泉谷しげるといえば・・・
こんな・

こんな・・

こんなイメージがありますが

まぁ、とにかく破天荒で何をしでかすかわからない男、というイメージを皆さんお持ちでしょう。
まったくもってそのとおり!
御多分にもれず危ない男。
それが彼のキャラクターなんです。
でも実は、厚情にして芸能界随一のチャリティー(慈善活動)おじさんなんですよ。
結構いいとこがあって、賛同するミュージシャンたちも多いんです。
言いたいこと言って、やりたいことやっていても、そんな男だからこそ芸能界で干されることもなく、生き続けていけるんですねぇ。
大した男です!
若かりし頃

ファンたちは、彼の歌を「魂の叫び」と呼んでいました。
うまいか下手かではないんですね。
胸の奥にジーンと響いてくる、そんな歌を作り、聞かせてくれていたんですね。
でも、この頃から毒舌でした。
デビューした1971年に恨み節の「帰り道」、翌年には代表曲となる「春夏秋冬」があります。
その後もシングルをカバーしつつ、1975年、吉田拓郎・井上陽水・小室等らとフォーライフレコードを設立するも、わずか2年ほどで脱退し、ワーナーへ移籍します。
こういうところも破天荒なんですねぇ。
そんな彼は歌の世界だけではなく、芸能界へと足を踏み入れていきます。
転機
彼の大きな転機となったのが、テレビ朝日で放送されたドラマ「戦後最大の誘拐 吉展ちゃん事件」でしょう。
犯人役(主役)の演技が評価され、この後、役者としても活躍していきます。
昭和38年(1963年)に東京・入谷で起きた幼児誘拐殺人事件を題材にしたTVムービー。 テレビ朝日「土曜ワイド劇場」放映時には視聴率26%という高い数字を叩き出した。
http://simplydead.blog66.fc2.com/blog-entry-305.htmlSimply Dead 『戦後最大の誘拐 ─吉展ちゃん事件─』(1979)

でも、なぜ彼が・・・
そんなに大ヒットメーカーでもないシンガーがいきなり主役!?
しかもイケメンでもなんでもないのに・・・
そうなんです、見た目はスター性などないのに何故?ってことですよねぇ。
この時泉谷は恩地監督に「あんたには人の心があるのか」と言って噛みついたという。
この向田邦子の電話がなかったら、俳優・泉谷しげるはいなかったかもしれませんね。
それと、もう一つの理由が、不自由な足にあったそうです。
犯人も足が悪く引きずるように歩いていたことから、自然体のままで役に入れる。
などなど様々な要素が組み合わさって、俳優・泉谷しげるが誕生したのでした。
ちなみに彼の足は、子供のころポリオ(急性灰白髄炎 きゅうせいかいはくずいえん)にかかったせいで不自由になったということです。
大変なハンディを背負っていながらも、前を向いて歩んできたのですね。
ブラウン管とスクリーンへ
この後の彼は、脇役ながら毎年のようにテレビドラマ・映画に出演し、あの「金妻」にまで出てしまうんですねぇ。
(泉谷しげると金妻、なんかピーンとこないのは私だけでしょうか??)
最近では、北大路欣也・志賀廣太郎とともに「三匹のおっさん」にも出演しています。
そして初出場を果たした、2013年の紅白歌合戦。
ご期待にもれず、やっぱりやらかしてくれました。
リハーサルで

本番で
本番でのあの事件は、それはそれは大反響を呼びました。
そりゃそうですよねぇ、観客と審判員に向かって「手拍子すんじゃねえ!」って言っちゃった日には、そりゃ大騒ぎになりますよ。
泉谷しげる 紅白に「ありがとなNHK」!“手拍子してるんじゃねえ”発言の真意とは? - News Lounge(ニュースラウンジ)
言葉は乱暴なのですが、彼なりの思いが詰まってるんですね。
災害が起きるたびに、日本中を駆け回り、チャリティライブを繰り返して、様々な状況や人々を見てきた男にしかわからない思いが、そこにはあったのではないでしょうか。
チャリティ活動
彼のチャリティ(慈善活動)は、とにかくストレート。
かしこまったホールやステージでやったりもしますが、即行動、即募金活動という泉谷流のやり方でまず行動するのです。
1993年8月~
1993年7月に発生した北海道南西沖地震の際に、「お前ら募金しろ!」のキャッチフレーズで行ったものです。
そして、活動は東京だけにとどまらず、全国ベースで実施し、11月には忌野清志郎・小田和正・桑田佳祐らとともに北海道で「奥尻島チャリティーコンサート メーセージソングの日」と題してチャリティライブを行っています。
1994年1月~
1995年1月~
泉谷しげるにあって、島田紳助にないもの。(以下、敬称略) - INSIGHT NOW!プロフェッショナル
東日本大震災時
泉谷しげるにあって、島田紳助にないもの。(以下、敬称略) - INSIGHT NOW!プロフェッショナル
彼の行動はとにかく早い。そして、「お前ら募金しろ!」でわかるように、とにかくストレート。売名行為とか言うマスコミは、いったい何様なんでしょうか。
有名人が、1人で全国ベースの路上ライブを行うこと自体ありえないことなのに。
これほどまでのことをやる人間をどうして称賛できないのでしょうね。
世代を超えて
8年前のライブ。
観客は若者ばかり。
単なる悪態をつくだけのジジイでは、人の心を掴むことはできないでしょう。
最後に、こちらの映像をご覧ください。
彼が発起人となった、島原雲仙普賢岳災害の時の1994年3月のチャリティコンサートです。
彼の人望の厚さがいかほどのものか、つくづく感心させられるステージです。
(井上陽水もとび入りで参加しました)