美人キャスターで話題!若き日の小池百合子都知事
ここまで一つの自治体がワイドショーやニュース番組でトップを飾ることがなかった東京都の様々な問題。現在、その問題に立ち向かい時の人となっている小池百合子都知事。今、話題の人だけに、若い頃美人だったと懐古する声が続々。では、振り返ってみてみましょう。

関西学院大学の社会学部からカイロ大学へ留学、カイロ大学卒業

大阪の名門・関西学院大学に入学後、エジプトのカイロ大学社会学部に入学。そのままカイロ大学を卒業しています。今も同様ですが、海外の大学に入学となると多くはアメリカやイギリスのような英語圏大学が多い中、小池氏がカイロ大学を選んだ理由は、「将来、国連の公用語がアラビア語になるかもしれない」と言われていたから。結局、国連公用語はアラビア語にはなっていませんが、その頃から世界を見据えていますし、もし将来、総理大臣などになったら、アラビア語に堪能な首相は、外交面で大きなアドバンテージになることでしょう。
カイロ大学とは?

アラビア語の通訳になり、国際的な要人のインタビュアーも
カイロ大学卒業後、日本に戻った小池氏は、アラビア語の通訳となる。PLOアラファト議長や、リビアのカダフィ大佐の会見には、コーディネーター兼インタビュアーを務め、国際感覚を磨いていった。
トルコ風呂の名称変更にも尽力

1979年~1985年日本テレビ『竹村健一の世相講談』にてキャスターデビュー

上記のような国際経験を買われ、1979年に日本テレビ『竹村健一の世相講談』にて、メインMCの武村健一のアシスタントとしてキャスターデビュー。画像の通り、かなりの美人で人気を集め、番組終了となる1985年まで6年間勤めました。
1988年~テレビ東京『ワールドビジネスサテライト』初代メインキャスター


1988年より、現在も続いているテレビ東京の看板ニュース番組「ワールドビジネスサテライト」初代キャスターに就任。テレ東の顔的存在となります。
1992年 参議院議員選挙に日本新党より立候補!政治家生活へ

1992年には多くの政党からラブコールを受けていたが、誕生したばかりの日本新党より参議議員選挙に立候補。見事に当選し、政治家生活となる。
日本新党を選んだ理由は「政治を変えるには大きな中古車を修理するのではなく、小さくても新車の方がいい」ということだった。日本新党の創立者で代表は、後の総理大臣・細川護熙。結果論になってしまいますが、先見の明があったとしか言えません。
いかがでしたでしょうか?確かに今もお美しいですが、キャスター時代はかなりの美人ですね。都知事選に出馬したのもそうですが、カイロ大学留学と言い、キャスターでデビューと言い、政党選択と言い、小池百合子と言う女性は勝負時を分かっているような気がします。