番付のルール
大相撲の番付には、定員があります。幕内力士全体では42名、大関・関脇・小結に至っては、最低2名以上置くという決まりになっています。ところが、関脇・小結は問題ないものの、大関は2名に満たないケースがあり、そのままでは番付のルールに反することに。そこで例外的に用意されているのが、"横綱大関" という兼任の地位です。一人大関や大関不在の場合に、横綱が大関を兼任し、番付上で "横綱大関" と名乗るというものです。
横綱大関は、年6場所制になった1958年以降、13場所で発生。記憶に新しいところでは、2020年3月場所に貴景勝が一人大関となり、横綱・鶴竜が横綱大関を名乗りました。これは、1982年1月場所に北の湖が横綱大関になって以来、38年ぶりの出来事です。
そして、今回紹介する超レアケースが1981年9月場所。なんと、一人大関の千代の富士が横綱に昇進したことで、大関不在になってしまったのです。その時の番付はどうなったのでしょうか?前後の推移から、詳しく見てみましょう。

番付表の一例
めまぐるしい大関の入れ替わり
1979年9月場所から1982年3月場所にかけての2年半、大関がめまぐるしく入れ替わりました。この短期間であった入れ替わりは次の通り。
・新大関になった力士:4名(増位山、千代の富士、琴風、隆の里)
・大関で引退した力士:3名(旭國、貴ノ花、増位山)
・横綱に昇進した力士:1名(千代の富士)
その推移を時系列で見てみましょう。
◆1979年9月場所
大関2名:貴ノ花、旭國
旭國は、三重ノ海との対戦で負傷し、右肩関節挫傷のため途中休場。再起困難と判断し、現役を引退しました。これで、翌場所から貴ノ花の一人大関です。
◆1979年11月場所〜1980年1月場所
大関1名:貴ノ花
1975年1月場所以来の一人大関で、前回の一人大関も貴ノ花でした。
大関は2名以上の在位が必要なため、番付に "横綱大関" が登場します。
1979年11月場所の横綱大関は三重ノ海、
1980年1月場所の横綱大関は若乃花でした。
場所後に、増位山が大関に昇進。翌場所から二人大関に戻ります。
◆1980年3月場所〜1981年1月場所
大関2名:貴ノ花、増位山
二人大関にはなったものの、史上最高齢で大関になった増位山は、昇進後いきなり怪我で休場。貴ノ花は限界説が囁かれ、いつ一人大関になっても不思議のない状況でした。
そして、1980年11月場所、貴ノ花は、大関候補の千代の富士に一方的に敗れ、ついに引退を決意。翌1981年1月場所、ちょうど大関在位50場所を迎えた場所の7日目に現役を引退しました。皮肉にも同じ場所、関脇・千代の富士が優勝し、大関昇進を決めています。
◆1981年3月場所
大関2名:増位山、千代の富士
貴ノ花の引退、千代の富士の昇進で一人大関は免れたものの、今度は、増位山が左ヒジ痛の悪化により、5日目で現役を引退します。二場所続けての大関引退。千代の富士は昇進して早々、一人大関となってしまいます。
◆1981年5月場所〜1981年7月場所
大関1名:千代の富士
前年に続き二年連続で、一人大関が発生。
1981年5月場所、7月場所いずれも、横綱大関は若乃花でした。
千代の富士は、大関昇進後も好調で、1981年7月場所は二度目の優勝。大関はわずか3場所で通過し、横綱昇進を決めます。ところが、一人大関が横綱に昇進する一方、新たな大関昇進はなし。翌場所はついに、大関不在の場所となってしまいます。
◆1981年9月場所
大関0名:(不在)
年6場所制になって以降初めてとなる、大関不在の場所です。
この場所については、詳しく後述します。
場所後に、琴風が大関に昇進。翌場所から一人大関に戻ります。
◆1981年11月場所〜1982年1月場所
大関1名:琴風
琴風は、大関昇進早々、一人大関となります。
翌年まで続き、これで一人大関は三年連続で発生。
1981年11月場所、1982年1月場所いずれも横綱大関は北の湖でした。
場所後に、隆の里が大関に昇進。翌場所から二人大関に戻ります。
◆1982年3月場所
大関2名:琴風、隆の里
ちょうど一年ぶりの二人大関です。
これだけめまぐるしく大関が入れ替わったにもかかわらず、以後40年近く一人大関はなく、次回は2020年3月場所でした。
番付表の横綱大関
大関推移の一覧
1979年9月 | 貴ノ花 | 旭國 |
---|---|---|
1979年11月-1980年1月 | 貴ノ花 | |
1980年3月-1981年1月 | 貴ノ花 | 増位山 |
1981年3月 | 千代の富士 | 増位山 |
1981年5月-1981年7月 | 千代の富士 | |
1981年9月 | ||
1981年11月-1982年1月 | 琴風 | |
1982年3月 | 琴風 | 隆の里 |
1981年9月場所の番付
一人大関の千代の富士が横綱に昇進したものの、新たな大関昇進はなし。ついに、年6場所制となった1958年以降初めて、大関不在となってしまいます。
大関2名が必要なところ、大関0名。よって、横綱が大関を兼任する "横綱大関" も2名必要になります。実際の番付は、次のようになりました。
番付表(上位のみ)
東 | 番付 | 西 |
---|---|---|
北の湖 | 横綱大関 | 千代の富士 |
若乃花 | 張出横綱 | |
琴風 | 関脇 | 朝汐 |
蔵馬 | 小結 | 北天佑 |
麒麟児 | 張出小結 | 隆の里 |
シンプルな "横綱" という地位の力士は一人もなく、
東の横綱大関・北の湖、
西の横綱大関・千代の富士、
張出横綱・若乃花、
の横綱3名に加え、大関不在で張出小結が2名もいる奇妙な番付となりました。
しかし、大関不在とはいえ、関脇以下には、後に大関になった琴風、朝汐、北天佑、横綱まで上り詰めた隆の里がおり、ハイレベルな場所だったことがよくわかります。
今後の横綱大関の可能性
2022年11月場所は、横綱1名、大関3名。今後もし、大関2名が陥落もしくは引退となれば、横綱大関の地位が復活します。もし、横綱1名、大関0名、もしくは、横綱0名、大関1名となった場合、番付はどうなるのでしょう。。。