Brian Wilson
「現存するミュージシャンの中で、ポップ・ミュージシャンとして最高の天才を1人選べと言われたら、それはブライアン・ウィルソンだ」
そう語ったのはビートルズのプロデューサーとして有名なジョージ・マーティンです。ポール・マッカートニーではなくブライアン・ウィルソンを選ぶとは!ビーチボーイズの中心人物であり、天才として知られているブライアン・ウィルソンですが、彼には1967年当時完成させることが出来ず、37年後にようやく完成させたというアルバムがあります。

ブライアン・ウィルソン
未完成に終わったことで、伝説となったアルバムというのはいろいろとありますが、その筆頭として挙げられるのはビーチボーイズの「スマイル」でしょう!
「スマイル」は、ビーチボーイズ通算13枚目のアルバムとして制作が開始され、アルバムジャケットまで完成していたにも関わらず、結局ビーチボーイズとしては完成をみなかったアルバムです。
「スマイル」が完成するのは37年後の2004年、ブライアン・ウィルソンのソロ・アルバムとしてでした。その間、収録予定曲が小出しに発表され、それらの楽曲が素晴らしかったことから、時に惜しまれ、時に期待が高まり、リスナーの興味が途切れることのなかった運命のアルバム「スマイル」。そのエピソードの数々をご紹介します。
ビーチボーイズ通算12枚目のアルバムである「ペット・サウンズ」は、今でこそビーチボーイズの最高傑作であるだけでなく、ポップ・ミュージックの金字塔として高い評価を得ていますが、当時のレコード会社は満足していませんでした。セールス的には全米10位、アルバムからは2曲シングル・カットされ共に全米10位以内に入るヒットだったにも関わらずです。
「ペット・サウンズ」とは、ビートルズの「ラバー・ソウル」に影響を受けたブライアン・ウィルソンが、それまでのビーチボーイズのイメージを覆し、自分の内的な世界を表現しようとしたアルバムでした。
レコード会社はそこを嫌ったのです。サーフィンやホットロッドといったビーチボーイズの定番の世界から外れた内容に困惑したともいえます。
結果、レコード会社は「ペット・サウンズ」のプロモーションをあまり行わず、それどころか「ペット・サウンズ」の発売からわずか2か月後にベスト・アルバムを発売するという暴挙に出ます。
しかし、そのベスト・アルバムはミリオン・セラーを獲得するほど大ヒットしたので当時のレコード会社の判断は正しかったと言えますが、ブライアン・ウィルソンは不信感を強め、レコード会社との間に深い溝が出来てしまいます。

ペット・サウンズ
ブライアン・ウィルソンは、1964年末のツアー中に感情のコントロールが出来なくなりライブを欠席するという事件を起こしています。これを機に、ライブには参加しなくなり、メンバーから離れ1人スタジオで音楽作りに専念するようになっていました。
ビーチボーイズのアルバム「ペット・サウンズ」は、本質的にはブライアン・ウィルソンのソロ・アルバムとみなしても良いでしょう。ブライアン・ウィルソン以外のビーチ・ボーイズのメンバーはほぼボーカルとコーラスのみでの参加となっています。録音は一流のミュージシャンを使い、作詞もプロの作詞家であるトニー・アッシャーに依頼しブライアン・ウィルソンが多重録音を行い1人でコツコツと作り上げています。
この当時のブライアン・ウィルソンにとってビーチ・ボーイズのメンバーは、乱暴な言い方をすれば部品というか、ひとつの素材とみなしていたのかもしれません。
この延長上に「スマイル」があるわけですが、完全主義者のブライアン・ウィルソンは「ペット・サウンズ」以上の作品を作らなければいけないという思いが強くなり、また、当時リリースされたビートルズの「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」の存在もプレッシャーとなったのでしょう、「スマイル」の制作中に重度のノイローゼとなってしまいます。

レコーディング中のブライアン・ウィルソン
Good Vibrations
ビーチボーイズにとってもブライアン・ウィルソンの作品としても代表曲というばかりではなく、ロックの歴史の中でも最大級の大傑作「グッド・ヴァイブレーション」。1966年にリリースされ、全米、全英共に1位に輝いた商業的にも大成功している名曲中の名曲ですが、この曲はアルバム「ペット・サウンズ」のレコーディング・セッションの際に最初のレコーディングが行われています。
ですから当初は、「ペット・サウンズ」に収録される可能性もあったのですが、ブライアン・ウィルソンの意向によりシングルとして発売されました。
「グッド・ヴァイブレーション」は、複数のスタジオを使ってレコーディングが繰り返し行われ、なんと90時間にも及ぶテープを3分半のマスター・テープに編集して完成させたのだそうです。
「2秒から5秒ぐらいの同じパートを、25回から30回ヴォーカル・ダビングした」とビーチボーイズのマイク・ラヴが当時のことを振り返っています。
SMiLE
成功した「グッド・ヴァイブレーション」の手法でアルバムを作ろうと考えたブライアン・ウィルソンは、早速制作に取りかかります。「グッド・ヴァイブレーション」の手法とは、あらかじめ楽曲の断片を多数収録しておき、それらを繋ぎ合わせて曲にするフィールズと呼ばれるものです。
最初「神へのティーンエイジ・シンフォニー」と名付けられたアルバムは、「ダム・エンジェル(口のきけない天使)」と名前を変え、更に「スマイル」とされます。1966年のことでした。
ビーチボーイズとしてのアルバムではありましたが、レコーディングはブライアン・ウィルソンのソロ・プロジェクトと化しており、当初ビーチボーイズのメンバーはコーラスのみの参加となっていました。
コーラス以外は、ブライアン・ウィルソンとスタジオ・ミュージシャンで録音され、作詞家としてヴァン・ダイク・パークスが迎え入れられています。
ブライアン・ウィルソンは、ビーチボーイズのコーラス以外の能力を信用していなかったといえますが、作られるべき音楽が頭の中に明確にあったがためともいえますね。
当然、メンバーとの対立が生まれてきます。特に、スタジオでの効果音を使った録音に傾倒したブライアン・ウィルソンに対し、他のメンバーはボーカル・ハーモニーを重視した方向性を求め溝は更に深まります。
それでもブライアン・ウィルソンは自分の考えを押し通すのですが、フィールズという手法はかなりの集中力と創造力、そして神経の細やかさが必要でありブライアン・ウィルソンの精神状態は悪化していきます。
そしてついには、ドラッグとアルコール中毒に陥ってしまうのです。
録音中にスタジオで消防士の格好をしたり、レコード会社の重役夫人を悪魔呼ばわりしたりと、奇行が見られるようになり、「スマイル」の制作は混乱を極めます。

スマイル
レコード会社は遅々として進まないレコーディングにしびれを切らし、プレッシャーを与えるためにアルバムが完成していないにも関わらずレコード・ジャケットを印刷します。このこともあり結局完成しなかったにも関わらず「スマイル」の存在はファンの知るところとなります。
レコード会社は1967年5月に「スマイル」の発売中止を決定します。
Smiley Smile
1年間にわたるレコーディングが行われたにも関わらず完成しなかった「スマイル」ですが、その間にブライアン・ウィルソンの精神状態は悪化の一途をたどります。しかし、レコード会社からのプレッシャーはきつく、どうしても新しいアルバムを制作する必要に迫られたビーチボーイズのメンバーはブライアン・ウィルソンを励まし、彼の自宅にスタジオを作り「スマイル」用として録音されていた曲を利用しつつアルバム「スマイリー・スマイル」を僅か3週間で作り上げます。
「スマイル」のセッション時のものは先行シングル「グッド・ヴァイブレーション」、「英雄と悪漢」以外はほとんど使われておらず「スマイル」に収録予定だった「ヴェガ・テーブルズ」、「ウインド・チャイムズ」、「ワンダフル」は、アレンジを大きく変更して録音しなおしています。
これは、ビーチボーイズの演奏力では当初のアレンジを再現出来なかったためとされています。また、ドラッグの影響もあったようですね。
結局「スマイリー・スマイル」は、「スマイル」の要素があるとはいえ、似ても似つかないアルバムです。傑作となる筈だった「英雄と悪漢」も、全米12位とパッとせず、アルバムも精彩を欠いてしまいました。
しかし、後年ブライアン・ウィルソンは、「スマイリー・スマイル」のことを「暖かいそよ風のアルバム」と称し、自分のフェイヴァリットのひとつだとインタビューで答えています。

スマイリー・スマイル
その後、ブライアン・ウィルソンの状態が戻らないということと、ビーチボーイズのセールスが落ち込んだということで、「スマイル」セッションでの楽曲を掘り起し、新しいアルバムに入れていこうという試みがなされます。
1967年リリースのアルバム「ワイルド・ハニー 」に「ママ・セズ」、1969年リリースのアルバム「20/20」に「1.恋のリバイバル」、「アワ・プレイヤー」、「キャビネッセンス」、1970年リリースのアルバム「サンフラワー」に「クール・クール・ウォーター」が収録され、「スマイル」の中で最大のキー・トラックと目されていた「サーフズ・アップ」は、アルバムタイトルにもなり1971年にリリースされました。
SMiLE
「スマイル」の制作頓挫以降、酒やドラッグに溺れたブライアン・ウィルソンはスタジオに火を放とうとするなど、更に奇行が目立つようになり、自宅に引き篭ってビーチボーイズの活動からも遠ざかっていきます。
関係者の尽力が実って、1988年に初のソロ・アルバム「ブライアン・ウィルソン」をリリースし、ブライアン・ウィルソンは表舞台に戻ってきます。徐々に活動を活性化させていき、実に37年の歳月を経て、なんと、ライブ演奏として「スマイル」は人々の前に姿を現します。2004年2月のことです。
そして遂にブライアン・ウィルソンのソロアルバムとして「スマイル」は完成します。この「スマイル」は、新たに楽曲が加えられ、ジェフリー・フォスケット、ダリアン・サハナジャ(ワンダーミンツ)らブライアン・ウィルソンのツアー・バンドのメンバーによって新たにレコーディングされました。

スマイル
アルバムの最後に「グッド・ヴァイブレーション」が収まっているということに違和感を感じないでもありませんが、素晴らしい曲であることには間違いありませんし、美しいアルバムになっています。
Smile Sessions
ブライアン・ウィルソン版「スマイル」の発表をもってスマイル伝説に終止符が打たれたかに思えましたが、2011年にビーチ・ボーイズデビュー50周年として、1966年夏から67年前半の間におこなわれたスマイル・セッションの音源に手を加え編集したアルバムが「スマイル」として発売されました。

スマイル・コレクターズ・ボックス
Amazon.co.jp:カスタマーレビュー: スマイル・コレクターズ・ボックス
邦題こそ「スマイル」ですが、正式には「The Smile Sessions」というタイトルであることからも分かるように、勿論「スマイル」の完成品ではありません。まあ、正式なブートレッグと言ったところでしょうか。
しかし、ブートレッグとして数多く出回っていた正に伝説の音源が、正規品として聴くことができるという喜びは確かにありますよね。
こうして、45年にも及ぶスマイル伝説はここにめでたく完結したのです。