清宮克幸 早稲田大学ラグビー部監督1 「OVER THE TOP」

清宮克幸 早稲田大学ラグビー部監督1 「OVER THE TOP」

清宮克幸は、大阪府立茨田高校でラグビーを始め、高校日本代表となった。 そして早稲田大学では、2年生で、伝説の雪の早明戦を勝ち、全国大学選手権を優勝。 そして日本選手権でも社会人チームを破って優勝。 4年生で、主将として全国大学選手権優勝し、日本選手権で神戸製鋼に敗れた。 1990年、サントリーに入社し、ラグビー部主将となり、チームを初の日本一に導き、2001年、早稲田大学ラグビー部監督に就任した。


マメに前言撤回、方向転換

清宮は、いつも努めて選手とコミュニケーションをとり、自分の発想や考えを選手に話した。
それは、しょっちゅう誤りだったり、もっと優れたことを思いついたりする。
すると早々に謝った。
「すいませんでした、皆さん。」
「昨日こう言ったけど間違っていたので昨日の練習は忘れてください。」
「皆さんの時間を無駄にしてすまん。」
選手からいい意見が出たら
「それでいこう。」
と素直に認めた。
大きな方向性や大事な芯はブラさないが、前言撤回や方向転換は頻繁にやった。
いずれにせよ自分の間違いを隠さないようにした。

挑戦状

清宮は目標である関東学院の春口廣監督に挨拶するために電話でアポイントをとった。
春口は、1974年から関東学院大学の指揮を執った
早稲田大学などと違い歴史のなかった関東学院大学は、前を向いて進み続けるしかなかった。
そして1990年代、20年以上かかって、関東学院大学は、大学選手権のファイナリストの常連となった。
関東学院大が上昇すると、早稲田大学は頂から転げ落ちていった。
1989年度の清宮キャプテンの代の大学日本一を最後に、頂点になることはなかった。
そして2001年、清宮が監督に就任した。
春口は、清宮の申し出を断った。
17年前、清宮が高校日本代表としてアイルランドへ遠征したときに春口もトレーナーとして同行していた。
選手の良き兄貴的な存在だった。
試合で唇を切った清宮に春口は病院につきそったこともあった。
流血しながらプレーする清宮を見て春口は思った
「清宮の闘志はすごい。」
少しして清宮は再度、春口にアポイントをとった。
「やっぱり釜利谷(横浜市金沢区の関東学院大学のグラウンド)に行きます。
いいですか?」
「来なくてもいいよ。
どこかで会えるんじゃない?」
春口も再度、断った。
清宮はどうしても直接会って挑戦状を叩きつけたかったので、強引に訪問した。

釜利谷の関東学院は本当にいいチームだった。
チームキャプテンが練習後の後片付けを率先してやっていた。
いかにもラグビーを愛しているようだった。
清宮は春口に監督就任の挨拶と早稲田の挑戦への協力をお願いした。
「早稲田の監督がこんなところまで来てくれるとは、俺も強いチームを持ったもんだ。」
「春さん、今試合したら関東は強いから点差が開くかも知れません。
最初は50点差、その次は30点差くらいかな。
でも最後は早稲田が勝ちますよ。」
一瞬春口の目が鋭くなった。
「春の最終日に練習試合組んでください。」
清宮の依頼に春口は返事した。
「喜んでお受けします。」

4月、練習試合で早稲田は明治に勝利し、関東学院戦に弾みをつけた。
6月、三ツ沢公園で早稲田と関東学院の練習試合が行われた。
早稲田は春先から打倒関東学院で練習してきた。
春口監督の心意気か、関東学院もベストメンバーを組んだ。
早稲田は本気で勝ちに行ったが、まるで歯が立たず、5対57で惨敗した。
選手たちはショックで誰もしゃべらなかった。
清宮はマイナス思考に陥った選手にいった。
「この差を秋のシーズンまでに埋めていくのが俺の仕事だ。
この試合に負けて早稲田は追いつかなくてはならない姿がイメージから実像へ変わった。
俺たちは今やっとスタートラインに立てたんだ。」

トツ

「トツ」こと中村喜徳

中村喜徳は留年していて5年生だった。
由来は不明ながら、あだ名は「トツ」
4年生のときは豊富な運動量と力強いスクラムでレギュラーを張った。
実は復帰したくてたまらなかったが、優しすぎる彼は、自分が復帰することで後輩がレギュラーになれないことを気にしてできなかった。
しかしついに中村は清宮に復帰したいといった。
2001年8月、菅平での夏合宿が行われた。
中村喜徳は、半年のブランクのせいか、なかなかなレギュラーだったころの力を発揮できなかった。
彼の特徴は休むことを知らない連続プレーだった。
タックルして、瞬間的にすぐ起き上がってまたタックルに入り、ラックが形成されればすぐに参加し、ボールが出ればフォローに走る。
復帰後はじめての試合は、3軍レベルの試合だったが、後半から中村が出場すると、前半押されまくっていたスクラムがトツが入るとピタッと止まった。
そして10回プレーがあれば8回はそれに絡んだ。
もののものすごい働きぶりだった。
清宮はミーティングでビデオ編集したトツのプレー集をみせた。
しかし夏合宿の第2クールで、中村喜徳は靭帯を断裂してしまった。
全治2ヶ月。
一大決心したラグビー復帰が、わずか数週間で・・・
しかし中村は強靭な精神力でリハビリに励んだ。
寮にはトツ盛りができた。
普通のご飯の大盛りは丸いが、トツ盛りはとんがっていた。
中村はそれを1日3食、3杯も4杯も食べ、リハビリトレーニングに励んだ。
こうしたトツの努力を後輩は目撃した。
それはチームの精神的な支柱になった。
中村は、精神面でもプレーでもチームを牽引していた。

しぼり

2001年8月21日、早稲田大学と関東学院の練習試合が行われた。
2度目の対戦だった。
前回、早稲田は5対57で大敗した。
それから1ヵ月半、フィットネスやウエイトトレーニングで基礎体力向上に取り組んだ。
4つだったサインプレーも10個になった。
しかし前半終了時に5対31という大差がついた。
後半、関東学院はBチームを出した。
最終的に22-36で早稲田は敗れた。
試合後、「しぼり」という罰則が課された。
選手はひたすら走らされ、清宮が蹴ったボールを走って追って獲らされた。
関東学院の選手たちはそれをみながら笑顔で帰っていった。
科学的にみて意味がない「しぼり」は、現在では行われることはまずない。
清宮は、理論的に選手を納得させることを重要視したが、科学的に意味のないことでも重要なこともあると信じていた。

清宮はサントリーとのパイプもフル活用した。
夏過ぎから月1、2回はサントリーに出稽古した。
初めてのときは重い当たりに弾き飛ばされ3人がケガをした。

分析

試合後のミーティングでは、試合全体を10~15分に編集されたムービーを観た。
またゲーム分析シートが配られた。
シートは、
ボールタッチ数
タックル数
ペナルティ数
などの項目がマス目になっていて、右側がGood、左側がBadになっている。
これが選手ごとにプラスマイナスでつけられている。
チームに単純なミスは消え、軽いプレーが許されない雰囲気ができた。

2001早明戦

秋の関東大学リーグ対抗戦が開幕。
下馬評は、優勝候補は慶応と帝京。
穴は明治と早稲田だった。
2001年9月16日、早稲田大学は東京大学を100対7で圧勝。
2001年9月30日、青山学院大学を125対9。
2001年10月14日、9月に練習試合で関東学院に15対10で大健闘していた帝京大学に27対16。
2001年10月27日、筑波大に62対19。
2001年11月3日、日本体育大学に85対10。
2001年11月23日、すでに明治に圧勝し、過去2年連続で早稲田に勝ち、昨年は全国大学選手権ベスト4の慶応大学に54対21。
2001年12月2日、早稲田大学vs明治大学。
早明戦は、ほかとはまったく違う独特の雰囲気があり、早稲田も明治も、本来の100の力を早明戦では200にした。
明治のフォワードの激しい突進と強烈なタックルで早稲田は防戦一方になり前半を14対22で折り返した。
後半、早稲田は怒涛の反撃を開始し、点差をジリジリつめていった。
終了間際、点差は1点。
ロスタイム、敵陣22mで明治のペナルティで早稲田はチャンスを得た。
早稲田のキャプテン左京はレフリーにゴールキックを狙うことを告げた。
早稲田のキッカーは武川正敏。
「ハ・ズ・セ、ハ・ズ・セ、・・・」
明治ファンの外せコールの中、武川が蹴ったボールはポストの間を通り抜け、ノーサイドの笛。
36対34。
劇的な幕切れだった。
早稲田は11年ぶりの関東大学リーグ対抗戦制覇。
14年ぶりの全勝優勝。

2001年12月16日、全国大学選手権1回戦。
早稲田大学 vs 大東文化大学は、49対24で早稲田の勝利。
2001年12月23日、2回戦、早稲田大学 vs 大阪体育大学。
前半終了時点で大差があったため、清宮はメンバー全員を試合に出して試そうと考えメンバーを交替した。
すると早稲田は、急激にダウンし、単調なアタックとミスが続いた
大阪体育大学は勢いづき、早稲田は足が止まってまったく前に出ず、ディフェンスも崩壊。
大阪体育大学は次々とインゴールに飛び込んだ。
残り5分で11点差になり、ラストプレーで大阪体育大学のウイングがトライ。
なんとか58対54の4点差の逃げ切ったが、もうワンプレーあればどうなっていたかわからなかった。
2002年になり、清宮は監督2年目となった。
そして1月2日、 全国大学選手権準決勝、早稲田大学vs慶応大学。
早稲田は激しさを前面に出して 強烈なタックルを放ち、粘り、突進し慶応を圧し、結果は36対7。
早稲田の選手は激しさと自信を持ってプレーしていた。
いよいよ大学日本一を狙える位置まで来た。
相手はもちろん関東学院だった。
2002年1月5日、ファーストミーティングで行ったのと同じアンケートが行われ、比較された。
アンケート内容は前回とまったく同じだが、回答は1年間続けた練習の成果がしっかり出ていた。

2002年1月7日、いよいよ大学選手権決勝が近づいてきた。
早稲田は
「ラグビーは点を取らなければ勝てない。」
とアタックの練習ばかりした。
早稲田は関東学院と戦えるレベルだが、関東学院は早稲田に比べまだまだ安定感があり崩れないチームだった。
だからコンマ何秒のチャンスをとれるかどうか。
そこが勝負。
タックル練習は5つのダミーに5人がいっせいに突き刺さるのだが、このダミーに関東学院のジャージが着せられた。
チームがフィットネスメニューをやろうとするとき、肉離れをしている中村喜徳が突然いった。
「僕もみんなと同じメニューをやらせてください。」
清宮は止めたが、中村は退かなかった。
清宮を無視して走りこみに加わった。
清宮がいくらダメだといっても、もう休めといっても中村は聞かなかった。
中村の脚は完治していなかったが、勝手に走る中村をみてチームは1つにまとまっていった。
チームのプレーのリストに「トツ」が加わった。
「トツ」は、「さあ素早く動き出すぞ」ということで、その動き出す決意を「トツ」と呼ぶことになった。
タックルで倒れた選手を見たら「トツ」という。
するとその選手はパッと立ち上がって走り出した。

2010年1月11日、全国大学選手権前日、早稲田大学ラグビー部Aチームが最後の練習を行った。
チームアタックから始めて、最後は関東学院のジャージが着せられたタックルダミーに魂を込めたタックル。
その後、BチームとCチームの練習試合が行われた。
そして最後は、全部員がグラウンド中央で円陣を組んで部歌「北風」を歌って練習が終わった。
そして清宮とレギュラー選手は、寮内のミーティングルームで作戦会議をした。
1年間の総決算である明日の試合の確認事項をブリーフィングした。
それが終わると3m四方の模造紙が出された。
清宮がその中央に「荒ぶる」と書いた。
選手はその周りにそれぞれの思いを書いた。
そしてライトアップされた東伏見グラウンドに部員が集まった。
中央には、赤黒のジャージ、塩、水、米、東伏見稲荷神社のお守り、グラウンドの砂があった。
清めの塩と砂を宙にまかれ、背番号順に1人1人にジャージが渡されていく。
お守りは全部員に渡された。
そして全部員と全スタッフが肩を組んで掟破りの「荒ぶる」と歌った。
「荒ぶる」は早稲田大学ラグビー部が日本一になった時しか歌わないと決められた歌。
清宮はその掟を破り優勝のイメージを植えつけた。
『荒ぶる吹雪の 逆巻く中に
球蹴る我等は 銀塊砕く
早稲田のラグビーは 斯界になびき
いざゆけ我らが ラグビー早稲田
ララ早稲田 ララ早稲田
ララララ早稲田』
1950年に早稲田が明治に勝った後、松分光郎キャプテンらが
「優勝時にはこの歌を歌おう。」
と決めたのが始まりである。
早稲田のラガーマンはこの歌に特別の思い入れがある。
「荒ぶる」は早稲田だけが持つ歴史、背景、新興学校では決してつくることのできないかけがえのないもの。
この歌を歌いたいために部員は優勝を目指しているといっても過言ではない。
この歌を歌うとき自分自身のラグビー人生、先輩から自分につながる歴史と伝統を感じることができる。
それは栄光に飾られた勝利の記憶であり、グラウンドに流した血と涙かもしれない。

2002年1月12日、全国大学選手権決勝、早稲田大学 vs 関東学院大学。
今シーズン無敗同士の対戦だった。
国立競技場は45000人が入った。
今シーズンの学生ラグビー界最大の話題は何といっても早稲田大学の復活だった。
清宮新監督の下、積極的な展開から相手を横に揺さぶって走り抜く伝統のスタイルを取り戻し、慶応・明治を連破して関東対抗戦グループ優勝。
大学選手権でも再び慶応を破り、ついに全勝のまま決勝進出を果たした。
その早稲田を迎え撃つのは、ここ4年間3度の優勝を誇る関東学院大学。
巧みで場内はえんじと黒の強いFWと高い個人能力のBKのバランスは学生随一。
ここまで全く危なげなく勝ち上がってきた。
日本ラグビー界屈指の伝統校と新興勢力筆頭の対決であり
低迷からの復活チームと盤石の安定感を誇る王者の対戦でもあった。
関東学院はモールで押しこんでから展開という王道戦法で相手を叩き潰しにかかる。
早稲田は、突進とボールを回してゲインしていった。
両チームの気迫と気迫、意地と意地のぶつかり合った。
両チームともひたすら前進し、ひたすら展開し、ひたすら突進した。
時間が過ぎていくと、反則やミスの数が増えたが、勝利への執念は萎えることはなかった。
43分、ラストワンプレーで、早稲田はPKから迷わず回し、ラックから左に展開。
山下がDFラインのギャップを切り裂いて一気に前進。
山下は追いすがるDFをみて一呼吸おいてから(結果的にはまだ早かったかもしれないが)切り札、仲山へパス。
仲山の前はゴールラインまでポッカリ空いていた。
スタンドは総立ち。
しかし、この最後の最後、ギリギリの場面で冷静に攻撃のコースを読んでいた関東学院のフルバック角濱が仲山へ追いすがり引き倒した。
こぼれたボールを関東学院DF必死にセービングし、ラックが形成され、関東学院によってボールはタッチへ蹴り出された。
ここでレフリーの腕が上がり、終了のホイッスル。
関東学院大学 21-16 早稲田大学。
関東学院大は終盤まで衰えないスタミナと、堅いディフェンスで2連覇した。
立ち上がりは押し込まれる場面もあったが、チャンスを確実にものにし、粘り強い守りで相手の反撃をしのいだ。
早稲田は、フォワードの健闘で、ボール獲得率は高く、攻撃時間も長かった。
しかし要所でのパスミスなどでトライはわずか1つだった。

2002年1月19日、関東学院に負けてから1週間後、ビデオミーティングが開かれた。
試合中、動きが極端に悪い選手がいた。
彼はまもなく卒業する4年生選手だったが、清宮はしっかり言わなければならないと思いいった。
「君の責任で負けた。」
その選手は試合後に1度もゲームのビデオを観ていなかった。
なぜ自分が叱られているのかわからず、顔が真っ赤になり、やがて目が潤んできた。
清宮も、自分が負けにからんでいることが多かった。
大学3年生時の早明戦では清宮のタックルミスで早稲田が負けた。
サントリーでも清宮のペナルティーでチャンスが途切れて負けてシーズンが終わったこともあった。
清宮がキャプテンになった年のサントリーは社会人大会に出られなかった。
しかし清宮は常にポジティブにものを考えることができた。
絶対に、負けたらどうしようと悪いことを考えて、それに備えることはしない。
勝利だけをイメージし、負けたらクヨクヨせず次の糧になることだけを考えた。
ダメなことは何とかしようと思わず、早く見切りをつけてほかの道を考えた。
2002年1月20日、日本選手権1回戦、トヨタ自動車vs早稲田大学。
今シーズンの早稲田の最多失点は大体大戦の54失点。
その次は早明戦の34失点。
しかしこの日は前半だけで早くも35失点。
どうしようもなかった。
この日、早稲田はトヨタに12対77で負けた。
関東学院もクボタに35対85で負けた。

清宮克幸 早稲田大学ラグビー部監督2 「ULTIMATE CRASH」

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