埼玉西武ライオンズ・辻新監督が、1995年以来のレオ・ユニフォーム姿を披露!
二塁手の名手として埼玉西武ライオンズの黄金期を支えた辻新監督が、21年ぶりにライオンズのユニホームに袖を通した。
辻新監督
古巣のユニホームに袖を通すのは現役時代の1995年以来で「昔とは違うけどね。球場を見渡せば日本チャンピオンの旗があって懐かしいね」と感慨深げ。
自身の現役時代は黄金時代の象徴ともいえるスカイブルーのユニホームだった。「当時はあのユニホームが相手に“強い”というイメージを与えていた。昔とデザインは違うけど、そういったユニホームにしたいね」と意気込みを語った。
また、佐賀県の同郷である鬼崎には、自身の背番号「5」の後継者であることもあり、打撃練習ではアドバイスを送っていた。
背番号は85番
8度のゴールデングラブ賞に輝いた名手・辻発彦
つじ はつひこ。1958年10月24日生まれ。
佐賀県小城市出身。
二塁手として歴代最多の8度のゴールデングラブ賞を受賞している。
【経歴】
1983年のドラフト会議では2位で指名され、西武ライオンズに入団。
1985年のプロ二年目は出場した110試合中90試合で二塁手を務め、出場機会は大幅に増えた。
1986年は二塁手として全試合に出場し、初めてゴールデングラブ賞とベストナインに選出された。
1988年は選手会長に任命された。同年から7年連続して二塁手でゴールデングラブ賞を受賞。
1990年まで3年間連続で全試合出場を果たした。
1993年は初の打撃タイトルとなる首位打者を獲得。
1996年に野村克也監督のヤクルトスワローズに入団。自己最高の.333を記録するものの7厘差でアロンゾ・パウエルに及ばず、セ・パ両リーグでの首位打者はならなかった。
1999年、怪我の影響で試合出場数が減り、同年限りで引退した。
西武ライオンズ時代の辻
玄人好みの職人・辻発彦はいかにして「日本球界最高の二塁手」と称されるようになったか? - Middle Edge(ミドルエッジ)