立会の鋭さを”猛牛”とあだ名された遅咲きの横綱・琴櫻は「確変」パチンコ台だったのか?!

立会の鋭さを”猛牛”とあだ名された遅咲きの横綱・琴櫻は「確変」パチンコ台だったのか?!

2007年8月、敗血症による多臓器不全のため、66歳で他界した元横綱・琴櫻。現役時には怒濤の突き押しと強烈なぶちかまし、のど輪で一気に攻める押し相撲を得意とし、「猛牛」との異名を取りながらも大関から横綱まで6年以上も費やした。ただ、横綱昇進時には、まるで静かだったパチンコ台が急に「確変」モードになったかのように、あっという間に昇進を遂げている。そんな横綱・琴櫻の足跡を辿ってみよう。


見事な不知火型です!!

琴櫻の土俵入り

琴櫻 傑將(ことざくら まさかつ)

佐渡ヶ嶽部屋入門まで

若い頃の琴櫻

大関までは順調な道程であった。

最初はどうしても柔道の癖が取り口に表れていたが、指導と琴ヶ濱との稽古で右四つの型を会得すると、1962年7月場所に十両へ昇進し、優勝。4場所目の1963年1月場所でも十両優勝を果たして3月場所に新入幕を果たした。1964年1月場所には新三役の場所6日目に、柏戸剛との取組で土俵上で足首を骨折する負傷で途中休場。翌場所も全休したため、十両まで陥落の憂き目に遭った。
休場して以降は本人曰く「まわしを取ると青竹で殴られた」、「いつまでも腫れが引かない」という厳しい指導の下に己の相撲を改造し、怒濤の突き押し・強烈なぶちかましとのど輪で一気に攻める押し相撲を得意とし、「猛牛」と異名を取った。1967年9月場所では柏戸と佐田の山・豊山・北の富士と2横綱2大関を倒して11勝4敗という成績を残し、場所後に大関へ昇進した。1968年7月場所には13勝2敗の成績で幕内初優勝を果たした。
初土俵が1959年1月場所だから、大関までは8年半ほど掛かった計算になる訳ですが、他の力士たちの記録と比べても遜色ない速さである。

四股名の由来

琴櫻が入門していた佐渡ヶ嶽部屋では、昔より四股名の始まりの一字に”琴”を付けている。現在でも、大関”琴奨菊”関や平幕の”琴勇輝”関が在籍しているが、このような風習が未だに健在である。これは11代佐渡ヶ嶽(琴錦)の故郷である香川県観音寺市にある琴弾八幡宮に由来している。琴光喜が初土俵時に名乗った琴田宮など、本名で土俵に上がる場合でも本名の前に「琴」の字を付けて四股名を作ることが通例である。また、琴という字は「今に王になる」字だと横綱琴桜が言っていたという記事がある。
琴櫻本人は番付に初めて載った時は本名の「鎌谷」だったが、関取昇進時に「琴櫻」へ改名した。これは11代佐渡ヶ嶽師匠の現役名「琴錦」に、故郷にある「打吹公園」が桜の名所であることから付けられたもの。番付では琴櫻と書かれ、“琴桜”と書かれたものは存在しないが、本人はサインなどでは「琴桜」と書いていたという。

ダメ大関と呼ばれた者でも横綱に昇進した典型的な例!!

この頃の相撲で優勝した”豪栄道”や”琴奨菊”を見ていると歯がゆい思いをした方々がかなりに上るのではと思っています。優勝した翌場所は必ずと言って良いほど、惨憺たる結果に終わっているからだ。2場所連続優勝・横綱昇進というプレッシャーは、それだけ大きいのであろう。そんな現在の状況によく似た時期が過去にもあった。
過去にもダメ大関と呼ばれた者でも横綱に昇進した例はある。その最たる力士が琴櫻である。大関在位32場所で優勝5回とはいえ、2ケタ勝ったのは半数にも満たない15場所。ケガも多く、当時から「ポンコツ」「ウバ桜」などと揶揄されていた。それが現役最晩年の72年に悲願達成。32歳2カ月での横綱昇進は年6場所制以降の最年長記録として、いまも破られていない。
これはまるで、今までうんともすんとも言わなかったパチンコ台がある時、急に「確変」に突入しフィーバーするようなものだ。

琴櫻の時代は大横綱大鵬が引退、後継者たる玉ノ海も急死し、北の富士はいるものの、時代の転換期だった。

当時「ポンコツ」「ウバ桜」などと揶揄されていたが、1972年3月場所で大関・前の山との一番が「無気力相撲」と指摘を受け、琴櫻の印象が一層悪くなってしまう。さらに5月場所は1勝しただけで残りを休場するなど、引退も噂され始めた。ところが、同じ二所ノ関一門出身であり自身が平素から懇意にしていた、相撲評論家の神風正一氏と対談した際に元気づけられ、横綱を目指す決意を固める。この年の11月場所では14勝1敗で3度目の優勝を果たすと、綱取りとなる1973年1月場所も14勝1敗で連覇を果たし、場所後に第53代横綱へ昇進した。横綱昇進時の年齢(32歳2ヶ月)は現在の横綱審議委員会の「2場所連続優勝を原則とする」の規定が定められた年6場所制における最高齢で、「遅咲きの桜、ようやく満開」「姥桜の狂い咲き」とも呼ばれた。 大関在位32場所の長期在位(豊山勝男の大関在位記録にあと2場所と迫っていた。現在は武蔵丸光洋と並ぶ史上1位タイのスロー出世記録)で晴れて横綱に昇進したが、高齢での昇進であったことは本人も重々承知していたようで、後援会から贈られた数多くの化粧廻しを見て「こんなに長く務まるか不安だ」と漏らしたという。しかも横綱土俵入りは当時から短命のジンクスが有り後継者が少ない「不知火型」を敢えて選択した(指導は宮城野と大鵬)。 それでも同年7月場所は14勝1敗で、唯一負けた相手である北の富士との優勝決定戦で勝利して優勝を決め、横綱に対する不安の声を一蹴した。しかし琴櫻の不安は的中して、体力の衰えも重なって長く務めることができず、横綱在位は僅か8場所で、1974年7月場所前に引退を表明した。対戦力士の中で一番苦手としていたのは三重ノ海で、対戦成績は7勝11敗・横綱昇進までは3勝9敗だった。1975年2月1日に引退相撲が開催され、太刀持ちに北の湖、露払いに輪島を従えて最後の横綱土俵入りを執り行った。断髪式では師匠が死去していたため、二所ノ関が止め鋏を入れた。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%90%B4%E6%AB%BB%E5%82%91%E5%B0%87

琴櫻傑將 - Wikipedia

引退後も精力的に活動!!

引退後は年寄・白玉を襲名したが、僅か10日後に佐渡ヶ嶽が死去したため、佐渡ヶ嶽代理を経て「佐渡ヶ嶽」を襲名して部屋を継承した。 現役時代から内弟子を集めており、大関では琴風・琴欧洲・琴光喜、関脇では琴ヶ梅・琴富士・琴錦・琴ノ若の4人、小結では琴稲妻を始め、合計22人の関取を育成した。幕内優勝力士は立浪・花籠・若乃花幹士・貴ノ花健士と並んで、4人(琴風・琴富士・琴錦・琴光喜)を輩出した。1990年代初頭には幕内力士7人を擁し、「七琴」「佐渡ヶ嶽軍団」と呼ばれて幕内の最大勢力だったこともある。 稽古自体は非常に厳しかったが、気配りが上手で面倒見が良く、弟子たちからは慕われていた。50歳を過ぎてからも自ら廻しを締めて胸を出すなど、非常に指導熱心であった。解説の際には弟子の取組に対して思わず「そこだ、押せ!」「よし、行け」といった具合に声が出てしまう場面も見られた。真面目で誠実な人柄・スカウト熱心で知られ、後援会組織を全国に持っていたこともあるが、いかなる僻地でも最終的には自らが足を運んで勧誘した。その熱心さに、時には相手方が固辞している場合でも半ば強引に口説き落とすこともあったといわれている。また、「元横綱の私より足が大きいからこの子は大物になれる」「お前なら数年で関取になれるぞ」など、はったりのような口説き文句で入門を決意させることも多かったという。 日本相撲協会では1992年から6期12年に渡って、理事として審判部長・名古屋場所部長を歴任、北の湖理事長1期目には事業部長に就任した。その一方で大相撲放送の解説を務めることも多かった。審判部副部長時代には、1986年5月場所8日目の小錦 - 北尾戦で、VTRでは北尾の足が先に俵を割り込んでいるように見えたにも関わらず、同体・取り直しの裁決を行い、その取り直しの一番で小錦が鯖折りを受けて致命的な負傷を負ったため後に議論を呼んだ。 1996年には愛娘と結婚した琴ノ若(当時は「琴の若」)を婿養子として迎え入れた。 2005年11月25日に停年退職を迎えた。同年11月場所の千秋楽までは協会に残ることができたが、部屋持ちの親方が退職するとその部屋の力士が出場できなくなる規定があるため、同日に引退した琴ノ若に年寄・佐渡ヶ嶽を譲って、奇しくも2代続けての本場所途中の部屋継承劇となった。琴風に続く大関が育たなかったのが悩みだったが、退職直後に琴欧州が大関昇進を決め、喜びのコメントが紹介された。なお、場所後に行なわれた琴欧州の大関昇進伝達式では、日本相撲協会の計らいにより、佐渡ヶ嶽親方夫妻と共に同席が認められた。

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琴櫻傑將 - Wikipedia

晩年の琴櫻

晩年は病との熱い勝負!!

2000年11月26日に還暦(満60歳)を迎えたものの、この頃から体調不良等が続いた理由により還暦土俵入りは行われず、赤い綱を受け取るのみであった。 2004年には糖尿病の悪化に伴う壊疽を発症したため、左足を足首から切断する手術を受けた。そのため、これ以降は杖を付きながら義足での歩行を余儀なくされた。10ヶ月の入院生活を経て2005年に退院するが、手術では弱っていた心臓が止まったこともあった。2007年にも心筋梗塞の手術を受け、入退院を繰り返していた。 2007年7月場所後にも琴光喜が苦労の末に大関昇進を果たした。2007年7月25日に行われた琴光喜の大関昇進伝達式では、後ろの方で椅子に座りながらその光景を見届けている。「自分が大関になった時より嬉しい」と目を潤ませながらコメントを述べたが、これが結果的に生涯最後の仕事となった。 琴光喜の大関昇進決定から僅か20日後の2007年8月14日18時19分、敗血症による多臓器不全のため、千葉県松戸市の千葉西総合病院で死去した。66歳没。死の直前、サッカー問題で謹慎処分を受けていた朝青龍明徳を気に掛け、「土俵に戻って欲しい」とのメッセージを遺していた。佐渡ヶ嶽部屋としての葬儀は同年8月21日に執り行われた。

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琴櫻傑將 - Wikipedia

色々な点で弟子の”琴奨菊”とうり二つ!!!

昨年、琴奨菊が念願の優勝を果たしたことは記憶に新しいが、今から44年前、琴奨菊と同じように「確変」をして、突如優勝し、その勢いで横綱に駆け上がった力士がいる。
琴奨菊の最初の師匠であり、今の師匠琴ノ若の義父に当たる琴櫻である。琴櫻も「ウバ桜」と呼ばれるロートル大関だったが、32歳で優勝し、横綱になった。
相撲スタイルも二人は共通している、「四つ身の押し相撲」だ。
琴櫻は力士時代は182cm150kg、琴奨菊は179cm180kg。どちらも短躯であんこ型だった。風貌もよく似ている。まったくうりふたつと言っても過言ではない。
また、上で記したように時代背景もよく似ている。琴櫻の時代は大横綱の大鵬が引退、後継者たる玉ノ海も急死し、北の富士はいるものの、時代の転換期だった。かたや琴奨菊はというと、白鵬の衰えがはっきりしてきた時代にいる。境遇はよく似ている。
まさに、琴奨菊にとっては横綱になれる潜在一隅のチャンスが到来した訳であるが、琴奨菊が師匠の琴櫻と同様にこのチャンスをものにし横綱になれるのかは、琴奨菊自身の「心・技・体」にかかっている。

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