「永遠のチャンピオン」大場 政夫の生い立ち


15歳の時にプロボクシングに入門する
逆転の貴公子 : Drag-inのF○○K´N ドラマー jun_tezukaのblog
プロボクシング入門後、1年でプロデビューする

1968年9月2日、大場にとって初めての10回戦の対戦相手は横浜協栄ジムの世界王者花形進。
試合は10回判定負け。
同年、古川克己と伝説の激闘の末、KOで勝利し号泣する。
1969年3月3日中村ジムの 日本フライ級王者スピーディ早瀬とのノンタイトル戦で10回フルマークの判定勝ち。
8月18日 新和ジムの東洋フライ級王者中村剛との試合ではノンタイトル戦で10回判定勝ち。
12月14日 海老原博幸を破る。
世界フライ級王者となったばかりのバーナベ・ビラカンポ(フィリピン)との対戦は、ノンタイトル戦で10回判定勝ちする。
WBA世界フライ級王座を獲得する

1971年4月1日 ベネズエラのベツリオ・ゴンザレスとの試合で15回判定で降し初防衛。
3人の日本人ジャッジの採点は、一人が2ポイント差、二人が1ポイント差だった。
6月19日 初の海外遠征となる試合がテキサス州・サンアントニオで行われた。
メキシコ同級王者ロッキー・ガルシアとノンタイトルで対戦し、ダウンを奪われるものの9Rに逆転TKOを下す。
2度目の防衛戦、大場政夫vsフェルナンド・カバネラ

3度目の防衛戦、大場政夫vs花形進

4度目の防衛戦、大場政夫vsオーランド・アモレス戦
9月26日 ドミニカ共和国のナタリオ・ヒメネスとのノンタイトル12回戦では5回KO勝ち。
大場政夫はタイトル戦の合間に、必ずノンタイトル戦を挟んでいた。
プロボクサーとして常に戦ってきたのだ。
5度目の防衛戦、大場政夫vsチャチャイ・チオノイ戦
驚異的な逆転KO勝ちしたものの試合後の大場政夫は杖をつかねば歩けない状態だった。
そしてこの試合後、大場政夫には長期休暇が待っていた。
大場政夫 の事故


大場政夫はプロボクシングの現役世界王者のまま事故死した今も「永遠のチャンプ」と呼ばれ湛えられている。
伝説のボクサー大場政夫にまつわるエピソード

二木の菓子
東京 @ 三貓繪飯 :: 痞客邦 PIXNET ::
大場政夫は自宅にピラニアを飼っていたという。餌として与える生きた金魚を食べるピラニアの姿を冷静な目で見つめていた。目の前で繰り広げられる生と死のドラマのなかでそれぞれの動きからボクシングのヒントを探していたのかもしれない。

ファイトマネーで両親のために家を建てる
そして流れ星のように… 「大場政夫」 - Kiki's random thoughts
ヒーロー大場政夫・スタイリッシュな体格ゆえの減量苦
大場のボクシングの階級はフライ級(50.8キロ)。この階級の選手は165cm以下の小柄な選手が多い。ところが大場政夫は身長168cm、リーチ170cm。甘いマスクでハンサムな彼は「貴公子」とよばれた。しかし、そのスラリとした体型には減量の苦労があったという。
没後40年で浮かぶ残影。大場政夫の精神は死なず。~帝拳ジム会長が明かした真実~ - ボクシング - Number Web - ナンバー
大場政夫選手のボクシンググローブ
大場政夫のプロボクシングの戦績は、38戦35勝16KO2敗1分
獲得タイトルは、第25代WBA世界フライ級王座(5度防衛)


大場政夫のグローブが展示してある後楽園ホールと事故現場の大曲カーブはわずか1.3キロの距離だ。後楽園ホールへ行くために何度も通った道ではなかったのか?
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