「キックボクシング」
命を削るギリギリの闘いに挑む選手たち、その道は厳しく険しい。
TEAM-KOK西村清吾は、NKB(日本キックボクシング連盟)ミドル級で闘うキックボクサー。
ときに彼は「中年の星」と称される。
彼のデビューはなんと35歳。
社会を十分に経験し、肉体のピークを過ぎた彼が険しい戦場を選んだ背景にはどんなストーリーがあったのか。
その生き様を知りたくて、キックボクサー西村清吾選手に取材の機会を頂戴した。
35歳でプロデビュー、37歳で初のタイトルマッチ
神風シリーズ VOL.1 パンフレット
2017年2月5日、「神風シリーズ VOL.1」と名付けられた大会のメインイベントに。
西村清吾は35歳でプロデビュー。
2015年2月のデビュー以来5戦負けなしの快進撃を続け、2015年10月に田村聖選手と対戦するも激しい打ち合いの末にドロー。
今回は彼との決着戦でもあり、NKBミドル級王座が掛かっていた。
結果、試合は惜しくも判定で敗北。
しかし、後楽園ホールに詰めかけた400人の大応援団。観客を魅了し会場を熱狂に沸かせた男「西村清吾」。
西村清吾は同世代の「希望の星」そして「中年の星」
今回、同世代の「希望の星」と呼ばれるキックボクサー西村清吾選手にインタビューの機会を頂戴した。
キックボクサーとして年齢について尋ねられることが多いであろう西村選手。
彼の若かりし頃、キックを始めた経緯、今リングに向かう心構えなど、その生き様とストレートな想いを記事を通してお伝えしたい。
未だタイトルマッチの傷が癒えてはいない西村選手。
その死闘の痕について淡々と話していただきながら、西村選手への取材がスタートした。
敗北後、応援してくれた仲間を想うと辛かった
編集部)タイトルマッチお疲れ様でした、まさに命を削るような死闘でした。
「顔面ヒザですかね。5ラウンドの最終30秒くらいで、バーンと衝撃が走ってシャワー浴びてるように血が流れてる感じがしましたね。
倒れてるっぽい意識しかなくて、仲間に"倒れない"と宣言していたのでとにかく前に出ようと思っていたらもう控室にいました。正直、負けた実感もなかったです。」
最後のラウンドはもう記憶無いんですよ
「後で映像をもらって見返したんですが、負けたことよりも客席で応援してくれた仲間を想うと辛かったですね。」
先日の死闘を、そう語ってくれた西村選手。
繰り返される「仲間」という言葉に、西村選手の大切なものを見たような気がした。
35歳でデビュー、37歳でタイトルマッチ
編集部)キックボクサーとして遅すぎるデビュー、短期間で急速に駆け上がったキャリアです。
「僕は誰よりも経験が少ない。今まで格闘技の経験はありませんし、キックボクシングを始めてから5年も経っていません。対戦してきたどの相手よりも技術や経験が少ないです。
なんのキャリアも無い事は自分が一番理解しています。試合の事を考えると怖くてしょうがなかったです。」
「恐怖心を打ち消す為にも、とにかく毎日練習しました。少しでも安心したかったですね。俺はこれだけやったんだから大丈夫。
なんの根拠も無いですけど、俺は絶対大丈夫。俺は絶対負けない。って自己暗示かけてました(笑」
「テクニックは他の選手の方々に比べたら全然ないと思います。練習で強い人間はたくさんいらっしゃいます。でも格闘って極論ですが命のやり取りだと思っています。」
「リング上で相手と向き合ったとき、試合と思うか殺し合いと思うかで心構えは違ってくると思います。その心構えがわずかな踏み込みの差を生んで勝負が決まりますね。」
他人の目でなく、自分で自分を信じるしかない
「自分で自分を信じるために、勝負出来るのは"気持ち"しかない。だから誰よりも練習を厳しくしていく。逆説的かもしれませんね。」
当初の目的はダイエット!キックボクシングへの道
編集部)35歳でキックボクサーとしてデビューするまでの道のりを教えて下さい。
「高校まで出たけどやりたいこともなくプラプラして、トラックの運転手などして働いていました。その後、洋服が好きだったこともあってアクセサリー店で3年ほど修行しました。」
「高校の時にバイクチームを組むほどバイク好きで、修業時代に父親にハーレー買うからローン用紙にサインくれって言ったら怒鳴られて、頭金もためられない奴に買わせられないと。それで丁稚時代の少ない給料から100万貯めてローン組ませてもらったんです。丁稚の時って給料少なくても使う時間がないんですよね(笑」
将来は自分の手でブランドを
「その後は自分のお店を持つことを目標に、一旦修行を止めて内装屋に転職しました。
様々な店の内装が見れて、筋トレにもなるしお金も貯めれるってことで。そして29歳の夏、アパレルの店をオープンすることが出来たんです。」
お金が無くなる、体重が増える…
「僕は創るのがメインのお店を持ちたかったので、都心ではなく、地元に近い堀切菖蒲園でお店を始めました。それまでが現場仕事だったので座ってアクセサリーを作る日々に、徐々に体も大きくなっていってしまい、これはまずいなと…(笑」
「学生時代の友人がその時は既に引退していたのですが元NKBの2階級チャンピオンでしたので、せっかく通うならと思い、僕が所属しているTEAM KOKを紹介してもらいました。ですがオープンして間もなくお金も底をつき、ジムに通える状態ではなくなってしまい夜勤をしながらお店を切り盛りする日々を3年。店が軌道に乗るまでは通えませんでした。実質、その時は3ヶ月くらいしか通えなかったですかね(笑」
アパレル誌で店を紹介してもらうも、デブじゃカッコ悪い!
「せっかくアパレル誌で店を紹介してもらっても、デブの自分が着てる洋服じゃカッコ悪いんです(笑。それでダイエットしようとジムに復帰したんですね。当時33歳、97キロでした。
その頃は、72.57キロのミドル級の体重まで落とす目標を決めてひたすら通いましたね。
目標決めて達成できないのが一番ダサいじゃないですか。有言実行できないならカッコつけて言うんじゃないって。雪で電車止まってても意地で通いました。」
97キロあったとは思えないシャープな西村選手
アマチュア大会出場からプロへ
「ミドル級の体重になったぐらいで、会長からアマチュア大会出場を打診されたんです。実際に出場してみたら面白くてハマってしまった感じです。アマチュア大会の2試合目でブラジル人をぶつけられた時は"なんだこれ?"と思いながらも、試合はKOで勝ってMVPも貰えました。
そんな感じでアマチュア大会に出ていた時、プロにならないかと声をかけてもらいました。
色んな事を考えましたよ。自分の置かれている環境や立場。どんな世界でもプロの世界は甘いもんじゃない。ましてや格闘技の世界なんてごまかしが通用する世界じゃないじゃないですか。勝負する武器は自分の身体一つですからね。
悩んだ末、父親に相談したら物凄く喜んでくれたんですよ、自分の息子がプロになって後楽園で試合する事になったらすごい嬉しいってね。それでプロに成る事を決意しました。」
父親が喜んでくれた、そう言った時の西村選手の笑顔が印象的だった。
若かりし頃「やんちゃ」だった西村選手の転機
編集部)若かりし頃はけっこうやんちゃだったんでしょうか?
「あの頃は時代も時代でしたよね(笑、人並み程度には経験させていただきました(笑。少し遠くでやんちゃしてしまったことがあり、父親が迎えに来てくれたんですが車の中ではずっと沈黙でした。ただ一言だけ『母ちゃん、家で泣いてるぞ。』と。家に着いたのは午前3時頃。母親は泣いていて、そのときはさすがにショックでしたね。」
18歳の頃、車の事故で集中治療室に入院
額を30針縫ったと教えてくれる西村選手
「高校卒業して18歳の頃、集中治療室に入るような事故に合ったんです。周りはもう最期が近い方ばっかり(僕もその中の一人)、その時に初めて”死にたくない"と心から思ったんです。
そのあと"自分がなぜ死ななかったのか"を考えるようになったんです。生きてても人様に迷惑かけるし。。生かされている理由とか、生まれてきた証や人の為に何かしたい、人を喜ばせるようなことをしたいと考えるようになっていきました。」
「中年の星」と呼ばれて
編集部)試合会場には西村選手を応援するために大勢のファンが詰めかけます。
「なんか、オジサンが頑張ってるのって純粋に泣けてくるじゃないすか。絵図的にも(笑。40歳前後って微妙なところっていうか。無理しようとすれば、どうにかまだ身体もついてきてくれるし、でもどっかで体力的な部分は無理だって決めつけちゃってる自分がいて。そんな中で同世代の人間が一回り以上も歳の離れた人間とぶつかり合うって、それだけで盛り上がりますよね(笑。
僕の試合を仲間は同窓会みたいにしてくれてて、それがとても嬉しいですよね!勝てば祝勝会になりますし、前回は負けてしまったので残念会になってしまいましたけど(笑。あの日は僕以上にみんな悔しかったみたいで、あの日は朝まで泣きながら呑んだよ!この野郎!って言ってました(笑。本当、僕は周りの人間に恵まれてます。本当、嬉しいですよね!」
「負けて強くなる」ってのを見せたい
「負けて良かったわけではないですけど、今まで負けずに来てしまい、勝って当たりまえという、無敗のプレッシャーに、試合前は日々押しつぶされそうでした。
今回の負けた事によって良い意味で楽になれたというか、今まで以上に強くなれるような感じがします。挫折が財産じゃないですが、本当に良い経験をさせてもらったと思ってます。」
展開するブランド「PARASITE」について
編集部)店の運営とキックボクシング、両立は大変じゃないですか?
「大変だと思った事はないです。他の選手の方々も皆さん仕事とキックと両立なさってますし。ただ他人に突っ込まれる隙をなるべく作りたくはないですね。
僕はブランドをやっている以上、キックの事や試合内容が常にブランドに影響するとおもってます。情けないところ見せれないし、マイナスのイメージって、ついてしまったら中々拭えないですよね。」
ブランド立上げ当初の苦労も今では笑い話
「仕事は特に気を付けてます。自分で自分のブランドを運営しているので、誰も何も言ってくれないからこそ気を付けるようにしてます。」
店をOPENしたころ、最低でも1年間は何が何でも絶対休まないって決めてたんです。お正月なんて店開けてもオーダーも入ってないしお客さんも来ないし電話もならないし景色も変わらないんで一瞬、俺死んだのかなって思うくらい暇でしたよ。
奇跡的にお客さんが来てくれても、ずっと声出してないと、急に声ってでないんですよ(笑。なんか喉詰まってるっていうか(笑」
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キックボクシング業界を盛り上げたい
「自分の食い扶持を作ってから格闘技の世界に進む人ってほとんどいないと思うんです。皆んな小さいころからやっていたり、若い時に全力で打ち込みますよね。でも格闘技で輝ける時間って人生においてとても少なく若く限られた間で、現役を退いてからの人生の方がとても長いですから。
格闘技ほどこんなにも過酷な世界はなかなかないんじゃないかなと。あんなにも体を酷使してボロボロになりながら、結果に結びついても何の保証もない。本当に一握りの限られた人だけが残っていけるというか。。あまりにも代償が大きいなぁと感じます。
せめて自分が現役の間は少しでも業界に貢献したいしバックアップできればいいなと思います。。自分のチケットを売るだけではなく、業界のために積極的に意見もしていきたいと思いますね。」
そして「自分から逃げたくない」
「自分から逃げたくないんですよね。」
ところどころでこの言葉を口にした西村選手。
「中年の星」と呼ばれていることも、仲間や支えてくれる人がいるおかげでリングに立てている有難さなのだと熱く語って下さった。
「40歳になった自分は簡単に想像つくんですよね、すぐだから。でも格闘技終わった後の人生が絶対長いに決まってるんで、そこを考えながらトレーニングもしてます。」
インタビューの最後で西村選手がおもむろに見せてくれた動画。そこには70歳を過ぎた本家渡邊ジムの渡邊会長がストレッチをする姿が。
編集部も驚きを禁じ得ないほどに滑らかな動きでストレッチをこなしていく。
「見て下さいよ。会長70歳過ぎてるんですよ。お前体固いから俺を見て勉強しろって。動画を撮らせてくれたんですよ。70過ぎてもこの動きってすごくないですか。
本気でボディー打ち込んでこい!ってボディー打たせるんですよ。70過ぎたおじいさんですよ!全然効かないんですよ!散々打たせた後に、まだまだ青いなって一言言うんです。狂ってますよ!(笑」
そんな少年のような眼差しで動画を見る西村選手。
35歳でプロデビューして2年、37歳のまだまだ成長期である。
NKB 日本キックボクシング連盟