YMOにリーダーになるまで

細野晴臣
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メジャーデビューする1969年以前はギターを手に取りバンド活動をしてみたり漫画家を目指してみたりと多才さを少年の頃から表現していました。高校時代はボブ・ディランの影響を大きく受けボーカルに挑戦していた頃もあります。大学在学中にギターからベースに変更し数多くのバンドで音楽を追求しロックバンド「エイプリル・フール」のベーシストとしてメジャーデビューしました。
エイプリル・フール

エイプリル・フール
エイプリル・フール / エイプリル・フール | hosonoharuomi.jp | 細野晴臣公式サイト
ボーカル:小坂忠、ギター:菊池英二、キーボード:柳田博義 、 ベース:細野晴臣、ドラムス:松本零(現:松本隆)というメンバーで結成されたバンドでブルースロックの影響を大きく受けたバンドでした。レコーディングされたアルバムよりライブの方が走りやすいバンドだったとか。1696年で解散となりましたがのちの「バレンタイン・ブルー」となり改名して「はっぴいえんど」となったのですからすごいバンドだったということはわかります。
はっぴいえんど

はっぴいえんど
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1969年から1973年まで活動したバンドでメンバーは「エイプリル・フール」から残っているボーカル・ベース・ギター・キーボード担当の細野晴臣、ドラムス・パーカッション担当の松本隆、「バレンタイン・ブルー」の時に引き入れられたボーカル・ギター担当の大瀧詠一、ギター・ボーカル担当の鈴木茂の4名で結成されました。このバンドの音楽は発売当初サブカルチャー扱いでしたが1990年以降にJ-POPへ多大な影響を与えたバンドとして再注目されました。
1972年に正式解散したからのメンバーの活躍は知らない人がいないほどで多方面に影響を与えています。そしてその音楽性を引き継いだバンドがたくさん活躍していってくれることで先駆者たちが残した軌跡も受け継がれていくのだと感じました。
ティン・パン・アレー

ティン・パン・アレー
「はっぴいえんど」解散後はソロ活動していた細野晴臣が「キャラメル・ママ」というバンドを始めます。そのメンバーはベース・ボーカル・ギター・キーボード担当を細野晴臣、ギター・ボーカル担当を鈴木茂、キーボード担当を松任谷正隆、佐藤博、ドラム担当として林立夫の5名で結成され、バンド名を「ティン・パン・アレー」に変えて1973年から1977年まで活動し最近では2000年に「Tin Pan」復活結成され音楽活動をしています。
バンド活動はもちろんなのですが、どちらかと言えば音楽プロデュースの色が大きく荒井由実(松任谷由実)やいしだあゆみなど当時歌手として活躍していたミュージシャンをプロデュースや楽曲提供などしていますが、各々の活動が忙しくなり自然消滅という残念な結果となってしまいました。
2000年に「Tin Pan」として突如復活するまではソロ活動をメインに活動していたようです。
細野晴臣としてソロ活動
ソロ活動している時にリリースされたアルバムは細野ワールド満載で、独特のセンスというにはあまりにもポピュラーに聞こえてしまう音楽性は当時ではとても不思議な世界観だったのではないでしょうか。
細野晴臣と言われて思い出すのはYMOだと思うのですが、その音楽性は「歌声」がないいわゆる「テクノ」と言われているジャンルなので歌っている細野晴臣を見るということ自体が初めて知ったという人も多いのではないでしょうか。自分の声が好きではないとされている細野晴臣ですがその歌声は低音が素敵に響く落ち着く声だと思います。
イエロー・マジック・オーケストラ
1978年に結成された音楽グループ「イエロー・マジック・オーケストラ」はエレクトリックベース、シンセベース担当の細野晴臣、ドラムス・ヴォーカル担当の高橋幸宏、キーボード担当の坂本龍一の3名で構成されていることは周知の事実ですが、そのグループのリーダーが細野晴臣だと知らない人は多いのではないでしょうか。
実際、YMOとしてイメージしやすいのは細野より教授と呼ばれていることが多いキーボード担当の坂本龍一が多いと思います。解散後の活動でも表立っているのは坂本龍一で映画音楽やCM音楽など耳にすることが多くその印象からリーダーは坂本龍一だと思っている人がいると思います。実は筆者もその1人でした。

イエロー・マジック・オーケストラ
1979年にYMOとしてシングルリリースした瞬間はこれまでの音楽シーンに新しい風を起こした瞬間だと言ってもいいのではないでしょうか。後にYMOチルドレンと言われる人たちを見ると音楽業界に大きな影響を与えたと言ってもいいでしょう。
影響を与えられたと公言している人は浅倉大介、電気グルーヴ、大槻ケンヂ、今井寿、SUGIZO、吉田拓郎、槇原敬之などが何らかの影響を受けた公言しています。影響をそのままにテクノ系に進んだ人や異なるジャンルに進みながらもYMOの音楽性に陶酔したりあえて対抗してみたりと様々なようです。
グループ名について深く考えたこともなくいつの間にかイエロー・マジック・オーケストラやYMOが定着していた記憶なので検索してみて意外と考えてつけられたグループ名だと感じた人も多いのではないでしょうか。この名前でアメリカなどでも活動しているので黄色人種としての意気込みのようなものが感じられます。
音楽だけに留まらずバラエティ番組などにも出演していたYMOのメンバーですが、活動休止したり再活動したりとありましたがこのメンバーでCMなど出ているところを見ていると楽しいそうな年の取り方をしているなと感じます。つかず離れずの距離感がベストなのでしょうね。
楽曲提供が凄い!
バンド活動をしている時にもプロデュース業や楽曲提供など行っていた細野晴臣が提供していたアーティストが実はすごい面々だって知っていましたか?アイドルからミュージシャン、演歌歌手までその楽曲提供の幅は広く、中には大ヒットした曲も多数ありました。

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松田聖子
33年前の今日、松田聖子「天国のキッス」がチャート1位を獲得。 【大人のMusic Calendar】 | ニッポン放送「しゃベル」 ラジオAM1242+FM93

森進一
森進一/紐育物語

安田成美
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他にもアニメ「キテレツ大百科」の「キテレツ大百科のうた」やキャンディーズのメンバーだった藤村美樹のソロシングル「夢・恋・人。」なども幅広く提供していて知らず知らず細野晴臣の曲を耳にしていたということが多くあったと気づかされました。

程よい低音の利いた声でナレーションでも耳にすることが多い細野晴臣ですが、俳優として映画に出演していたり音楽担当として関わっていたりと音楽業界を担ってきた重鎮として構えているのではなく、精力的に活動しているということがファンには嬉しい限りですが、ハイセンスの音楽をこれからも創り出していってほしいというところが本当のところだと思います。
これからの活躍を楽しみにしています。
最後までご覧いただきましてありがとうございました。