン といった錚々たるメンバーが集結しています。
更にプロデューサーとしてフィル・スペクターまで参加していたとのことです。
このコンサートにおけるジョージ・ハリスンの意図した演奏したスタイルは大所帯のレビュー形式だったこと、会場をおさえてから開催まで一ヶ月しかなかったことなどからコンサートの成功とは裏腹にステージの裏側は混乱を極めていたそうです。
コンサートの目玉であったエリック・クラプトンとボブ・ディランの当時の状況をご紹介しましょう。
Guest Performer_Eric Clapton

エリック・クラプトン
ジョージ・ハリスンの大親友であるエリック・クラプトンは、当時肉体的にも精神的にもどん底にありました。大親友であるジョージ・ハリスンの奥さんとの不倫、理想を追い求めて結成したデレク&ドミノスの喧嘩別れによる解散。それらのショックからロンドンの自宅に引きこもりドラッグ漬けの日々を送っていたのです。
早々に出演は決まっていたものの、最後の最後まで到着が危ぶまれていたため、保険として代わりのリード・ギタリストにジェシ・エド・デイヴィスに参加を要請しています。
エリック・クラプトンはなんとか重い腰を動かし参加することになったため、結局、二人とも参加することになりました。ただ、到着がギリギリだったためエリック・クラプトンは満足にリハーサルをすることもなくステージにあがっています。
Guest Performer_Bob Dylan

ボブ・ディラン
元ザ・ビートルズが凄いコンサートを行うということで、昼夜2回の公演チケットは即日完売しましたが、ボブ・ディランが出演するという噂が流れ始めたのは公演の数日前だったとのことです。
ボブ・ディランは1966年のツアーの後に交通事故を起こして人前から姿を消しており、以降バングラデシュ・コンサートまで僅かに2回しか人前で歌っていませんでした。
久しぶりのライブということで不安になっていたのでしょう。ジョージ・ハリスンに「1万人を前に、どうすればいいんだ?」と問いかけていたそうです。そして、前日のリハーサルでステージ・フライト(舞台恐怖症)を引き起こしてしまったのです。
ジョージ・ハリスンのエレキ・ギター、レオン・ラッセルのベース、リンゴ・スターのタンバリンをバックにアコギで歌うボブ・ディランはどうなったかと言いますと、誰もが不安となるそのステージは奇跡ともいえる素晴らしいものとなりました。特にジョージ・ハリスン、レオン・ラッセルと一緒に1本のマイクで歌う「女の如く」はこのコンサートのハイライトと言ってもいいでしょう。さすがですね。
目玉である2人からして不安を抱えていた訳ですから、ジョージ・ハリスンはさぞ気をもんだことでしょう。しかし、その甲斐あってコンサートは大成功し、その後のチャリティ・コンサートにも大きな影響を与えることになりました。
後年、ライヴエイドを企画したボブ・ゲルドフがジョージ・ハリスンに真っ先に相談したというのは有名な話です。
エリック・クラプトンはジョージ・ハリスンのバックに徹し、そのジョージ・ハリスンはボブ・ディランのバックにまわる。よくあるフェスティバルとは違い、ジョージ・ハリスンは各個人のライブの寄せ集めではなく、全員でひとつといったコンサートにしたかったのでしょうね。

バングラデシュ・コンサート
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1971年12月20日にリリースされたアルバム「バングラデシュ・コンサート」は1972年度のグラミー賞の年間最優秀アルバム賞を受賞しています。
世界的に話題となりアメリカの「ビルボード」誌のアルバム・チャートでは、計6週最高位第2位となり、1972年度の年間ランキングでも第16位と商業的にも大成功しました。
同じくアメリカの「キャッシュボックス」誌でも、8週連続最高位2位、1972年度の年間ランキング第7位となっています。