『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』チャリティーマラソン
第15回(1992年)以降、毎年実施されている。
土曜日の19時頃にスタートし、番組終了までにゴールとなる日本武道館を目指す。
走行距離はチャリティーマラソンランナーの年齢や体力などを考慮して決定されるが、基本的には100km程度走る事が多い。
間寛平が“24時間マラソン”を走った本当のワケ。最初は「深夜に10分出てくれ」だった。 | Techinsight|海外セレブ、国内エンタメのオンリーワンをお届けするニュースサイト
【歴代】24時間テレビ チャリティーマラソンランナー
【1992年】間寛平(1回目)153キロ
【1993年】間寛平(2回目)200キロ
【1994年】ダチョウ倶楽部 100キロ
【1995年】間寛平(3回目)600キロ
寛平ちゃんだけで、3年(92年・93年・95年)トータル1,000キロも走ってます!!!!!
【1996年】赤井英和 100キロ
【1997年】山口達也 100キロ
【1998年】森田剛 100キロ
【1999年】にしきのあきら 110キロ
【2000年】トミーズ雅 150キロ
【2001年】研ナオコ 85キロ
【2002年】西村知美 100キロ
【2003年】山田花子 110キロ
【2004年】杉田かおる 100キロ
【2005年】丸山和也 100キロ
【2006年】アンガールズ 100キロ
【2007年】萩本欽一 70キロ
【2008年】エド・はるみ 113キロ
【2009年】イモトアヤコ 126.585キロ
【2010年】はるな愛 85キロ
【2011年】徳光和夫 63.2キロ
【2012年】佐々木健介&北斗昌ファミリー 120キロ
【2013年】森三中・大島美幸 88キロ
【2014年】TOKIO 城島茂 101キロ

【2015年】DAIGO(ダイゴ) 100キロ
放送内にゴールできなかった人たち
●間寛平(1992年)
→観客殺到のため途中棄権。
●赤井秀和(1996年)
→スタートが大幅に遅れ、ゴールも遅れてしまい急遽30分放送延長。 ※赤井はタスキリレーのアンカーだった。
●山田花子(2003年)
→次番組終了後、ゴールシーンは生放送された。
●萩本欽一(2007年)
→引き続きゴールの様子を放送。
●イモトアヤコ(2009年)
→選挙の生放送と重なりゴールは録画で放送された。
●大島美幸(2013年)
→引き続きゴールの様子を放送。