
スズカコバン幼少期の試練
スズカコバンは1980年、父に伝説の快速馬マルゼンスキー、母の兄に天皇賞馬リキエイカンを持つ、期待の良血馬として生まれました。牧場は後に悲劇の名馬サイレンススズカを生み出す事となる稲原牧場。

生まれた当初から非凡な動きを見せ、スズカ軍団の総帥永井氏の所有に早々と決まったのですが、当歳の秋に放牧中の事故で、胸前の筋肉を断裂する重傷を負い、競争能力喪失の診断を受けてしまいます。

通常ならばそのまま《行方不明》的な扱いになってしまう事が多いのですが、オーナー永井氏と稲原牧場の献身的なケアによって、なんとか中央競馬でのデビューに漕ぎつく事ができました。
生まれた時代が最大の不運?
命の危機を乗り越えて、ようやく競走馬になったスズカコバンに、今度は新しい試練がやってきます。
それは世代の層の厚さです。同世代には、後にシンザン以来の三冠馬となるミスターシービー、不世出のマイル王ニホンピロウィナー、後に日本馬初のジャパンカップ勝馬となるカツラギエースなど、現在も日本競馬至上に燦然とその名を残す名馬が揃っていました。
もう「生まれた時代が悪かった」としか言いようがないですね。

2戦目で勝ち上がったスズカコバンの2歳時の(旧表記では数え年で3歳)成績は3戦1勝着外1と、良くもなく、悪くもなくといったところでした。
明けて3歳春(旧4歳)、中距離の条件戦を無難に勝ち上がり、7戦3勝でダービーに挑みます。
初めての一線級の同世代の馬達との対戦となりますが、二冠達成のミスターシービーに遅れること2秒差の10着に終わり、その力の差をまざまざと見せ付けられる結果となりました。
脇役伝説
秋の緒戦、より追える田島騎手に乗り替り、神戸新聞杯をカツラギエースに競り勝ち、初めての重賞勝利を上げます。しかし、そんな菊花賞に向けて少し希望が見えてきた矢先、続く京都新聞杯のレース中に目に外傷を負い、秋の目標としていた菊花賞を回避する事になりました。

その後、京阪杯、阪神大賞典、鳴尾記念、大阪杯と、関西の重賞に出走するも、掲示板には乗るものの、なかなか勝ちきれない、善戦マンっぷりを発揮し始めます。
スズカコバン脇役伝説の始まりです。
そして迎えた春の天皇賞は、ミスターシービーが不在だったものの、モンテファストから1秒差の7着に敗れます。
続く宝塚記念では村本騎手に乗り替り、強豪のモンテファストやホリスキーを封じるものの、カツラギエースに完敗の2着。その後も高松宮杯、朝日チャレンジカップと、掲示板には乗るけど勝ちきれないレースが続きます。
ようやく1年ぶりに、京都大賞典で勝利を上げますが、その後すぐに善戦マンに戻ります。
しかも明けて5歳になると、1コ下の世代の皇帝シンボリルドルフが古馬となり、参戦してきます。ここでもまた、生まれた時代の不運さが浮き彫りになった感じですね。
鳴尾記念、大阪杯と、相変わらずの善戦を繰り返し、迎えた春の天皇賞は、シンボリルドルフの3着。定位置をキープです。
終に届いた栄冠
そして宝塚記念。ミスターシービーが引退し、ルドルフの独壇場となる事が予想され、あきらめムードが漂う中、集まった出走頭数はわずか11頭。しかし、直前でルドルフがまさかの出走回避。

もう、千載一遇のチャンス到来です。
本命馬不在の中、スローペースでレースは進み、4コーナー大外を回って捲った村本騎手とスズカコバンが、アタマ差サクラガイセンを抑えて勝利しました。
初めてのGⅠタイトルの戴冠の瞬間です。
しかし宝塚記念を勝ったものの、その後のスズカコバンは相変わらずでした。
脚部不安もあってその年の秋を休養し、6歳になって迎えた久々のオープン特別も、GⅠもGⅡもGⅢも、ずっと3着とか4着とかという日々が続きます。
そして秋の京都大賞典で2年ぶり2度目の勝利を上げて、秋の天皇賞に向かいます。
しかし自己ベストの時計を記録するも、勝ち馬サクラユタカオーから1.1秒差の7着に終わります。

そしてその後、再び脚部不安を発症し、現役生活を終える事になりました。
通算34戦7勝、重賞に挑む事26戦、重賞勝利は宝塚記念を含む4勝、入着はなんと20回と、堅実で見事な脇役を果たした競走馬だったと言えるでしょう。
種牡馬としてのスズカコバンが繋ぐ物語

スズカコバン血統表
MenowやWar Admiralといった、馬力のある血を豊富に内包するスズカコバンは、種牡馬になると、芝よりもダートに強い馬を送り出すようになります。
代表産駒は武蔵野ステークスやブリーダーズGCなど、中央地方の重賞を4勝したデュークグランプリや、北海道競馬で大活躍したササノコバンなど。
しかし、中でも注目したいのはクラキングオー。王冠賞や北海優駿など、北海道競馬の重賞を5勝した活躍馬ですが、6歳時のレース中に事故。一時は予後不良の診断を受けそうな重篤な状態だったのですが、生まれ故郷の倉見牧場で懸命な治療を施され、一命を取りとめました。

その後、状態が安定してきた9歳の時に種牡馬登録され、生涯でたった3頭ですが競走馬を残しました。
その初仔がクラキンコ。2010年、牝馬としては史上初の北海道クラシック三冠馬となりました。驚くべきことですね。

さらに、クラキンコの全弟、クラグオーも2014年に北海道競馬の重賞ステイヤーズカップを勝ち、2016年に種牡馬入りを果たしています。

漫画でもゲームでも、こんなストーリーは描けないでしょう。
幼駒の時に命を落としそうになったスズカコバンが、王者不在のたった一度のチャンスをモノにしてGⅠ馬となり、息子のクラキングオーも落としかけた命をなんとか繋いで、たった3頭残した子供達が三冠馬になり、重賞勝馬になり、種牡馬になるという、競馬のロマンをぎっしり詰め込んだ、本当に実現した物語です。
奇跡の物語は続く
2005年、スズカコバンは25年の生涯を閉じましたが、その血が繋ぐ物語はクラキンコ、クラグオーを通じて、これからまだまだ続いていくでしょう。
ひ孫達の活躍に期待したいですね。

生まれた時代が悪かった名脇役は、時代と世代を超えて楽しめる物語を作った、実はもの凄い、ストーリーテラーだったのかもしれません。