デヴィッド・ボウイ

1月10日、がんのためデヴィッド・ボウイが死去。世界中がその訃報に驚き、悲しみに暮れた。その2日前、ボウイ69歳の誕生日に、結果的に遺作となってしまった最新作『★(ブラックスター)』を発表したばかり。しかもその作品が、新たなチャレンジを続ける意欲的な内容で傑作だっただけに、その歓喜からの落差も激しく、亡くなったことが今でも信じられない。次から次へと音楽性・スタイルを変化させ、常に時代をリードしてきた、これほどのカリスマ性溢れるアーティストは、後にも先にもボウイ以外にいなかったと言える。本当に、残念でならない。
グレン・フライ(イーグルス)

1月18日、リウマチ性関節炎や肺炎による合併症により、67歳で死去したグレン・フライ。イーグルスのメンバーとして、ドン・ヘンリーと共に数多くの名曲を残してくれた。イーグルスでは、フライ自身がリード・ヴォーカルをとった「テイク・イット・イージー」や「ニュー・キッド・イン・タウン」などが有名だが、ソロに転向してからも、映画『ビバリーヒルズ・コップ』に使われた「ヒート・イズ・オン」や、TVドラマ『マイアミ・バイス』に使われた「ユー・ビロング・トゥ・ザ・シティ」などのヒットで知られ、高い人気を誇った。
モーリス・ホワイト(EW&F)

2月3日、74歳で亡くなったモーリス・ホワイト。20年以上パーキンソン病と闘い、長いこと第一線から離れていたとはいえ、その訃報にショックを受けた人は多かった。アース・ウインド&ファイアのリーダーとして、「宇宙のファンダジー」や「セプテンバー」、「ブギー・ワンダーランド」など、数多くのヒットを放ち、ディスコ・ミュージックを代表する存在であったモーリス。80年代にはソロでも「アイ・ニード・ユー」や「スタンド・バイ・ミー」をヒットさせるなど、精力的に活動していただけに、90年代以降は闘病生活でまともな活動が出来なかったことが悔やまれる。
キース・エマーソン、グレッグ・レイク(EL&P)

3月10日、71歳で自らその命を絶ったキース・エマーソン。その翌月には来日公演が予定されていただけに、日本のキース・ファン、プログレ・ファン、のショックは大きかった。近年は、神経系の疾患のため、右指が動かしにくくなっていたらしく、自分が思うようなプレイが出来ないことで悩んでいたようだが、これまで十分素晴らしい演奏をしてきたのだから、これ以上無理しなくていいのに・・・。プロならではの、許せないことだったのか。
そしてキースだけでなく、まさか同じ年にグレッグ・レイクまでもが逝ってしまうとは・・・。12月7日、がんのため69歳で死去。キース・エマーソンと共に、エマーソン・レイク&パーマーとして活躍し、『展覧会の絵』など数々の名作を残してくれたグレッグ。キング・クリムゾンのファースト・アルバムで、ベースとヴォーカルを担当したことでも知られ、通好みの実力派ミュージシャンだっただけに、残念でならない。
プリンス

4月21日、57歳という若さで亡くなったプリンス。鎮痛剤の過剰投与が原因だったそうだが、近年は股関節を痛めていたそうで、彼が得意としていた股割りを繰り返す過激なステージ・アクションのせいだったのかと思うと、そこまでしなくて良かったのに!と残念に思ってしまう。
あらゆる楽器を自身で演奏し、そのどれもが超一流のテクニックを有していたプリンス。80年代、『パープル・レイン』で大ブレイクした後も、誰も想像できないような革新的かつポップな作品を短期間にリリースし続け、ワーカホリックとしても有名だった。自身の作品だけでは飽き足らず、他アーティストへの楽曲提供やプロデュースでもその才能をいかんなく発揮し、特に80年代にはミネアポリス・サウンドを確立し、数多くのミュージシャンに影響を与えたことでも、その功績は大きかったと言える。
70年代にデヴィッド・ボウイがもたらしたインパクトと同等のことを、80年代にもたらしたのがプリンスだったとも考えられ、偉大なるこの2つの才能を同じ年に失ってしまったこの喪失感は、どうにも埋めようが無い。
ビリー・ポール

4月24日、がんのため81歳で亡くなったビリー・ポール。フィラデルフィア出身で、いわゆるフィリー・ソウルを代表するシンガーだった。「ミー・アンド・ミセス・ジョーンズ」は、1972年に3週連続全米1位のヒットとなり、彼の代表曲とされているが、他にもアル・グリーンやエルトン・ジョンのヒット曲をカバーするなど、幅広い楽曲を歌いこなすシンガーとしての魅力は唯一無二。
バーニー・ウォーレル(ファンカデリック、パーラメント)

6月24日、がんのため72歳で亡くなったバーニー・ウォーレル。ファンカデリック、パーラメント、といったいわゆるPファンクを支えるシンセサイザー・キーボード奏者として活躍し、独特なグルーヴを生み出したバーニーの演奏は、無くてはならない存在だった。さらに80年代になると、トーキング・ヘッズにも参加し、名作『ストップ・メイキング・センス』でも彼の演奏を堪能することが出来る。
ピート・バーンズ(デッド・オア・アライブ)

10月23日、心不全のため57歳という若さで亡くなったピート・バーンズ。デッド・オア・アライブのヴォーカルとして一世を風靡し、その中性的なルックスと、ユーロビートの先駆けともいえる斬新なディスコ・サウンドで人気を博した。美への執着が強すぎて整形手術を繰り返したが、失敗してしまい、晩年は見るも無残な腫れぼったい姿となってしまったピート。もともとカッコイイのだから、そこまでしなくても良かったのに・・・。
レナード・コーエン

11月7日、82歳で亡くなったレナード・コーエン。深夜に倒れたあと、寝ている間に亡くなったとのこと。今年リリースした新作『ユー・ウォント・イット・ダーカー』のリリース・イベントの際には、元気な姿を見せていただけに、あまりの急逝に驚かされた。その前には、文学誌「ニューヨーカー」の取材に対し、「死ぬ準備はできている」と答えたことが話題になっていたが、前述のイベントでは「死ぬつもりなんてない、120歳まで生きるよ。」と語っていたそうで・・・。なんとも、やりきれない。
レオン・ラッセル

11月13日、ナッシュビルの自宅で静かに息をひきとったというレオン・ラッセル。ローリング・ストーンズやボブ・ディラン、ジョー・コッカー、ジョージ・ハリスンなどとの共演でも有名なレオンだが、ソロで発表した「ソング・フォー・ユー」が数多くのアーティストにカバーされたことでも知られている。他にも「ディス・マスカレード」や「スーパースター」など、彼が書いた名曲は多数存在する。スワンプ・ロックを代表するレオンの訃報は、残念でならない。
以上、2016年に惜しくもこの世を去った洋楽アーティストをまとめてみました。70年代、80年代、に活躍していたアーティストが亡くなってしまう時代に突入したのかと思うと、寂しいかぎり。一方で、まだ現役で活動しているミュージシャンたちには、無理しなくていいから、長く生きて欲しい、と願わずにはいられない。